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近未来SF連載小説「惚れ薬アフロディア」No.6 朋美の事情(3)

Previously, in No.1-5 (月1更新で全12回程度の予定):

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朋美の新薬アフロディアによる「アセクシュアリティ治療」の治験の開始から半年が過ぎようとしていた。

治験を見守るガーディアン(治験保護人)である朋美の看護師の同僚のノエリアは親友の朋美に起こりつつある変化に興味津々で、おせっかいにも、ウェールズの出会いサイト「CWTCH (クッチ)」を検索しては「この人どう?」と毎週のように朋美にリンクを送ってきていた。

短いウェールズの夏が終わる頃のある夕刻、空が夕焼け色になり始めていた中で、朋美とノエリアはスウォンジーの病院の近くのワイナリーに併設されたカフェで赤ワインのグラスを傾けていた。そう、地球温暖化が進んだ2040年代に、フランスのワイン作り達が亜熱帯化したボルドーからこぞって質の良いブドウが育つようになったブリテン島の田園地方に移動してきていて、スウォンジーにもいくつかそんなワイナリーができていたのである。

「このワイン、ちょっと若いわね。でもブリテン島ワインにしては悪くない」スペインとフランスのワインで育ったアンドラ人のノエリアが言う。

「朋美、恋愛感情について精神棟のドクターがこの間、おもしろいこと教えてくれたわよ」おしゃべりのノエリアは続ける。

「恋に落ちることは、人間の脳に麻薬のコカインやヘロインと同じレベルの刺激や陶酔感を与えるっていう研究結果があるんだって。

人が恋に落ちるとね、「ドーパミン」「オキシトシン」「アドレナリン」とかのホルモンの分泌量が増大して、脳のなんと12か所もの領域が並行して活発化するそうなの。

あなたが筋肉注射してる薬も、そういうホルモンの分泌の活性化を誘発するものなのよ。まだなにも変わったことはないの?」

「そうね。なんだか、ちょっと涙もろくなったかな。恋愛映画とかみてて悲しいシーンで共感しちゃうっていうのは前と比べてあるかなあ」
朋美もワインを一口飲んでつぶやく。

「この間のクッチのウェールズ人の彼、どうだったの?」

「ああ、ガリットね。うーん、ちょっとカッコよくて面白い人だったけど、あなたが言っているようなキュンというのは感じなかったわね。

私は日本人だと言ったら、急に目を輝かせて、ウェールズ人と日本人は同じく海苔を食する民族だっていう話を始めてね、いかにウェールズの海苔の養殖技術が日本の海苔産業を救ったかなんていうことを30分も話してたわよ」

「え?海苔?初対面でその話題はだめよね」

「仕事が海苔の養殖技術の研究者だったの。こんど美味しいラバーブレッドの店いきませんかって誘われたけど、私、海苔アレルギーなんですってウソついちゃった」

「うまいわね、かわすの。

ところでね、私もアセクシュアリティというのがどういうことなのかいろいろ調べてみてみたの。30年前にあなたの故郷の日本で作られた映画で "Freckles”ってあなた観たことある?なかったらお勧めよ。アセクシュアルなのに周りから無理やり恋愛を押し付けられる辛さって、私にとっては目から鱗だった」

「知ってるわよ。いい映画、アセクシュアリティ理解のバイブルみたいな名作。もうちょっと古いけどね。 30年以上前の、いまよりもっと多様化に理解がなかった時代の映画。frecklesはね日本語では「そばかす」っていうんだけど、主人公の名前が Soba Kasu、そばた・かすみなのよ」

「へえ、pun (駄洒落)だったのね。でもあなたの場合、恋愛感情がわからないからこの治験で体験してみたいっていうことは、恋愛関係とか性的な関係に嫌悪感まではないわけよね?」

「そうね。映画にあるみたいに、押し付けられての嫌悪感はないんだけど、恋愛感情を持ったことが無いし、これまで関心もなかったっていう感じ。それで興味はある。アセクシュアリティにもグラデーションがあって、私の場合、正直、そんな感じなの」

