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離れぃベイ

また、何年か前に書いた、飛行機内映画鑑賞批評を焼き直し。2018年の映画『ハナレイベイ』

たしかANA便の夜行便で、眠れずぼーっとしながら観た映画。映画のメニューにあったのを、『ハナタレベィ』と読み間違ってなにか鼻垂れガキ大将がベーっといって暴れる最高につまらない筋を寝ぼけた脳が想像してしまったが、ハナレイ・ベイ、そういえば昔そんな題名のハワイを舞台にした村上春樹の短編小説があったなあとみてみたら、その小説の映画化だった。まあ、映画感想を書くってだいたい良かった、感動した、というのが多い中で、敢えて、よくなかったなという感想。以下、よくなかったところバレ注意。作った人たちには恐縮だが、原作の小説からのイメージが強すぎた。

まずキャスティングで失望。小説を読んで、この主人公のおばさんは小柄で若いころ美人だったが既に中年を過ぎた今はもうちょっと小太りという人を想像。実際に自分がこれまで会ってきた米国とか海外で1人で頑張っている中年の日本人おばさんたちにイメージを重ねていたので、ちょっと吉田羊じゃないよ、と思った。いまでも美人すぎてNG。もうちょっとくたびれた感じがほしかった。それと、短編の世界を2時間ちかくに膨らませているので、話が変に冗長な感じ。

さらにひどかったのは、この20年近く前に読んだ短編は、たしか東京奇譚なんとかという本におさめられたやつで、幽霊とか不思議な偶然とか超自然現象的なことがでてくる短編群のひとつで、一番記憶に残っていた場面が、無残にも映画的解釈で変えられていたこと。

ネタバレになるが、こんな筋書き。息子をハワイでサメに襲われて片足を食い千切られて亡くしたシングルマザーで毎年そのハワイのハナレイベイという場所に来てなにすることもなくビーチに座って海を眺めているおばさんの話。ある年、ちゃらい日本人若者が「片足のサーファーをみかけた」といっているのを聞いておばさんははっと顔色を変えてその姿を求めてさまようが、その息子の幽霊?は彼女には見えない。ずっと探すが一度もでてこない。

僕の脳裏に残っている小説のシーンは、それでおばさんは酒を飲んでかなり酔っぱらって、なんであのちゃらい若者には姿をみせるのに母親の自分には表れてくれないんだと(たしかそう声に出しながら)号泣する。その場面がこの短編小説の一番大事な部分。と記憶していた。

なのだが、脚本家か監督が映像的によりいいとおもったのか、映画では、死んだ息子の手形とか登場させてそれに自分の手を合わせて号泣するというシーンに変えられていた。これは残念。手形という視覚的なものに替えたのだと思うが、「なぜ幽霊でもいいから自分の前に現れてくれないのか」とか嘆く、のが感動的だったのに。でも、原作を知らなかったら、あれはあれでいいシーンかもしれない。僕としては、ちゃらい若者には見えるのに、なんで毎年弔いの意味をこめてハワイまで来ている母親の目には見えないかというのが、なんだかじーんときたが。

唯一の救いは、映画にでてくるハナレイ・ベイの風景。

映画ならでは楽しめる、美しい映像。それがハワイのどの島にあるか知らないが、あきらかにオアフではないような、ど田舎。牧歌的な風景。ダジャレ脳で、昔この小説を読んだときは「離れ」ぃベイで、観光地からちょっと「離れ」た、サーファーくらいしか行かない美しい入り江を想像していた。映像は想像どおりだった。楽園のように美しい。あの映像をみるだけでも価値があった。ダジャレ・イメージングも時には役にたつ。■

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