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映画「ちょっと思い出しただけ」

今週帰国のフライトでANAの機内エンタメで見た邦画。

伊藤沙莉というNetflix Series 「全裸監督」でいい味だしていた女優がでているというので見てみたら、なんとなんと南都銀行、近年稀にみる邦画の傑作じゃね?と思ったので、ちょっと思い出しながら書いてみる。最近、出張やらでつぶやきだけだったので、久しぶりのテキスト投稿。

この伊藤沙莉という女優は好感度ばつぐんというか、嫌いになる人いないんじゃない?というくらい、かわいい丸顔でちょっとハスキー声の個性派で、親しみやすいけれど主役をはれる魅力をもった女優だなあと思った。ファンになりました。

この映画ではタクシー運転手の役で、恋人がダンサーの男性で、なんだか美形の芸術肌の男性に、ドジながら仕事する三枚目の女性と、設定がジェンダーの紋切り型を崩してきた感じで、さすが平成世代のクリエーターたちと勝手に感心。

話が進むごとにそれをさらに確信、昭和時代ではありえなかった、ジェンダーのグラデーションで予想外のドラマが展開していく。さすが昭和が終わって、平成を経た、令和の映画。

性的マイノリティもまっこうからその苦悩や生き様を主題として主張するというよりも、グラデーションの中のいろいろな出会いとしてさらっと描かれている。もはや男女の恋愛ドラマがそれ以外の組み合わせでも成立するというように。むしろ脇を固める昭和の名優が、昔ながらのステレオタイプの性的マイノリティやら、絵に書いたような男女像を演じて、背景を飾っていた。

昭和の名優としては、最近よく見る國村隼が、ゲイバーのママを演じている。この役者、笑いながら素手で人を殺すヤクザの親分とかを演じていると背筋がぞくりとするくらい怖いが、昭和のゲイバーのママをなかなかいい感じで演じている。二人がそれぞれ相談にきたりして、絵に書いたような狂言回しとして、主人公二人の恋愛ドラマを見守る。

そして、ドラマ語りで破局の話から出会いや破局後の話とかタイムラインがかなり交錯するなかで、その時間軸として示すような不思議な挿話で、永瀬正敏と神野美鈴でてくる。高倉健のような古いタイプの男を永瀬がぶすっと演じて、ワンピースを着た奥さんの神野を公園で待つという設定で、その奥さんが健在だったり重病だったり死んでいたりで観ている我々は時間の順番がわかるというなかなか凝った仕組み。でも、それがたんなる時間軸のガイドだけでなく、古風な昭和的な男女の関係を表していて、なんともよかった。

ほかにもタクシーの運転手の初老のおやじとかいい味だしていて、平成育ちのクリエーターたちのドラマづくりを、昭和の名優たちがしっかりとサポートしていた。若者の恋愛ドラマを昭和のおじさんやおばさんも暖かく見守っているという感じ。

昭和のおじさんである私として驚いたのは、平成育ちの若者たちの会話がなんと優しいのだろうという点。日本人の会話って、ここ数十年でこんなにも優しく変容したのかという驚き。

相手を傷つけないように、自分も傷つかないように、ストレートな告白はしない。したとしても、その後にすぐ、なんちゃってというような逃げ道を加える。そんな感じ。漫才のボケ・ツッコミみたいなことを、会話で自分でボケてつっこんだりしている。

詳細覚えていないが、ふたりがまったりと男性の誕生日を祝うときに、男性が「来年の今日とかにプロポーズしちゃおっかな?」と軽くぽつりというと、女性が「あれあれ、いまなんて言った?」、男性「なんにもいってないよ」、女性「あれ、なんか言ってたよ。なになに」とじゃれたりとか。

深刻な喧嘩のシーンでも、相手を傷つけまいとして、言葉を選びながらしゃべるが、英米のドラマにあるような自己主張して相手を糾弾する会話の激しさはそこにはない。

これって、いま、世界でもおもしろいなあと思ってもらえる描写じゃないかな。昔の小津安二郎のドラマの会話や、フィンランドのアキ・カウリスマキの会話がぼそぼそで話が展開していくのを、英米のドラマを見飽きた観客やクリエーターたちが非常に新鮮に思ったように。

今の日本の若者のコミュニケーション術って、もしかしたら、グローバルにみても、すごく進化した斬新なものなのかもしれない。

ジェンダーのグラデーションについては、ちょっとネタばれだが、おそらく人生で何人か出会うであろうソウルメイトみたいな運命の人が、主人公の男性にとっては、最初は相手の主人公の女性で、映画はさりげなくしか描いていないがその後の出会いは相手が男性という話になっている。こういう、ジェンダーの捉え方もいたって平成というか令和というか今日的だと思う。そもそも、タクシー運転手とダンサーの恋っていう設定で、古い恋愛ドラマのジェンダーを逆転させて、ツイストさせている。

伊藤沙莉演ずるタクシー運転手の女性は、おじさんからみるとかわいくてしょうがないんだが、ある意味、男性的というか、たばこスパスパ、やっぱ幸せって成田空港行きの人が乗ってきたときでしょ、なんて答える。一方のダンサーの男性は長い髪を女性からプレゼントされた髪留め?のようなもので留めて、しゃべりかたも優しく、ある意味ひたむきな古い感じの女性っぽさをだしている。

昭和のおじさんにはとても新しい、今日的な恋愛ドラマだった。



前述したが、映画の時間の流れもなかなか凝っててよかった。

マスクや東京オリンピックの話題でコロナ禍の設定からはじまり、それはふたりが破局してしばらくたった時とわかり、そこから出会いまで遡りながら、その後のポストコロナの新しい出会いまでをうまくつなげている。脚本・監督の職人技というか、観てて驚きがあって、これは凄いなと思った。

映画のなかのちょっとした会話もしゃれていた。詳細忘れたが、女性が「なんで世界に言語ってたくさんあるんだろうね。ことばがひとつならみんな話あえてわかりあえるのに」というようなことをつぶやくと、男性が「でも、話してもわかりあえないことも多いよね。やっぱりこころで通じ合わないと」みたいなことを答える。

これって、同じテーマをチェーホフの多言語上演という大掛かりな設定で1時間も時間を使ってた映画(最近観た3時間の某邦画)と較べても、さりげなさが逆にぐぐっとこちらに伝わってきたような、褒めすぎだが、ちょっとした軽そうな会話にけっこう深い考えや思いがこめられてるなと思った次第。

そう、某邦画は米アカデミー賞に多々ノミネートの「ドライブ・マイ・カー」でそれと比べても(そちらのファンの方すみません、あれはあれでいいんですが)、まったく遜色のない、近年の邦画の傑作じゃね?と、ちょっと思い出しただけ(あ、これがオチか)。

映画「ちょっと思い出しただけ」、おすすめです。■




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