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【小説】囚われのオタク


私には「推し」というものが分からない。いや、分からなくはないか。その概念については知っているつもりではある。ただ、僕自身が適応できずにいる、というだけの話。
 僕はインターネットがそれなりに好きで、インターネットで活動している色々な人たちが好きだ。近頃、そうした自分の好きな人たちのことを、世間では「推し」と呼んだりする。あと、アニメキャラとかに対しても使われる。もともとアイドルの界隈の語彙だったこの言葉が、一般的に使われはじめた時期を僕はうっすら覚えているが、その時はまさかこんなに広く使われるようになるとは思っていなかった。
 それで、インターネットの好きな活動者を指す言葉として、今は「推し」を使うのが一番手っ取り早いわけだが、僕はどうも尻込みしてしまう。なんか、違うような気がしている。じゃあ僕は僕の好きな人たちを何と言って表せばいいのかというと、これに丁度いい言葉は、多分今のところ存在しないのだ。だからこそ、一部界隈の専門用語である「推し」が大衆に発見され、便利な言葉として定着しみんなが使うようになったのではないか。
 困ったことになったのは新しく定着した便利な言葉になかなか適応できない僕みたいなやつで、周りが「推しは」「推しが」という中、僕は僕の好きな人たちを「好きな人たち」と言うほか、表現のしようがない。

「オタク君、それちょっとキモくない?」

 そう言われてもね。ほかに言いようがないのだからしょうがないじゃないか。僕だって不便だと思ってるんだ。

「そもそも、推しって言えない理由がよくわかんないけど」

 そうね。推すっていうのがさ、もともと自分の好きなものを、人にもおすすめしようってことなんだろうけど。僕は別にそのあたりはどうでもいいから。自分が好きならそれだけでいいから。

「なんでよ。私のこと大きくしたいとか思わないの?あ、もしかして同担拒否ってやつ?」

 あなたが有名になるのが嫌なわけではないので、それも違うんです。あなたが大きくなりたいなら頑張って欲しいし、あなたが嬉しいのは僕も嬉しいのです。ただ、僕は今のあなたの活動が好きで見ているのであって、有名になっていくところを見ていたいわけではないのです。
 僕は、基本的には好きな人たちのことを遠くの方から見ていたいだけだから。「推す」っていうのは今までやった覚えがないので、やっぱり「推し」
という呼称は何か違うような気がしてしまって。

「あ~面倒くさいね。面倒くさいよオタク君。推すっつったて、皆がみんな推しを布教して回っているわけではないでしょ。推し活というのだって、まぁ本当に頑張ってる人もいるけど、言ってしまえばオタクがやってることにに名前が付いただけだと思うし。もう用語だと割り切って使えばいいのに」

 その方が伝わりやすいのは分かってはいるんだけどな、なんかちょっとな。

 「もしかして、推しっていう言葉を含めて、最近の文化をあんまりよく思ってない人?」

 そんなことはなくて。推し活というのが言われるようになって、そういう積極的なオタクのおかげで活発になったものもあるだろうし、良いことだと思うよ。
 あぁ、そっか。僕の中ではこの、コンテンツを受け取る側の積極性みたいなものが用語としての「推し」に結びついているんだ。だから、あくまで受動を基本とする僕にはしっくり来ないのかもしれない。僕はそういう人たちと同じようにはできないから。

「オタク君。オタクはオタクなんだから仲良くしなよ」

 そもそも僕はオタクなのだろうか。オタクとはなんなのか。

「あ、嫌だった?呼び方」

 嫌じゃないけど。もはや僕はオタクを名乗る必要もないのでは、と。昔はさ、僕たちは好きなものがクラスの大多数のそれとは違っていたから、教室の隅の方で固まっておとなしくしていたわけ。その時は、自分たちを世の中の大多数から区別する名前としてオタクを自称していたような気がする。でも、最近はそういうのないでしょ。みんなインターネット見るでしょ。もう、オタクという名前に自虐的蔑称みたいな効力はないんだよ。仲間もたくさんいて、表立って楽しそ~にしてんの。今のオタクは。
 「みんな」に馴染めないカス共が気軽に自称できるゆるい称号じゃなくなっちゃったんだよね、もう。新しいオタクたちが出掛けたり集まってなんかしたり、楽しそうに色々してるのを見るとさ、僕はあんな熱量がないなぁと思って。かつてみたいに、みんなと違うものを好んでいる、というだけではアイデンティティにはならなくなったというか。

