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Inflight 映画鑑賞『エルビス』『マイ・ブロークン・マリコ』

飛行機の中で観た映画の感想、まず結論から
エルビス: 10ピーナッツ中6
マイ・ブロークン・マリコ: 10ピーナッツ中15

近年の邦画の中での最高傑作か?と大げさに思った後者の邦画の感想に入る前に、エルビスのほうを。

*「エルビス」

いわずと知れたプレスリーの伝記、というか、彼をプロデュースしたトム・パーカーという今で言えば芸能プロダクションのマネージャーをトム・ハンクスが別人顔のメークして怪演している傑作。

ハリウッド映画すごいなとつくづく思うのは、日本で言ったら誰だろう芸能界のみんなが知っている有名な人、美空ひばりのような人の一生を題材にして映画作っても、その有名芸能人を称えた伝記ではなくて、プロデューサーのお話という人生ドラマの芸術作品に昇華させながらも、娯楽大作として世に出して商業ベースに乗せてしまうところ。

当然、金もふんだんに使っていて、たしかトム・ハンクスがコロナにかかってニュースになったニュージーランドのロケながらも、あの(たぶん)カラッと爽やかな地中海気候を微塵たりとも感じさせない、アメリカ南部の湿気で重たいミシシッピ・デルタのようなどんよりした光景を画面に作り出している(R&Bの音楽が重たいからなんでしょうけれど)。

記憶に残った、トム・パーカー大佐の名言。

正確なのは覚えていないが、プレスリーが初めてステージで腰をくねくねさせて官能的に黒人ルーツのR&Bの曲を歌って、観客の白人の若い女性たちを熱狂させるシーンで。

音楽のことはよくわからないが、
あの娘の目の中にいま見ている光景を楽しんでいいのかどうか迷いがある
彼は禁断の果実だ
そう、丸ごと噛り付いていい
これは最高の出し物だ

かくして、怪しげな南部の黒人音楽のリズムで、腰をくねらせながら踊るエルビスが全米のファンを熱狂的にさせてスターになるが、同時に、保守的な勢力からは徹底的に叩かれて、ドイツに兵役にいくと表舞台を去る。そしてまた、さらに猥雑さを倍増させてカムバック。ここら辺の展開が面白い。

やはり、芸能は、とくに大衆が夢中になるポップカルチャーは現代では商業ベースでの成功が不可欠で、大ヒットする見世物は、資本主義に咲くあだ花のように猥雑さを撒き散らしながら登場する。その過程で、サブカルチャーが広められたり、ほかのスタイルと融合してさらに面白いものになったりするのだが、猥雑さゆえに叩かれ疎まれる。ポップカルチャーの本質を突いたようないいセリフだった。

そんなことをちょっと考えされられながらも、なかなかエンタメとしても面白い映画でした。


*「マイ・ブロークン・マリコ」

どこから始めようか、まったく期待していなかったこの邦画にぐぐっと引き込まれていったお話を。

なにげなくインフライト映画のメニューをいじっていたら、見たことある女優が主人公らしい邦画があったので見てみた。つまらなかったら他に替えようと。

映画は、女優永野芽郁が街の中華料理屋でひとりラーメン啜っていたら、店でついてたTVのニュースで親友が飛び降り自殺したことを知る。

外回り営業のOLらしき彼女は、驚き、仕事をほったらかしにして、親友が住んでいたマンションへと足を運ぶ。すると、葬儀屋らしき人が、すでに遺体の搬出などは終わっており、遺品も家族が処分したと言う。

落ち込み、何故死んだのかと、部屋に籠って思い出を探る。

小学生時代からの幼馴染、中学も高校もいっしょ。過去の再現シーンで、こちらもうすうすと、ふたりが親友で、お互いいろいろやっかいな家庭の事情(親の離婚とか)を抱えていて、とくにマリコという自殺した親友が、毒親の父親から虐待されていたことが見ている我々にもわかってくる。マリコは、しーちゃんがいなくなったら自分は死ぬからとリストカットしたりする。そんな思い出が浮かんでは消える。

主人公の椎野こと、しーちゃんがそこで動く。

家から包丁を持ち出して隠し持って、死んだ親友のアパートを訪ねる。営業レディの振りをして、優しそうな後妻の女性に、家のなかにいれてもらう。

すると、親友の遺骨を前にぼうっと座る、毒親の父親の姿が目に入る。

突然、しーちゃんは親父に体当たりして、遺骨を奪い取る。

驚いた親父が、なんだてめぇは!と襲い掛かってくると、持ってきた包丁を振り回して、声の限りに叫ぶ。

お前が、小学生の娘を虐待して、母親を家出させて、中学生の娘には取り返しのつかないような暴行して、自殺へと追い込んでいったお前に、遺骨に手を合わせる資格なんかねぇんだよ!

