フェミニズムを毛嫌いしてごめんなさい。満を持して今、「女の生き方」について話がしたい
ミッシェルンデゲオチェロ。
スワヒリ語で「鳥のように自由」という意味の名前で活動する女性アーティストだ。彼女のことを知ったのは20年ほど前。東京で学生生活をしながら日々もがいていた頃である。
ミッシェルンデゲオチェロ。
なぜだか時々口に出してみたくなる口心地のよいこの言葉。卒業したとき、結婚したとき、夫婦でぶつかったときなど、節目節目で彼女の名前を思い出してきた。
ミッシェルンデゲオチェロ。
私は。私も。
鳥のように自由に生きたい。
でも、鳥のようって、どのように?
「女の生き方」を語る
女の生き方を語るなんてナンセンスだと思っていた。男も女もない、人間であるのみ。そういう教育を受けてきたし、そう信じて疑わなかった。基本的には今もそう思っている。フェミニズムを語る意識高い系の女をどこかで敬遠していた。
女性が地位向上のために切り開いてきた歴史があることはわかっているつもりだし、今なお根強くジェンダー課題があるのも理解している。
でもちょっと待って。平塚らいてうが「新しい女」を掲げて婦人解放運動をしたのもイギリスでサフラジェットたちが女性参政権運動を展開したのも、100年も前のこと。
昭和末期生まれの私は、一つひとつしっかりコミュニケーションをとることで多くの問題は問題じゃなくなると思って生きてきたし、自分でもそうしてきたつもりだ。性別によって肉体的にも脳科学的にも差異があるのは自明なので、一つひとつの関係性のなかでバランスが取れていればそれでいいじゃないかというのが私の考えだった。基本的には。
しかし、令和の今、40を手前にして、「女の生き方」を語らずにはいられない気持ちになっている。
男社会の職場で苦労した経験があるとか、女性であることで理不尽な思いをしたとかいう過激なエピソードがあるわけではない。(もちろん多少はある。)ただ、ふと周りを見渡すと、「女であること」に良くも悪くも無意識に囚われている人がとても多いような気がする。
子どもの保護者会や障害児の家族会に出向けば、来ているのはほぼほぼお母さんたち。公共性のある場で活躍する様子が報じられるのは、ほとんどが背広をきた男性たち。もちろん、単純にいいとか悪いとかいう話ではないだろう。でも、周囲もメディアも、誰も声をあげない。疑問を持たずに無意識に当たり前だと思ってしまうのは、おかしくない?おかしいよね。100年前とどれだけの違いがあるというのだろう。
高い能力を持ち、子育てをし、仕事でも活躍しているように見えていながらもなお、稼ぎを夫と比較しもやもやを抱える先輩女性。介護や育児などが家族に閉じがちな日本社会で、当たり前のようにその受け皿を担い、働くことを諦めてきた母親たち。安定した職業を手にしながらも、家事育児の負担が妻に偏ることで蓄積される家族のゆがみ。円満に見えていたのにある日突然別居をはじめた熟年夫婦。異性に興味を持つことができないとコミュニケーションを閉ざす若い女性たち。
老いも若きも、女たちはなぜかみんな同じことでもやもやを抱えている。何年も。いや、何十年も。そしてよくよく振り返ってみると、私が問題を問題じゃなくしてきたと思っていたのは幻想で、実のところどう考えても問題が問題でしかない場所を避けて生きてきたに過ぎないのかもしれない。
このあちこちに散らばったドラマを語るにはまさに「女の生き方」というタイトルが必要だ。きっと先代の多くの女達が同じように感じてきて、だからこそこれまでも「女の生き方」が語られてきたのであろう。
「女の生き方」を語ることは、多分あらゆる意味での自由を語ることに通じている。少なくともナンセンスではなくて、むしろメクセンスだった。
