考えすぎて苦しい時は、思考の深さが足りていないのかもしれない

noteで内省日記を始めて一ヶ月になりました!
三日坊主な私がこんなに続くとは思ってもみませんでした。
これも読んでくださるみな様のおかげです。
ありがとうございます。

一ヶ月間、自分の頭の中で日頃から考えていることをnoteに書いていました。

そこでふと思いました。
私はまだまだ内省が足りないのかもしれない、と。


私は頭の中でグルグル考えすぎて、自虐と自己否定を繰り返して自己肯定感をセルフで下げていくような面倒くさいヤツです。

だから、できるだけ考えすぎないようにしようと思って、それでもできずに悩んでいました。
だから、せめて外に吐き出そうと思ってnoteを始めました。

自分の自動思考は無意識的なもので制御するのはとても困難です。


しかし、今まで考えていたことを振り返ってみるとむしろ思考が足りないのでは?と思いました。

考えすぎるくらい考えてるつもりで、実は私は自己否定という思考停止を繰り返しているだけなのかもしれません。

私は思考の浅瀬でただ溺れそうになっているだけで、深さが足りていないように感じます。

自己否定や自虐はある意味では楽です。
自分が悪いと結論付ければそれで考えるのを終わらせることができます。

でも、その自己否定という浅い思考で苦しんでいて、けれど考えるのを辞められないのであれば、もういっそのこともっと深く考え込んでしまえばいいのかもしれません。

今は思考が浅いところで停滞しているから、自虐や自己否定に終始していますが、もっと深く考え込んで思考を発展させていけば、それが自分なりの思想や哲学というものに化けるのではないでしょうか。

もしもそこまで思考を深めることができたら、それは最早ただの考えすぎの自虐家ではなく、思想家です。


だから、私は思考の浅瀬で溺れそうになったら、むしろもっと深く潜ろうと思います。
そして、哲学的な域に達するまで考え込みます。

そうすれば、それは私だけの哲学となり、私の軸を構成する価値観となります。
そうなるまで思考を育ててみようと思います。

考えすぎてしまうのも、思考を止められないのも私の個性です。
個性には良いも悪いもありません。

せっかくある個性はせいぜい個性的に伸ばしていこうと思います。
それによって私の内的世界を充実させることも期待できそうです。


しかし、だからと言って常に全力で考えすぎているわけにもいきませんね。

夢想家を気取って考え込んでいても、疲れている時や落ち込んでいる時は碌な考えに至りません。

人間の脳は知的活動のために莫大なエネルギーを消費しています。
ずっと考えていては脳も疲れてしまうでしょう。

それに、思考は体の疲労とも密接に関係しているので、時をえらばずに考えこむのは心身ともに悪影響を及ぼしかねません。

故に、大切なのは集中と弛緩。

考える時間と、考えない時間をどちらも確保する必要があります。

さらに言えば、集中する時間よりも休息する時間のほうが多く必要だと思います。少なくとも私はそうです。

だから、考えすぎる時間と少しと考えない時間をたくさん、自分なりにそのちょうどいいバランスを探っていくことが大切なのだと思います。

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