愛ってなんだろう

皆様こんにちわあるいはこんばんわ

なんか臭いタイトルですみませんw
何となく感性のアップデートが色々とあったのでこれまでに述べてきた持論も補正しようかなと

過去に書いた愛に纏わる云々↓

まぁ恥ずかしげもなく恥ずかしい思想を展開している訳ですが
あらゆる先駆の文献に基づいて組み立てられているので「個人のお気持ち」でもないのです
心理学、哲学などなど色々な文献を読み漁った上での思想ではあります

さて思考の打ち直しですが前述のリンクの後にもうひとつあります

これですね
いやーインプット過多だったのが自分でも良く解ります
早口高火力オタク文章ですw
息継ぎどこだってくらい詰め詰めで書いてるので相当に思考が煮詰まってた感はありますが
先述の思想よりも少し解像度と視野が広がっている感じはします

が、もう一歩踏み込んで

更に俯瞰して見てみるとまた違う様子が見えてくるのではないかと考えました
モノやコトに関する『愛』の在り方はこれまでの記事の考え方で悪くないのかなと思います

問題は「ヒト」に向けた場合

『真心』がどの位置に見えるのか客観的な視点を考慮していない主観的な思考であるところに幾分かの問題を孕んでいるように感じたのです

氷山の一角じゃあないですが人の心なんて自分ですら全容は理解し得ないですし、他者から見ればそれこそ下に本体が埋まっている事にも気付き難いのではないしょうか

何が言いたいのかと言うと本人からは真ん中に大事に置いている「心」も外から見たら地面に置かれている「下心」に見えている可能性

包み隠し弁え控えたあれやこれやそれは表だって見えないモノなので実際の全体像は個々それぞれに違うものであると思うのです
逆に偽り騙し欺くあれやこれやそれもまた然り
相手を大事に思うが故に「心」の位置が下に見えてしまったり「心」ない様に見えてしまったり
自己中心で「本心」を偽るが故に「心」の位置が真ん中に見えてしまう「外からの見た目上は」

正解は何処にあるのでしょうね
正解なんて何処にも存在しないのではないでしょうか

モノやコトと違いヒトへの『愛』とは主観ではない観点を持つ事に因って大きく意味を変えてしまう性質があり
先の記事で「真心」を見返りなく送れば『愛』だと論じてしまいましたが
加味して居なかった観点を含める事でそれは『愛』ではなく「不快」であったり「恐怖」であったり「不安」であったりと様相を変えてしまうのではないでしょうか

端的に言えば上から見たり内側から見れば丸であるけれど横から、外から見れば三角であることなどいくらでもあるのです
「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものはない」なんてセリフもありましたね

そうです
「真心」とは真ん中に「受け取られる」事に依って初めて『愛』と呼ばれるのではないでしょうか
それこそ偶像的な表現での『愛』は真ん中に届けて真ん中に受け取る「表向きには」ですが
完璧な『愛』などと言うものは「虚像」であり「嘘」であり「真実」足り得ないのではないかと考えられます

受け取って貰う為には伝える、贈る必要があり
受け取って貰えなければ地に落ちて「下心」となる
伝え、贈る事は反応を要求する事となり
見返りを求める「下心」となる
なんとも悲しく滑稽なパラドクス

ヒト成らざるモノである「偶像」の『愛』
その瞬間はマッチングされる事で『愛』を生成する「恋愛」
などの場面でしか存在を確認し得ないので先の記事の様な『愛』の在り方は絵空事でしかないのだろうなとの見解

大事に想う相手へ「真心」を持って接してきたつもりで主観的にしか見ていない独り善がり
自分視点でしか考えられていない一方通行
客観性を含まない愛情表現とは実に身勝手な自己満足であった場面が多々あるのではないかなと

自分が伝えたい気持ちだけに因るアクションは望まれたものでなければ迷惑でしかなく
それこそ重たいものを押し付けられても相手は困るばかり
客観的に分解していくと本当に救いのない感じになってしまいますね『愛』ってものはw

「心」が絡む文字に関わる行動は押し並べて自分以外の相手とのやり取りが基本となるもので
「迷惑」や「不快」にならない範囲で様子を見ながら伝えなければならず
一方的に押し付けてしまう行為は暴力でしかない

「家族愛」などのようなものだって押し付ければ害でしかなくなるものではあるけれど
その『愛』は「義務」や「責任」が含まれたより複雑なものなので
好意を寄せる相手に対するソレとはまた様相が違う

あれこれ述べてみると『愛』とは伝え、贈り、届けなければ成り立たない性質を持っていて
本当に相手を想うのであれば「しない」ことこそが「真心」となるので
好意が行き交わない間柄では成立せず
利害や損益などを前提とした地盤では虚像でしかなくて
「自分『は』愛してる」などと言う状態ではソコに『愛』なんて存在しない

流れ星がそこに在るだけでは目に見えず光もしない様に
双方向ではない『愛』のカタチを追い求める事は燃え尽きることへ向かうこと
どの様なカタチであれ終わりのその瞬間を迎えてこそ答えが出るものなのかなと
勢いはそれぞれに異なるものの終わりはどんなものにも等しく訪れるもので
その軌跡をより良く整えて進めることが出来たのならば
受け取られない想いも光を放つかもしれない
終わりのその瞬間、失われた後に

受け取っては貰えない、受け手の存在しない行き場のない「真心」
その答えはいつか自然に訪れるまでそっとして置くことで綺麗な光を放つ可能性を含むものかなと


『愛ってなんだろう』
答えは未だ解らない


雑な思考整理展開なので意味不明な部分が多く、イタイ感じの文章を最後まで読んで頂いたアナタへ

この記事があなたの明日からの世界をより良く出来れば幸いです

それでは

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