多分だけど、平塚らいてうも、イギリスのサフラジェットたちも、決して「女性解放運動をしよう!」と最初から拳を突き上げていたわけではないのだと思う。一人の人間として、女性として、大人になる過程の中でたまたまぶち当たった壁に挑んだだけ、なんじゃなかろうか。
だとしたら平塚らいてうは私だし、私はサフラジェットだ。
フェミニズムを毛嫌いしてごめんなさい。
満を持して今、「女の生き方」について話がしたい。
私という「女」のこと
「トンネルを抜けると、そこは雪国だった。」
言わずと知れた川端康成の「雪国」の冒頭だが、私の大人時代はまさにそんな感じでスタートした。
少女と呼ばれる年ごろの私は、「女」として生きることをにわかには受け入れられずにいたのだと思う。自分はきっと単なる女ではない何者かであると信じながら、何者でもあれないまま、出口の見えない、暗いトンネルをずっと這いずりまわっていて、気がつくとそこはもう、雪国ならぬ大人社会の入り口だった。
トンネルを抜けられただけ幸運だったと今では思うけれど、トンネルを抜け、ふと周りを見渡すと、みんなはそれぞれ武器を身に着けたり筋トレしたりして列車に乗りこみ、大人社会に向けて準備していた。私は何の準備もできていないどころか身も心もボロボロのよれよれ。そこから、一度スタートしたら巻き戻しが効かない壊れたカセットテープのような一方通行の大人社会が否応なく始まった。
夫と結婚して夫の列車に乗せてもらい、車両のすみっこで膝を抱えてガタンゴトンと揺られる間に少しずつ傷が癒えた。車両のすみっこから座席に移り、ある時から子どもという同伴者を伴い、時間をかけて少しずつ運転席に近づき、気がついたら夫とともにハンドルを握るようになっていたものだから、うっかり自分は普通にレールに乗っかった人生を歩んでこれたような錯覚に陥ることもある。でも、「復職率を…」とか「キャリアのブランクを…」とかいう言葉を聞く度、自分がいかにマイノリティかを突きつけられる。私にはキャリアもブランクもないし、復職もクソもない。あるのはただ、自分だけがのそのそと辿った轍のあと。
一緒に乗っていた子どもたちが自分の列車や線路を探し始めるようになってみて、そうか、これは私の列車じゃなかったんだということを改めて思い出した。私が大人社会で経験してきたあれもこれも、全部夫の列車に乗っていたからこその経験だった。私は相変わらずスタートしたときのまま、なんの武装もしていないし、1人では操縦すらしたこともない、無防備なままの人間だ。ただ、少なくとも誰かと一緒に操縦する術は身につけたし、乗組員の士気をあげたり、燃料を補充したり、ときには列車を降りて周辺確認をしたりはできるようになった。
しかし、私は果たして、結局女として生きることを受け入れてきたのだろうか。夫の列車に乗せてもらう生き方は、情けないと言われるのだろうか。
友人Mの選択
学生時代に出会ったMとはどういうわけか馬が合い、卒業しお互いに結婚したあとも時々交流してきた。Mと私は生まれた場所も育った環境もまったく違ったけれど、大人になってからあとの人生には共通点が多い。
先日久しぶりにMと会ったとき、でも、Mには大きな変化が起きていた。
もともと恋愛で結ばれた二人でも、子どもが生まれた途端に父と母という役割に徹するあまり、恋愛感情での結びつきがこじれる話はよく耳にする。仕事を理由にどちらかが家事育児にコミットしてくれず、男女間の理不尽な偏見に基づく役割分担やセックスレスがきっかけですれ違い、結果として夫婦関係が破綻する。普通はそこで離婚するか、あるいは子どもや家計を理由に心を無にして仮面夫婦を続けていくかのどちらかだ。
Mが選択したのは、そのどちらでもなかった。
「家族」という実態のない道徳観に縛られない。心は無にしない。
それが彼女の答えだった。(※詳細は敢えて割愛)
「子どものころから、ずっと生きにくさを感じていたの。」
Mは言った。