「セックスについても嫌とかはないの?」

「そうね。正直に言うと、わざわざ自分以外の人間とあれをしなくてもいいかなっていうところ。もちろん経験あるけれど、変な感覚、決して気持ちのいいものではないって感じ。体は反応するんだけど、なんか自分が急性の発作に襲われた感じ。呼吸が粗くなって、脈拍が高まって、体温が1度くらいあがる、応急処置しなくちゃ、なんて。。。こんな見方、看護師の職業病かしらね」

二人は笑う。そして、ワインを飲み干す。さっきまで夕焼けで真っ赤だった空がもう真っ暗になっていた。つるべ落としのような日没は、既にウェールズに秋が到来しつつあったことを示していた。

1か月後。同じワイナリー・カフェ。

「ノリー、あのクッチ・パーティにいたカルロス覚えてる?」

「あ、あの東洋系の人ね。日本人か中国人かと思ったら、英語で私がアンドラ人だといったら急にスペイン語喋り始めたニッケイ・ブラジル人の」

「そうあのカルロス・ヤマダ。パイロットの」

「けっこうハンサムよね」

「ノリー、私、もしかすると、治療の効果なのか、「来た」、かもしれない、あなたがいっていたあの胸きゅんが」

「えぇ!カルロスに?」

「これ、彼がこの間のデートの後に送ってくれたテクストメッセージ。あ、日本語だから翻訳かけるわね。見て。

『日本の文豪の夏目漱石は、I love youを日本語で「月が綺麗ですね」と訳すと書いてますね。そんな日本文化の奥ゆかしさが好きです。自分にもあなたと同じその血が流れていると思うと嬉しく思います』」

「うーん、なぜ日本人だと I love you が The moon is beautiful になるのかわかんないけど、ロマンチックで、がっついてなくていいわね」

「夏目漱石ってね、19世紀の小説家でロンドンに留学してた人なんだけど私じつは彼の小説を1つも読んだことなかったんだけど、検索したらたしかにカルロスが書いてたようなこと書いてるのよ。こんなメッセージもくれたの。

『あなたが恋愛についてこれまであまり経験もなくてよくわからないとおっしゃってましたが、あのシェイクスピアはこんなことも書いてますよ、「恋ってのは、それはもう、ため息と涙でできたもの」。わくわくする高揚感だけではなくて、揺さぶられるような辛い気持ちもある。でもすばらしく美しいものだと思います』」

「うーん、ちょっとこれはダサいわね。でも、案外いいかもしれないわね。ラテンの情熱と奥ゆかしい日本人の感覚をもった彼氏。それで何回デートしたの?進展はあったの?」

「まだ2回だけ。キスだけ。彼はパイロットだから、あまりスウォンジーにいれないのよ。カムリ(ウェールズ)と中南米の主要都市の間を行ったり来たりしてる。この間のデートはブエノスアイレス便の前だったから、パイロットの制服だったんだけど、かっこよかったわよ。きゅんとしちゃった。でもね、勤務前48時間はお酒飲めないってスタバでコーヒーだけだったんだけど」

「え、スタバでのデート。でも2回しかあってない女性と逢うのにパイロット制服着てくるなんてちょっと変よね」

「忙しいからしょうがないのよ。それでも会ってくれてうれしかった。ブエノスからこんなメッセージもくれたの。なぜか英語だったの。

"The first time ever I saw your face
I thought the sun rose in your eyes
And the moon and the stars were the gifts you gave"

the moon and the stars were the gifts you gave なんて、夏目漱石の「月がきれいだ」にもかけてあって、素敵でしょ」

「。。。あれ?どこかで聞いたことがあるようなセリフ。

The first time ever I saw your face … ♪ 

なんか、20世紀にはやったヒット曲だったんじゃないかしら。。。Diana Ross? Roberta Flack? そう Roberta Flackよ。。。ほら、この Spitify の聞いてみて。なーんだ、まったく歌詞そのものじゃない(末尾注)。

