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当たり前の、ウラガワで

朝起きると、ブリキ缶のようにベコベコと音がした。
ような気がした。
疲れているのかもしれない。

あわててここ数日を振り返る。
少し前に、普段海外に住んでいる夫と次女が急に帰国して、10日ほど滞在した。滞在中、夫は私に代わってせっせと料理をし、家事も分担してくれた。分担というか、リモートワークをしながらほとんどの家事を夫が担って私はぐーたら。

それなのに疲れてるとかそんなわけあるかい、と思うでしょう。私だって思った。だから心がベコベコしてることに気づいた朝、何度も自分にツッコミを入れた。

家族みんな揃って、夫が家事をしてくれて、疲れているだと?
そんなわけあるかい。


でもやっぱり、私の心はぎこちなく固まっては時々ひっくりかえり、何度もベコベコと音がなって、仕事に手が付かないまま数日が過ぎた。このままベコベコと音を鳴らしながらブリキのわたしは深い深い海の底に沈んでいくのかなと、私はブリキの私を眺めていた。

泣いてもいい場面でしょうか

新型コロナの感染流行がはじまって3年。世の中は少しずつ平常運転になりつつあるけれど、失業したり孤立したり家族がひきさかれたりと、さまざまなところでぶつけようのない理不尽を突きつけられた人はたくさんいたと思う。

我が家の場合は特殊な形で影響をうけた。

コロナの感染拡大をきっかけに、重度の障害を持っている次女ハルは夫と一緒に引き続き海外で、私は他の3人の子どもたちと共に日本で生活するという決断をした。

コロナ前、ハルは家族で住んでいたインドでスペシャルスクールの早期支援教室に通っていた。だからその後住むことになったフィリピンでも、コロナの影響が落ち着けば学校に通えるようになるだろうと高を括っていた。

ところが身体的にも知的にも重度の障害を持つ彼女を受け入れてれくれる学校はなかなかみつからず、結果、小学3年生となった現在まで学校に通えていない。ケアをお願いしているお手伝いさんと日がな一日自宅と公園で過ごす毎日だ。お手伝いさんはとても愛情深く彼女のケアをしてくれるし、ハルもマイペースな生活が幸せそうなので、問題はない。
のかもしれない。

でも、学校に通っていたらできるようになっていたかもしれないハルの可能性を、家庭の事情で潰してしまっているのだとしたら…と考えると、心が痛んだ。なによりもハルは子どもたちの声を聞いたり触れ合ったりするのが好きだし、同年代の子どもたちと日常を共にする中で得られるものは、本人にとっても家族にとっても、そして社会にとっても大きいはずだ。

家族で相談し、ハルが学校に通うチャンスをつくるために、日本での就学を考え始めた。昨年の秋頃から教育委員会と話し合い、結果、今年度からは養護学校に在籍しつつ、地域の通常学校にも副学籍として籍をおくことになった。とはいえ諸事情によりすぐに日本に帰国することが叶わないので、しばらくはフィリピンに拠点をもちつつ、帰国時に日本で学校に通うことに。

そうしてついに来月、ハルが学校に在籍してから、はじめて長期で日本に滞在する日程が決まった。

在籍が決定した春以降、養護学校の様子は、お手紙や電話、連絡配信システムなどのお陰でなんとなく伺い知ることができている。しかし副学籍を置いている地域の学校については、PTA会費についての連絡こそあったが、どのクラスに所属してどのように関わるか、などといった学校からの相談連絡は特にないままだった。

お金の相談が先行して関わり方についての相談がなかったことに寂しさを覚えたが、先生方は忙しいから仕方ないのだろうと思い、来月の日本滞在予定が決まったタイミングでこちらから連絡をした。ちょうと滞在中に音楽会も計画されているので、うまく関われたらいいと思っていることも伝えると、温厚な教頭先生が言った。

「まずは該当学年の先生方にどのクラスに所属するかなど相談してもらった上で、担任の先生から折り返しご連絡するようにしますね。」

そうか、そもそも所属クラスも決まっていなかったのか…。落胆しなかったといえば嘘になる。まあしかし、いつ通えるかよくわからない副学籍の子のことなんて後回しになっても仕方ない。

だがその後もなかなか折り返しの連絡はなかった。お忙しいのだろうと遠慮していたのだけれど、2週間経ち、滞在日程も迫ってきたので、もう一度電話をした。

「あの件どうなりましたでしょうか。」

教頭先生はどうやらピンと来ていない様子だったので、もう一度次女が帰国して日本に滞在する予定であることと、学校に通いたいこと、できれば音楽会にも参加したいことを伝えた。
すると、電話の向こうで先生が短く息を吸い込んだような気がした。

