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古着の楽しみ③着物を愛でる。

 初めて沖縄に出かけたのは、1980年代初めの文藝春秋社の雑誌『くりま』の取材の時だった。その取材は主に沖縄の食に関するものだったが、自由時間を得た時には、様々な工芸品などを見つける、ショッピングサファリの時間にあてたものだった。
 牧志の公設市場の一画に、たくさんの着物を売っているおばあ達の店が並んでいて、まずは着物好きの家内のために久米島紬の着物を買い、さて自分用のものは何かないかと探していたら、いかにも南国風のごつごつとした手触りの布で縫われた、男物の着物を一枚見つけて手に入れたのだった。まだきちんとは調べていないのだが、その着物はどうやら芭蕉布であり、僕は格安で掘り出し物といきなりであったことになる。

 それが僕と古い着物との初めての出会いとなった。それまで着物といえば和裁の名人だった母が縫ってくれた木綿の着物数枚と、父が残していった仙台平の袴、そして角帯くらいだったが、古い着物の中には、今では作るのが困難といわれる、数々の技術のものがあると知り、興味を持つようになったのだった。
 そのエピソードの一つが、沖縄取材で立ち寄った骨董店の店主が、大変な掘り出し物を見つけたと興奮して帰ってきて見せてくれた一枚の着物である。
 それはトゥンビャン=桐板と呼ばれる麻の着物で、特別な絣模様が織り込まれた、琉球王国当時貴族階級の人しか着ることができなかったという貴重品らしかった。

『琉球風俗絵図』より引用
『琉球風俗絵図』より引用

 琉球、今の沖縄諸島には、古くから絣の技術が伝来していて、それぞれの島独特の布が織られてきた歴史がある。
 宮古島の上布、久米島の紬、芭蕉の繊維で織られた芭蕉布、またあでやかな染の紅型など、工芸の域に達した世界がそこにあり、古くは民藝運動を主導した柳宗悦なども沖縄を訪れて、その豊かな世界に興味を持った。
 夏の着物として人気が高い宮古上布は、新潟に産する越後上布と双璧を成す麻の着物地で、今その新品のよいものを手に入れようとするとそうとうな価格となる。ものによっては国産の普通車が買えるくらいの価格を想像してみよう。
 しかし上手に探すとそれらの素晴らしい着物が、中古市場にはたくさんあるのだった。
 有楽町の東京フォーラムのフリーマーケットや、京都の北野天神の骨董市、また銀座一丁目のアンティークマートなどの着物を扱う店などで、僕は何枚かのお気に入りの上布の着物を手に入れた。
 安いものだと一万円前後、輸入品のシャツより安価ではないだろうか。その頃手に入れた一番高価な越後上布でも6万円という感じ。
 ありがたいことにというのか、僕は明治生まれの人たちに近い体形だから、ほとんど直さずにそれらの着物を着ることができる。
 つまりあまり背が高くなく、真ん丸な体形は昔の親父的で、完璧な着物体形だともいえるわけだ。

 もちろん新しい着物もそこそこ誂えて楽しんできたが、その多くは冬物のあわせ仕立てのものが多い。
 夏の着物はヴィンンテージ物の麻の着物を着流しで楽しむようにしている。帯は通気性のよい羅のものを締める。
 汗をかいたら自分でバスタブに漬けてじゃぶじゃぶと洗って、そのまま干してしまうという、いささか乱暴な着方だが、麻の着物は丈夫だからそれでよしとしているのだ。
 日本にはもの凄い数の古い着物が眠ったままだ。それを生活に取り入れない手はないと思うのだが。

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