大丈夫?このカルロス」

「たぶん彼も歌詞の引用として書いたのよ。彼が好きなオールディーズの歌詞として。20世紀のブラック音楽好きだって言ってた。自分で書いた詩だとは彼は言っていないわ。これだけさらっと送ってきた。地球の裏側のアルゼンチンから。ね、ロマンチックな人でしょ?」

「うーん、ちょっと芸術家ぶったラテンならやりそうな手口だけど。愛の歌の引用とかね。ずるいけど。

でも、あなたが幸せな気分になっているということが大事よ。

朋美、私、親友として嬉しい。この恋、うまくいってほしいわ」

また数週間後。同じカフェ。

「カルロスね、夢があるのよ。パイロットで稼いでためたお金で暗号通貨を使った人のマッチングのサイトを立ち上げたいっていっているの」

「え、暗号通貨で?クリプトって2030年頃には下火になって、結局は、ブロックチェーン技術を中央銀行とか大手銀行が決済で採用してコストを下げることに貢献したけど、いろんな通貨自体は価値がなくなって2035年頃には交換所の倒産も相次いだあれでしょ?この2050年代にいまさら暗号通貨でマッチングってなんなのよ?」

「ノリー、彼は真剣なのよ。目をみるとわかるわ。夢で目が輝いてるのよ。詳しいことは技術的で説明聞いててもよくわからないけれど、立ち上げに500万ラバ(カムリ共和国の通貨)は必要なんだって」

「それは個人でパイロットの給料の貯金じゃ無理よね。協力者がいないと難しいんじゃない」

「それでね、私のほうから彼に頼んだんだけど、私も貯金していたのと、シンガポールにいる会社やっている私のお父さんにもお願いしてあと100万ラバくらいのお金を出資してあげたいの。彼はそれは受け取れないっていうんだけど、彼の夢のために。。。あなたも少し協力できないかしら?」

「待って、朋美。。。おかしくない?まだ会って2か月しかたってないのに、そんなお金がからむ話になるなんて。私、そのカルロスについて調べてみるから、絶対にそれまでお金は渡しちゃだめよ」

「だいじょうぶ、彼に限ってへんなことはありえないわ」

(ここで作者より: 5000字近くなってきたのでお話早送り。ご想像のとおり、初めての恋に浮かれて危うく20世紀に流行ったような古典的なロマンス詐欺にひっかかりそうになった朋美を、親友の治験ガーディアンでもあるノエリアは危機一髪で救う。もちろんカルロス山田は偽名でパイロットというのはウソで、ニッケイブラジル人ですらもなく、語学の天才の中華系マレーシア人で20件にもおよぶ結婚詐欺でICPOに指名手配中のジョージ・ カオ(39歳)であった)

ノエリアに事実を聞かされた朋美は、3日間ショックで寝込んでしまった。

「これが恋煩いというものかしら」朋美は思った。こんなに辛いのなら、こんな治験に参加しなければよかったとも思った。

カルロス、いや詐欺師ジョージの記録を全部消し去りたいと自分の携帯とPCを朋美は検索した。するとちょっと変なことに気が付く。

PCは自分しか使っていないのに、自分が検索した記憶のない単語が検索履歴にでている。

カタルーニャ独立運動、プチドモン首相、リュイス、EU統一派、バスク独立テロ組織、工作員、爆弾テロ、、、

そして自分しか知らないはずで決してPCに自分が打ち込んだりすることさえありえなかった単語もそこにあった。

Evil Beauty、ワル美。 

(No.7に続く)


ちょっと話の行方が作者の頭のなかで「整って」まいりましたので、自分へのプレッシャーとして以下、今後の連載予定の各章の仮題です。請うご期待。

今後の連載予定(あくまでも予定、変更ありうべし):

No.7 「出会い(ドノスティア)」
No.8  「恋は盲目(バルセロネータ)」
No.9  「愛は瞠目(ログローニョ)」
No.10  「アルゴリズム(カーディフ)」 
No.11    「邪悪な美(アムステルダム)」
No. 12      「最終章(ビルバオ)」


注 Roberta Flack
First time ever I saw your face


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