「実はまだ学年の先生にお話できていないんです。申し訳ないですが、これで学年の先生にお話して、直接学年の先生からお母さんにご連絡するようにしますね。」

申し訳なさそうにしていたけれど、仰っているのは2週間前と同じこと。さすがに一瞬固まったけれど、教員の残業時間が国の上限を超えているいうニュースが数日前に報道されたばかりだ。なんというか、余計な仕事をお願いしてしまったに違いない。先生、ごめんなさい、本当にごめんなさい。

「わかりました、お忙しいところ本当にすみません。」
私はそう言って電話を切った。

先生はとても温厚で丁寧で毎回真摯に対応してくださるので、信頼している。たぶん、忙しすぎて抜け落ちてしまったのかもしれないし、忘れないように貼っておいた付箋が落ちちゃったのかもしれない。とにかく、先生は終始一生懸命で、そして、たぶんめちゃくちゃ忙しい。お忙しい先生を困らせたくないし、めんどくさい親だとも思われたくない。

でも、私はなんだか泣きそうになった。

家事も仕事もする夫は良い夫!?

そもそも今度の日本滞在の大きな目的は、新居の完成とそれに伴う引越しである。ハルを学校に通わせたいというのもあるが、引越しのための準備や様々な手続きや処理が大量に発生する。

しかしハルを連れて帰国する夫は、滞在中半分はリモートで仕事をする。その間私は、家族全員分の荷物を整理して処分してまとめて詰め込んで引越しをし、様々な手続きをしながらリモート勤務をする夫の邪魔をしないようにハルの面倒もみて、通学のサポートをしなくてはならない。もちろん他の3人の子どもの送迎や部活やそういうのも通常通りだ。

「半分は仕事するって、そうやって前に決めたじゃん、できなきゃ困るよ。」

教頭先生に2度目の電話をした同じ日の夜、夫にそう言われて、私はひっそりとため息を飲み込んだ。

もちろん次女を学校に行かせてあげたいというのはかねてからの願いではある。そして、前にそう決めたというのも確かなのだけれど、そもそも学校や放課後等デイサービスなどに通える前提で”そうやって”決めたのであって、この時点で学校にいつどのくらい通えるかはわからなかった。そうなると放デイも使えるのかどうかよくわからない。その調整をしなければならないのに、そしてその調整が現在進行系で難航しているのに、その全てが私に丸投げされているかのように感じた。

さらに言えば、私が仕事をするという、社会にとってはどうでもよいけど私にとっては大切なことが、宇宙に消えてなくなる星屑のように、あるいは道端で踏み潰される雑草のように、なかったことにされているような気がして、言いようのない孤独感を感じてしまったのだ。

冷静に考えると、仕事をしながら最大限家族のことにも時間を割こうという夫なりの誠意ある判断であるのはちゃんと分かる。少し強い印象に聞こえた言葉も、職業人としての責任の現れだったのかもしれない。

でも、学校に忘れられた寂しさを飲み込み、スタートをきったばかりの自分の仕事にブレーキをかけ、子育てにおいてやるべきことの責任感に押しつぶされそうになっていた私の思考はこのとき、確実にダメージを受けていた。

稼ぎの多い夫のほうが仕事を優先するのは合理的ではあるけれど、当然のように私が仕事を我慢すればよいというのが、私に対する全世界の評価のように感じられてしまったのだ。本当はハルをみんなと一緒の学校に通わせたいのに全然一筋縄ではいかないことも、籍があるはずの学校なのに蓋をあけてみたら居場所がなかったことも、全部私が我慢すればいいことだと、そう言われているような。

さらにその後、トドメの一撃となるメッセージがフィリピンから届く。

「引越し予定日にオーストラリアに出張を打診されたんだけど…ダメかな?」

夫よ。私のことを、引越しと子どもの世話をしながら、夫に海外出張にいってらっしゃいと言えるほどの良妻だとでも思っていたのか。

誤解だ、まったくの誤解。

夫は私が一瞬にしてまとった負のオーラを感じ取り、結局出張を諦めてオンラインでの参加に決めてくれたのだけれど、この打診はより一層私を孤独にした。

誰も私のことなんて気遣ってくれないんだ。

忙しくて悪気のない先生の言葉も、しっかり稼いでくれる夫のことも、頭では納得できるし感謝している。でも、ふと気がつくと、イライラして、食欲がなくて、夜眠れなくて、朝起きれなくて、新聞もニュースも聞きたくなくて、仕事が手につかなくなっていた。