「普通であることの逆張りでオタクを名乗ってたのに、オタクが普通に世間で認められるようになったから今度はオタクとしてくくられることにも逆張りするようになったか。救えないね」

 まぁ、それはいいじゃないですか。今は僕の悩みに付き合ってくださいよ。実際、どうしたらいいと思う?

「一応調べてみたけどさ。いつも見てる人、活動を追ってる人、とか言えばいいんじゃない?」

 それ、僕もいいなと思って納得しかけたけどさ。その人のことが「好き」というニュアンスが足りないような気もしない?

「そんなことないと思うけどなぁ」

 活動を見ていて、なおかつその人のことが好きなのだと表現できる。「推し」という言葉がいかに便利で画期的なものであったか分かるというものです。

「君、結局はあれだろ。本当は推しって言いたいけど、皆と一緒になって最近流行り始めた言葉を使うのが嫌なんだろ。この逆張りクソオタクが……」

 ワハハ。なんなんでしょうね。時代の変化というより、最近になって僕の興味が広がってきた弊害なのか?
 平成の時代からアイドルのオタクをやってた人たちは、もともと推しがいた人たちだ。僕はアイドル方向は全然興味なくてマンガとかが好きだったから、「人間」のファンって今までやったことがなくて。生きている人のファンをやるのに慣れてなくて、創作物のオタクの感覚との間に齟齬が生まれているのだとしたら?なんか、創作物のほか、創作含め色々活動している「人」の方も好きで見ることが増えてきて。マンガ集めて読んでいる時には存在しなかった「双方向性」ってヤツに慣れてないんだよな。

「でも最近、生配信とか結構見てない?あれのチャット欄とか双方向の極致じゃない?あとTwitterもよく見てるよね?」

 まぁ、時々見てるね。生配信。僕はずっとニコニコ動画に棲んでたから、最初は雑談だけしてるのを一時間も聞いてるの結構不思議だったけど。思ってたより面白くていつの間にか慣れたね。

「動画つくってる人も今だってたくさんいるけどね」

 それも見てる。一応、いまだにニコニコは毎日ランキング確認してるし。生配信はね、見るには見るけどROM専だから双方向性は捨ててるのだよな。あと、コメント打たないしいいやと思ってアーカイブで見ることも多いかな。暇なときとかド深夜にも見れるし。あとTwitterね。これも見るの好きだけどリプは送んないね。

「なんでよ。別にいいけどさ。せっかくなら参加すればいいのに」

 いやぁ。難しいことですよそれは。教室で盛り上がっているグループの会話に途中から入っていくくらい難しいですよ。

「ちょっと何言ってるかわからないですけど。慣れだよ、慣れ。ネット上でまでコミュ障を発揮しなくてもいいから。ニコ動でコメント打つのと変わらないって」

 違うって。あれは「動画」にコメントしてるだけで人に話かけているわけじゃない。……まぁ、ニコ動画にも基本コメント打たないけど。

うん。

なんかさぁ、最近よく思うんだけど。

令和って難しくない?

平成はもっと適当だった気がするんだけど。

「急だね。
さては飽きたね?」

■■、一緒に平成に帰らないか?

「そういえば、ここはどこなんだっけ?」

ここは、僕のアタマの中だよ。

「あぁ……
   じゃぁいいか…………

     行こうか。私の手をとって― 」




   この記事はフィクションです。実在の人物、文化、思想には一切関係ありません。


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