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開巻有得〜「影の投影」を知る〜

「読書はためになるなあ」というお話です。

今回、考え始めるきっかけになった本はこちら。

私の頭の中では、時たま「敵」が現れて、
私の闘争心に火をつけてくれます。
彼とは結構長い付き合いでした(今は鳴りを潜めていますが)。

かれは思慮が浅く、
彼自身が一時的優越感の得るためだけに
他者わたしを批判するキャラクターをしていて、
私に「お前に何がわかる」と思わせるのが得意でした。

ゆえに、私には
「浅慮で、自分の善性に酔うために
 他者に“悪”を押し付けて攻撃しようとする」(ように見える)やから
悪役サンドバックにして殴ろうとする習性があるんだと思います。

この延長からか、「悪」に反応することがあります。
大学生くらいの時に中島義道氏の『悪について』を読んで、
まえがきに強い共感を覚えました。

他者を批判することで安心していないで、
日々「自分がどうか」を真剣に顧みていないと
いつだって自分が加害者になりうる。
加害者=「悪」は、「気を抜いているやつ」だ。

私にはこういう頭があるんだと思います。

誰かに、自分が一番我慢できないと感じる人間のタイプを
描写させてみるとよい。
彼は、自身の抑圧されたパーソナリティを語り始めるはずだ。
その自己描写は、完全に無意識的であり、
それゆえに、いつでも、どこでも、
誰か他の人からその影響を受けているかのように
彼を責めさいなむのである。

エドワード・ホイットモント『シンボリック・クエスト』

概して、シャドウは同性に投影される。
同性の他人の中に見られる大嫌いな性質を
正直に見つめることによって、大きな洞察を得ることができる。

平和主義者は、彼自身の中に弱いものいじめの部分を含み、
また英雄は臆病者を自らの中に含むのである。

しばしばシャドウは、個人だけでなく、制度あるいは宗教に投影される。
この現象はすべての、
狂信的な、またイデオロギー的な憎悪がみられるところに見うけられる。
シャドウと自我エゴは、一緒になって全体を構成するのであり、
その全体は、我々がすでに見たように、
必ずしも完全無欠パーフェクトではない。
しかし、それは完結コンプリートしているのである。
我々の意見はすべて、それが高い感情価を含むとき、
疑わしいものとなる。(シャドウの投影かもしれない)

リズ・グリーン『占星学』

これまでにも、ちょくちょくこういうことを書いていました。

毎日投稿することを目指して、
断片的な「思うところ」を言語化しているうちに
連続投稿66日目を迎えました。

いまの私にとって
物を書くということが何になっているかを考えると、
「自分の意見を醸成させる」こと
というのがしっくりきています。


2024年2月5日 拝

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