シェルブールの雨傘

「観劇した後こんなにも色々なことを学びたい気持ちになるとは」

大我さんの舞台は2回目で昨年の流星の音色も
とても大好きな舞台だったのですが
今回はまた新しい全編音楽という私には"未知の体験"をした訳である。


大我さんでも舞台稽古期間中にあまりの難しさに音楽を嫌いになりかけていたと仰っておられた意味が観劇してその気持ちが分かった気がする。
台詞も音楽にのせて歌わないといけないとはまた難しい舞台に挑戦されたなと同時にそれを己のものにして体現されたことに拍手を送りたい。
流星の音色のように一回観劇するだけじゃ少し
咀嚼が出来ないんじゃないかとも今回初めて2回くらい観劇したいなと思わされた。
観劇から2週間近く経ったわけだが覚えている事は「難しい」「音楽が綺麗」「時代背景もあって私にはこの恋が残酷に見えた」という感想を抱いた。
アルジェリア戦争の残酷さはもちろんのこと、ギイとジュヌヴィエーヴの心情を思うと「戦争が2人を引き裂いてしまった」と。そんな簡単に引き裂かれるのかと思ってしまったが「戦争」こそ大きな傷を負う唯一の"過酷な現場"だと。


戦地から帰って来たギイを思うと苦しくて切なくて。それは恐らくジュヌヴィエーヴも同じだと思っていたのに彼女には夫と子供がいる。
こんなに恋焦がれて結婚の約束までしていたジュヌヴィエーヴは幸せに暮らしてる。
それはギイも自暴自棄になる。私だってそうなると思う。でもマドレーヌの"存在"がギイを変えていく。
そばで見守っていたマドレーヌは一番のギイの理解者だ。そんな彼女だからこそギイの"妻"になることを決意したんだなと思った。私はこの結末がどうしても腑に落ちなかった。何でこんな残酷な思いをギイにさせるんだろうと。ですがパンフレットを読んでみると井上さんの"決意"や"言葉"が透明感ある真っ直ぐで強い言葉だと。ジュヌヴィエーヴより地味なマドレーヌ、ですが人一倍ギイを見てきて「好き」と言う感情をストレートに表していたと。ギイの男くさく泥臭い役が大我さんによく似合ってるなと思った。今までの王子の役とは180°違う役柄でまた新鮮で楽しく観劇出来た。コンテンポラリーダンスもとても素敵で観ていてうっとりした。雨のシーンの雨傘の彩りもカラフルで色彩豊かだった。


その経験を糧に私は今色々な勉強をしている。
演劇論、映画史、心理学など。
大我さんの舞台は色々な体験を出来るので
視野が広がってますます向上心が上がる。
自分なりの勉強法を見つけて"糧"になればなと思う。


今年もお疲れ様でした。
そして素敵な舞台を観劇出来て幸せです。

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