「これまでおかしいと思ったことや嫌だと思ったことをなくして、新しいやりかたにしていかなければ、生きている意味がないよ。」
Mは強かった。
Mの話を聞いたあと、私が信じてきた家族や夫婦や親子関係における道徳観や、それをとりまく社会構造や社会通念をめぐって考え込んだ。
私は別に保守的な人間ではない。いいと思えば新しいことを試すし、反対されても自分がやってみたいと思ったらやってきた。前例がなければ作る派だ。それでも、まだまだ自分が無意識に縛られているものがある気がした。
でも、そういう自分の足元にある全てのものを疑い始めたら、いったいどこに足をついて立ったらいいのだろう。信じるものは、一体なんなのだろう。
アナーキーに生きる
ブレイディみかこさんの「RESPECT」という小説を読んで、アナーキーという言葉が気になっている。アナキズムの思想的なものはまったくよくわからないけれど、ただ、とても気になるのだ。少し長いけれど同書でアナキズムを語る登場人物のセリフを一部紹介したい。
洗いざらい考え尽くして、自分を苦しめる曖昧な道徳観を捨て、他の何者にも支配されずに自分自身の生を手放さずにゆくMの生き方はアナーキーなのだと思った。
「できないと思い込んできた本来の自分の能力を一つずつ思い出していく作業をしてるよ。」とMは言った。そして、「乗り越えるたびに、世界がかわる」とも。
自由に生きるとは、そういうことなのかもしれない。
でも一方で、敢えて曖昧な道徳観に自分を当てはめて生きることもまた、自由、なのかもしれない。曖昧でも実態がなくても、社会に形成されてきた価値観があること自体は事実で、それをつくってきたのは権力かもしれないけれど、自分たち個々人でもある。
女として生きることを受け入れてきたのかどうかはわからないけれど、女である私が男である夫に救われたこと、夫の列車に乗せてもらったことによって心安らかに生きてこれたことは紛れもない事実であり、なによりもその間、私はそれまでのどの瞬間よりもずっと自由を感じて生きてこれた。
自分でハンドルを握ることも、ときに誰かのハンドルに身を委ねることも、それが自分の意思である限り、どちらも美しい人間の生き様だろう。同じ列車に乗っていても乗っていなくても、それが確かに自分が信じた自分の意思ならば。
でも、現実はそうでないほうが多分多い。子育てや介護に携わる人に女性が多いのも、公共性の高い場面に男性が多いのも、そこに違和感を感じるのは、その陰で、自分の生が自分ではアンコントローラブルな何かによって支配されていると嘆く気配を感じるから、なのだと思う。
それはたぶん、女だけではない。男も、それ以外の性別の人も、多分同じだ。性別による偏見に根ざしたものは大いにあるけれど、これは単なる性別による問題ではない。「男も女もない、人間であるのみ」そう信じてきた私の感覚は、その意味では合っていたのかもしれない。
自分の足元にある地面を疑ってみることは、悪いことではない。むしろ必要なこと。でも、それを崩した先で、だただ崩れ落ちることしかできないのであれば、本末転倒だ。両足を踏ん張れるだけの、自分の意思を確かに持てるかどうか。自分が自分の人生の当事者である自覚と覚悟を持てているかどうか。たぶん、それが重要。
ミッシェルンデゲオッチェロ。
鳥のように自由。
いつでもどこにでも飛び立てることが自由なのではない。むしろ、自由すぎることによる不自由さというのもあるだろう。多分、自由の本質は、鳥が行きたい場所に飛び立てているかどうかということ。それはつまり、自分が自分の人生の当事者になれているかどうか、ということ。
鳥のように自由、ではなくて、自分らしく自由。
これでいい。(たぶん。もっと話したい。)
みんな、自分らしく自由?
(もっと話したい。)
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