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映画『ノマドランド』 スリービルボードの続編?としての癒やし

日本のGWは当地では5月1日のLabor Dayしか祝日がないが、自分のコンサルの仕事の顧客が日本が半分くらいなのでGWで休んだ顧客にあわせてこちらの仕事もしばしスローダウン。それで例年、このGWの当地シンガポールでは平日の昼間のすいた映画館で映画をみたりしている。

当地は物価水準は概して日本より高いが、映画はなぜか安い。なぜだろう。まあ、週末のピーク時は普通に高いんだろうけど、平日の昼間だと新規公開のでも600円か700円くらい。がらんとした映画館に、10人くらい映画好きの高齢者?が来ている状態。

それで、昨日今日と、アカデミー賞とった、『ミナリ』と『ノマドランド』を観てきた。前者は情感ある、いい感じの物語の映画だったが、とくにこれという感動はなかった。普通によくできた映画。そして、ノマドランド、さすが、あの主演女優おばさん、こちらにはがつんとやられました。

つい、主演女優がいっしょだから、5年くらい前の彼女が前回アカデミー主演女優賞をとった『スリー・ビルボード』と重ねて観てしまう。ほとんど続編みたいな感じで(まったく違う筋書きで、登場人物もいっさい関係がないが)。今度は、どのようにトランプ・アメリカを捉えているのかと。

やはり、優れた芸術作品は、混沌とした社会の在り方を切り取ってうまく整理して我々に考え方を提示してくれる。今回のノマドランドは、スリー・ビルボードに比べると、落ち着いた感じで、観る人にいろいろな解釈の余地を与えてくれてる感じ。映画作成中はトランプ敗退はまだ見えていなかったか。アメリカ社会がどこへと向かっているか。

主演女優おばさんは、スリー・ビルボードではひたすら社会に対して怒りまくり暴力的に行動までしていたが、この映画ではかなり落ち着いている。もちろん、この女優なので怒れるおばさんを演じさせたら最高なので、数シーンだけ、隣人の親切に怒ったり、不動産投機に怒ったりしてたが。今回は、寒々としてはいるが雄大な大自然を背景に、まわりに思いやりのある、しゃべり方も優しい語りの、初老のおばさんを好演していた。

いろんな解釈があるとは思うが、僕には、前作同様に、おばはんは「怒れるトランプ支持層」、ここ数十年の米国政治に取り残された白人低所得者労働者層を描いている映画だと思う。今回は、彼らの「怒り」ではなく、彼らのための「癒やし」の作品じゃないかと感じた。

トランプ政権を担ぎ上げた彼らだったが、既に前作の後半にかけて描かれていたように、もとゲス野郎の警官の助っ人とともに娘の敵討ち?に向かう中で、おばはんは怒りからちょっと覚めてしまっている。やるだけやったよ。実際に敵討ちして娘が戻ってくるわけじゃなしという感じで。トランプ政権発足まで熱狂したが、実際政権運営させてみたら、こっちを盛りたててくれるかと思ったら、やっぱりなんだか違うねと。

ではバイデン政権で、分断化された2つのアメリカの和解への可能性があるのか?バイデンは元トランプ支持者の心へどう語りかけることができるのか?

答えは、おそらく、どちらもなかなか難しい。深まった溝は簡単に埋められるものでもなく、和解と思いやりをよびかける言葉も、元トランプ支持者たちにはうつろに聞こえる。

分断の明快な和解策、解決策はないのだが、この映画はそれでも彼らになにかを語りかける。彼らのちょっと寒々した心象風景を表すようなアメリカのロッキー山脈の大自然でカメラを回して映して、それを背景に、彼ら同士で自分たちの在り方を肯定して支え合うような物語が静かに語られる。とりあえず、そんな「癒やし」を意図した映画じゃないかと勝手に解釈した。

家を無くして、トレイラーやバンで移動生活を強いられた登場人物たち。でも、トレイラー生活のささやかな楽しさを共有したり、アメリカの西部開拓スピリッツの再来なんだと自らを納得させたり、焚き火を囲んで語る彼らたちは頑固だったりはするが、お互いに対して偽りなく、とても優しい。

現実は辛いが、それは悲壮なだけでなく、出会いがあったり、アマゾン倉庫やファミレスのバイトしながら自分でちゃんと稼いで、大自然の山々で天体観測したり、ワニやヘビや動物と遊んだりもしている。手術が必要な病気になっても、どうにか手術もできたし、癌で終活の人も自らの尊厳を保って旅立っていく。そこには、前作にあったような強烈な社会に対する怒りは描かれていない。宗教団体っぽくもあるトレイラー生活団体のリーダーも、「またいつかどこかで会いましょう!」と、人生の悟りを開いた、不思議な諦観を漂わせる。

コロナ禍の2020年に制作されたのだろうか。やはり、いま、癒やしは、ウイルス蔓延する都市ではなくて人のいない山奥だろう。大スクリーン観るアメリカの山々は美しい。ことさら意味を見いださなくてもいいとは思うが、この映画の監督が中国出身だったというのも、2021年という今だからこそ、奥が深い話ではある。製作側・監督・主演女優らによる「米中の癒やし」の意図まで勝手に感じてしまう(さすがにそこまで意図されてなくて、たまたま才能ある監督が中国出身というだけだったと思うが)。

こういう社会派の作品がアカデミー作品賞と監督賞をとって、主演女優はアカデミー二冠目。アカデミーをとって、商業的にも採算がとれるだろう。やはり、アメリカのクリエイティブの産業はすごいな、この作品を高く評価して票を投じる業界人たちもすごい。話題性、娯楽性をそなえた上で、安っぽくならず筋を通してタイムリーに社会の問題を深く掘り下げて、ささやかな救いを提示してくれている。■

(タイトル写真は、僕がとった今朝の朝焼け。とくに画像処理してない。真っ赤だった)

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