私は、傷ついていた。

もう何も見たくないし聞きたくない。
ガラガラ、ぴしゃん。
静かにシャッターを下ろし、暗闇で膝を抱えて、自分をそっと抱きしめた。

アメーバの如く家族を続ける

今やリモートワークが当たり前のような世の中になっているが、私は夫のリモートワークが嫌いだ。リモートワーク自体が嫌いなわけではないし、私自身も存分に恩恵をうけている。嫌なのは、夫婦で同じ空間にいるのに、二人とも、またはどちらか一方だけがリモートで仕事をしている状態である。

同じ空間で別々の仕事をしていると、音の問題なり場所の問題なり家事育児の問題なりをきっかけとして、どうしてもどちらが優先されるべきかという比較が生まれ、それぞれの仕事やひいては存在価値に優劣が生じるような気がするからだ。

コロナ禍が始まってすぐ、夫はリモートワークをするようになった。仕事柄コロナ対応で超絶忙しくなった彼は、部屋に(ときにはトイレに)閉じこもりながら仕事をし、私は外出できなくなった子どもたちを抱えて消耗した

さらに、一次帰国した夫が日本でリモートワークをする時は、私が子どもたちを連れ出したりと配慮をする。ところがたまたま私にも打ち合わせが入ったので、ハルを夫に託し、1時間半ほどで打ち合わせを終えて階下におりると、夫はたいそう不満そうに「まとまった時間仕事をしたいんだけど。」と言った。

いやそれな、私もやん。

悲しいけれど、圧倒的に私よりも稼ぎの多い仕事をして、料理も家事もハルのケアも普通にこなす器用な夫に私は、何も言えない。

一方で、次女の福祉用具や車の購入など、何かとお金がかかる話があがるたび、「しっかり稼いでくれよな」と夫は私の肩を叩く。ぽん、と叩くその手の平は、夫にとっては何気ない励ましの手の平で、むしろ妻の社会参加を後押しするポジティブな意味合いなのかもしれない。けれどそれは、私にとってはずっしりと重い。稼げるようになりたいと思う一方で、夫の仕事や家庭を優先していると、そもそも稼げるようになるための助走が出来ないような気がするからだ。

自己実現とか存在意義とか、なにもかも諦めて手放して、流れに身をゆだねたらどんなに楽になるだろう、と時々思う。でもそれは、私自身を諦めることにつながってしまうような気もするのだ。

先日よく聞くポッドキャスト番組で、マスを対象としてマスに受け入れられる仕事をして大きな報酬を手にする(メジャー)か、独立して自分の信念に従い、共感できる人に向けてのみ仕事をする(インディーズ)か、という違いについてジェーン・スーさんが語っていて、なるほどなあ、と思ったのだけれど、多分夫はメジャーで私はインディーズなのだろう。

メジャーな仕事とインディーズの仕事はたぶん、両者の優劣を比較できるようなものではない。スーさんも番組で言っていたけれど、それぞれが持っている能力の種類の違いによるもので、ただ個々の価値観や生き方にフィットするかどうかというそれだけだと思う。だけどそれが家庭という枠の具体的なシーンに降りてきたとき、どうしても何らかの優先度をつけねばならないことがある

家事育児をしない夫(あるいは妻)というのが社会的にNO GOODであることが普及する一方で、家事も育児もこなすけれども、仕事の優先度という意味でパートナーとの合意形成が難しい、もしくはそもそも合意形成の必要性をどちらがか認識してくれないというのは、実は、見落としがちな点かもしれない。

相手が社会的に良いとされる夫であればあるほど、あるいは良いとされる妻であればあるほど、この魔の落とし穴に落ちる(私調べ)

そうなのだ。私の夫は大変良い夫なのだ。私だったらたまには手抜きしてお惣菜買ってきてもええんちゃうん、とか思うシーンでもマメに料理をするし、日常がそれなりに回ってればまあまあ100点、と私がいくら思っても、細かいところを掃除する。本音を言えば、料理も掃除もそんなに真面目にしなくていいから、少しだけ私にも時間をちょうだい、と言いたいのだけど、社会的にGOODな夫だからこそ、それは言えない。

そういう意味では今の2拠点生活というのは、私にとっては快適だ。夫の稼ぎに遠く及ばぬ私は、少なくとも夫と一緒にいると堂々と時間を確保できない(気がしてしまう)が、生活拠点が別なら、お互いがそれぞれにリモートワークをしていてもなんの摩擦も起きない。
時々会って、会った時は仕事をしない、それが一番心地よい。

とはいえ、これがベストなのかはわからない。海外組が日本での生活に突如入ってきて私が消耗するというのはつまり、すでに我々の家族は2つに細分化されていることの現れだと思うからだ。

