長洲事件から考える「生活保護と自立」

上の記事で生活保護を受給し始めてからは「ただ生かされているだけだったようにも感じます」と書きました。
また⑧では「高卒で就職して家族を助けろ」と言われているような気がしたということも書きました。
今回はこのときのことを振り返りつつ、最近起きた生活保護廃止事件にも触れようと思います。

生活保護と自立

生活保護世帯の子どもが大学や専門学校へ進学するには世帯分離が必要です。
それにより子どもたちは家族か自分の将来かのどちらかを選ぶことを強いられます。
私は自分の将来を選びました。明確にそうすると決意した記憶があります。

高校を卒業するとき、学校の先生に「もう家族と関わるな、地元にも戻るな」と言われました。
これは私の将来を心配しての言葉だったと思います。
側から見ても、私の将来のためには家族のことは諦めなければならないような状況だったということです。

でもずっと後ろ髪を引かれる思いでした。
東京に出てきてからも、自分ことばかりではなく家族を助けるべきだというようなことはよく言われました。
その通りかもしれないと思っていたから、私は言い返すことが出来ませんでした。

それでも、私は進学の機会が誰にでも平等にあるべきだと強く信じていましたから、当然自分も進学できるべきだし、私が進学することで次の世代にも希望を持って欲しいと思っていました。
長期的には、進学するという選択が社会にも利すると今でも信じています。

夢を追うことは本人が自立することに直接繋がるはずです。特に子どもにとっては。
それにも関わらず、生活保護制度は今でもその場しのぎの稼働を強いるような運用がなされています。
最近でも生活保護世帯の子どもの将来の夢とそのための努力を踏みにじるような事件が起きました。

長洲事件

その事件は熊本県長洲町で起きました。
この町で祖父母と共に生活保護を受給し暮らしていた孫は、看護師になるために専門学校へ進学しました。
世帯分離が必要(つまり孫は生活保護支給対象外)なので生活費も学費も自分で工面しなければなりません。

その努力の甲斐もあって、孫は准看護師の資格を取得し、准看護師として働きながら正看護師課程に進学しました。
しかし孫の収入が増えたことを知った福祉事務所は、今度は孫に祖父母への援助を求め、年金と孫の収入で生活させようと生活保護を廃止しました。
祖父母の生活費まで出すと、孫は学校を続けられなくなってしまいます。

生活保護を打ち切られた祖父母は、孫からの援助も得られず、
病院代が出せないために病院受診を控えたり、病院と交渉して病院代の分割払いを求めたり、
ガス代が支払えなかったり、近隣から借金をしなければ生活が立ち行かない状況でした。
憲法の保障する「健康」な生活でもなければ、「最低限度の生活」さえも下回っているものでした。

これはおかしいと、祖父母(原告)は生活保護廃止処分の取消しを求めて提訴し、
2022年10月3日には熊本地裁で勝訴しました。

ところが2024年3月22日、福岡高裁は「孫の就学・准看資格取得により、自立を一応達成できた」として生活保護廃止処分を有効とする、原告敗訴の判決を言い渡しました。

この判決において福岡高裁は、夢も希望もなくただ機械的に生きることを「自立」と呼んでいるように感じます。
それは文化的に生きるということからは程遠いものです。
私たちは、ただ回っていればいい歯車じゃないんです。

正看護師は准看護師より基本給も生涯賃金も良いわけで、孫の選択はそういう意味でも合理的です。
こういう選択や将来を踏みにじってきたから「貧困の連鎖」が切れないのだということを、いい加減理解すべきです。

長洲事件はこれから最高裁で争われようとしています。
現在それに向けたオンライン署名が行われています。
事件の詳細も記載がありますので、下記リンクから閲覧・署名のほど、何卒よろしくお願いします。


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