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古着の楽しみ

 若い人たちの間で今、古着の人気が相当に高まっているようで、若者に人気のエリアにはたくさんの古着の店が並んでいる。
 バブル景気の時代には、ヴィンテージものと呼ばれるリーバイスのジーンズなどが、驚くような高価格でも買う人がいて驚いたが、昨今の古着ブームはまたあの時代とは異なる、時代の要素が反映されているのではないかと僕は考えている。
 それは新しいブランド物の洋服が、あまりにも高価になりすぎ、多くの若者には縁のない世界となったという事や、安価なファストファッションだけでは『着ることの欲求、楽しみ』を満足できなくなっているのではないかという事だ。
 若い人たちの給料は一向に上がることは無いし、通信費などにもお金がかかる。つまりはここ十数年の経済の低迷の一つの結果が、古着で満足しようという事につながったのではないだろうかと思った。
 昨年の秋に、僕の古巣の一つの雑誌POPEYEで、大々的な古着特集をやっていたので、つい興味を持った僕はそれを買ってみた。
 すると雑誌で紹介するほどのクオリティーや、希少性もあるのか、そこに紹介されている品々は案外高価なものが多いのに驚いた次第。

 古着の楽しみといえば、そのブームの先駆けは1970年代のことだ。
僕の記憶では1970年ごろに、原宿の表参道と明治通りの角にあった、セントラルアパートの地下の、ファッションストリートで、ロンドンなどからの古着を輸入販売していた『赤富士』という店などがその先駆者だった。
 表参道にはそのほか、アメリカンカジュアルの古着を扱う『サンタモニカ』という店もあった。
 『赤富士』では当時まだ珍しかった、ロンドンのロックファッションの世界の品々があったので、音楽好きの連中にはたまらない世界だったように思う。
当時はまだ今のように高級ブランドが一般化する時代ではなく、エルメスやグッチなどは雲の上の存在であり、大人だけに許されていた世界だったはずだ。

 僕が最初に古着の世界と出会ったのは1972年に出かけた、アメリカ西海岸への旅の時だった。サンフランシスコのヴィンテージの店で、1940年代くらいに作られたと思われる、アメリカ製のリーガル社のコンビシューズや、UC.POMONAのカレッジウエアなどをたくさん買ったものだ。また救世軍のスリフトショップなどにも、まだまだ着られそうなコンディションのよい古着がたくさん並んでいた時代だった。
 またその後のMADE IN USAカタログの取材旅行では、マサ―チューセッツの田舎町の通り沿いのメンズショップが、倒産したものか店を閉じたままになっているのを見たりもした。
 アメリかは物を大量に作り、消費し、そして廃棄する社会なので、今も大量に古着を世界に送り出す国でもある。
 だから今の古着ブームも、この大量のアメリカ製品に支えられている世界なのだという事らしい。

 僕はよくロンドンやパリ、そしてフィレンツェなどのフリーマーケットで、古着などを探すことがある。
それは今では作られることがないデザインの洋服やアクセサリーの世界の面白さを味わいたいからであり、また暮らしを楽しませてくれる物の世界を、もう少しこの世界にとどめおきたいという願望があるからなのだ。
この話はまだまだ色々と話したいから、第二話に続けるとしよう。

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