でも、家族が2つに細分化されて、寂しいことはあれど、悪いことってなんだろう。

何より夫は私にとっては替えのきかないパートナーなので、私と結婚しなけりゃもっとできたのに、とか思われたくない。それは4人の子どもたちも、私自身も、みんなそう。そのために一定期間家族が2つになって、またときがきたらアメーバのごとく1つにまとまったり、場合によっては3つに分かれるれたりすればいいんじゃないか。

アメーバは、2つに分かれても3つに分かれても、アメーバだ。
たぶん。知らんけど。

呪いを祈りに変えていく

ここまで一気に書き殴り、そうか私傷ついていたんだ、とその正体が判明して大きくスーハー息をしたところで、電話がなった。

次女が在籍する養護学校からだった。以前は国外どころか地域の学校に足を運んだ後でも数日間の自宅待機を求められていたのだが、今回は特に新型コロナに関連する制限はないとのことだ。やったー。

すると再び電話がなり、放課後等デイサービスの希望する施設に空きがありそうだという知らせがあった。拠点がフラフラしている子なのに、学校だけでなく、放デイも使えそうというおありがてぇお話に、それまでベコベコとブリキをひっくり返しながら深い深い海の底に沈んでいくばかりだった私はいっきに水しぶきをあげて水面まで上がってきた。

日本の公教育バンザイ。福祉サービスも、(複雑だけど)バンザイ。

こうなると事態は急速に動いていく。
放課後等デイサービスを利用するにあたって福祉サービスの利用計画を作成する必要があり、相談支援専門員さんとお会いする事になった。相談支援専門員さんは、障害を持つ方が福祉サービスを利用できるよう担当制でサポートしてくれるという素晴らしいお方。
…ということを、今回初めてちゃんと知ったという、海外経由、障害者福祉1年生の私。

ハルが生まれNICUから退院したあと、誰を頼っていいか暗中模索で不安だったけど、そのときに相談支援専門員さんと出会えていれば、また違ったのかもしれない。筋緊張がひどくて、家から車で2時間の専門病院への通院が本当に大変だったとき、こういう人に相談したかったなあ…!!(結局一度は筋緊張のあまりチャイルドシートから転げ落ちたことも)

翌日、今度は副学籍を置いている学校の学年主任の先生からもお電話があった。学校の予定や行事などもあるのですべての希望を通すのは難しそうだったが、交流学習について前向きに検討してくれているる様子。(交流、という言い方には議論の余地があるけれども、今回は置いておく)

今回だけでなく、年間を通じてどのような関わりを目指したいか一度お話させてほしいとお伝えし、結果的には本学籍(?)を置いている養護学校の先生も交えて相談ができることになった。

自分の心がベコベコしていることに気が付き、原因を書き出して落ち着いた途端、いろいろなものが動き出して、悲壮感の呪いはあっという間に溶けてなくなった。もちろん課題はなくなっていないけれど、一つ一つの小さな出来事や、誰かと交わす一言一言が、自分の心や思考を狂わせることを痛感した。そしてそこから救ってくれるのもまた、誰かの一言であることも。

さらに今回、小さなマイナスの積み重なりで呪いがかかったのは、関係者のみなさんとのやりとりを自分一人が担っているという孤独感と寂しさも大きく影響していたように思う。

インドに住んだときに、私と同じ目線にたって子どもたちのことを考えてくれるお手伝いさんがいたことが、とても心強かった。日本でも、親と同じ視点にたって子の幸せを考え、生活を共に支える人がいてくれたらどんなにいいだろうと、何年も前から感じている。今回つながることができた相談支援専門員さんがそのような存在になってくださるのかもしれないし、もしかしたらそういう意味では、家族は従来の血縁でのみつながった家族でいる必要はないのかもしれない

アメーバは、他者を取り込んでも、たぶんアメーバ。
いやだから、アメーバのこと、知らんけど。

婚姻届を出して、同じ姓になり、知らず知らずのうちに夫は夫らしく、妻は妻らしく振る舞っていく。子が生まれると、いつのまにか子は子らしく、親は親らしく振る舞うようになっていく。

その役割に救われる場面も多いけれど、これが呪いになっていることも多い。従来のイメージに囚われることなく、センスよく呪いを払い除けながら、アメーバのように家族を成形し続けよう。家族の形は、社会に応じて変わっていい。

これは多分、夫へのエールであり、私自身へのエールでもあり、子どもたちへのエール。みんな呪いに縛られることなく、軽やかに飛び立ってOK!

結局どれだけ当たり前を疑い、どれだけ腹をわって、どれだけ労力を惜しまずにコミュニケーションをとって、どれだけ周りに感謝して、リスクを恐れずに突き進めるかで、呪いは祈りに変わっていく。
新しい当たり前への、祈りに。

私は祈る。
当たり前をひっくり返して祈る。
呪いを、祈りに変えて行く。
当たり前の、ウラガワで。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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