そんなセリフを大声で言って、包丁を振り回す。そして遺骨を抱えて窓から外へと飛び降りて逃げる。

尾美としのりが、どこからみてもゲスで暴力的な救いのない親父をうまく演じている。

いやあ、このシーン、観ててびっくりした。

しーちゃんは、営業らしい黒のパンツ姿でポニーテール。

ポニーテールは、(私見)可愛い女性のシンボルみたいなもので、美人がポニーテールでジョギングしてポニーテールが揺れるのを後ろからみると感動すらするし、とても女性的で清楚でもあり溌溂でもあり限りなく美しいものだと思っていた。

そんなトホホな僕のポニーテールへの憧れを吹き飛ばすかのように、ポニーテールの可憐な永野芽郁は、若武者のようにポニーテールを振り回しながら、包丁もぶんぶん振り回して、親友を殺したクズ親父に向かっていく。

凛々しい。

初めてポニーテールの女性を凛々しく思った。

包丁を振り回すところなんぞは、サムライ。親友のために、命がけで悪代官に立ち向かう武士。いやあ、参りました。

そして、奪った遺骨を抱えて、しーちゃんはいつかマリコが行ってみたいと言っていた岬へと旅立つ。

おおー、これはロードムービーじゃないか!好物のおもしろいやつと喜ぶが、なかなかこの制作陣、ただものではないので、こちらの紋切り型の想像をことごとく壊すような展開になるのではないか、もしろそうしてほしいなと観続ける。

深夜バスに乗り、がらがらの平日昼間の地方電車に乗り、路線バスを乗り継いで、その岬まで行く。とくにドラマはないが、バックで流れるなんでもない地方の風景がきれいであり、そこへ過去の追想が加わる。いい感じでロードムービーが展開するなあと思ったら、突然に事件が起こる。

岬が近いど田舎の山道なのに、バイクに乗った男がしーちゃんのバッグをひたっくって逃走する。

しーちゃんは遺骨を道端に置いてひったくりを追いかけるが逃げられる。それをみていた、物静かな釣りの若い男が、その遺骨の横でしーちゃんが戻ってくるのを待っていてくれる。

この男、どん底の展開に神様がというかストーリーを作った書き手が、救いの天使を送り込んできたかと見てて思う。この男が、しーちゃんの傷ついた魂を癒して、ほんわかしたラブストーリーのラストかなと想像する。

と思ったら、あれれという展開。

ネタばれになるのであまり書かないが、崖から飛び降りて死にそうになる主人公に寄り添ったのがこの窪田正孝が演ずる男なのだが、ラブストーリーの展開はまったく無く、別れの電車の場面でも、動き出す電車の窓の外に恩人の窪田正孝がいるのに、しーちゃんはもらった駅弁をさっそくがさつにかっこむ。窪田正孝はそれをみて「あれ、もう食ってる」とだけ小声で言う。

そういえばこの言葉少ない若者、しーちゃんを助けて、ひったくられてお金もないからこれつかってと1万円札をさらっと渡したりするのだが、しーちゃんが後で返すのでと連絡先をと聞かれると、「名乗るほどのものではありません」と時代劇のようなセリフを吐く。

そうか、やはり、どこかに時代劇へのオマージュというか、病んだマリコの悲しい現代の話ということではなく、凛々しい武士のしーちゃんが世の悪や不正をただす、その展開に絡んでくる助っ人サムライみたいな登場のさせかたなのかと勝手に納得する。がさつながらも友達想いのまっすぐな侍、美人な現代の侍。

このドラマ、ことごとくこちらの想像する紋切り型展開を裏切ってくれて、さらに、なんだか古風な時代劇を彷彿させてくれて、いやーおもしろい、なかなか素晴らしい傑作でした。

自殺したマリコと主人公しーちゃんの関係は、多様な性のありかたの21世紀では、ふたりの純愛物語としてみてもよいのかもしれない。会うべき運命にあるソウルメイトが前世では江戸時代の侍と町娘だったのが今世では女子高の同級生だったみたいな。でもドラマ展開ではそんな示唆はないと思う。もちろん、そういう観方をしてもよいお話。

そんな解釈はさておいても、ひとりの人間ともうひとりの人間の深いつながりのお話としてみて、十分納得するストーリー。たぶん、ふたりの女優の演技が素晴らしいから、自然にそう納得できるのかな。

筋の構成としては、親友に遺書のひとつも残さず死んだ友になぜ?と問いかけ続けるお話なんですが、最後に、いいエンディングが用意してありました。

主人公の魂を癒す優しい天使は、吉田羊(「よう」ですからね、そこの「よしだひつじ」と読んだあなた)演じるマリコの義理の母だったようで、エンディングで彼女がわざわざしーちゃんへと書かれたマリコの手紙を届けてくれます。

その手紙になにが書いてあるのかは、みている我々にはわからないんですが、しーちゃんは手紙を読みながら、まず大きな笑みを浮かべて、そして明らかに涙して、手紙に顔を埋める。

それですべてが救われました。

いやーいい映画だった。照明落としたフライトだったので、大泣きの顔が周りにわからずよかった。

制作の方々、あっぱれでござった。拙者、ぞんぶんに癒されたに候。 ■




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