活字中毒言葉依存症

皆さまこんにちわ、あるいはこんばんわ

思い浮かんだ瞬間TL荒らしそうな呟きだったのでnoteに書こうとしたのに色々あってその下書きすらけしたけどやっぱり書いている駄文ですw

思考を文字にして、言葉にして
記したり、発したりして
自己確認する癖がずいぶん昔からあります
かれこれ20年以上はデジタルメモ日記を書いているとは思います
「なんか違う」とか「そうじゃなかった」とか後から上書きされた思考に合わせて書き換えたり消したりもします

ツイ消しが多いのもその癖のせいです
Twitterは特に取り残した発言が自分の環境では管理しにくいので消すのが早いです
誰が見るでもないメモ日記すら思考的なものはすぐに消したりします

その時折々で直情的にアウトプットする事で自身の中にある感性が今どういう状態なのか確認する作業ですね
人の心の在り様も世の中も移ろい易いもの
その瞬間その瞬間を認識して糧として刻むことで感性や思考が豊かになったりするのではないかなと

僕の場合は小学校低学年頃が活字中毒の起源で
以前にどこかの記事に書いたかも知れないし蓋したかも知れませんw

通っていた学校では昔、高学年向けの辞典や小説などは注意して扱えない図書室の別部屋に保管されていて休憩時間はそこに入り浸っていました
図書室をよく利用する同級生でも本当に児童向けのオープンスペースに置かれた文字が大きく平仮名多めの分厚くない本を読んでいました

今思えばうちの親は僕にガリ勉にでも成って貰いたかったのか小学校入学頃から文字多めの本を与えて来ていました
その影響か活字に依る情報を好みました
マンガだって嫌いではありませんでしたが児童向けの薄い感じの本は興味を持ちませんでした 
(皆が読んでる本を読まないからこういうのが浮いてぼっちになる原因では…)

親の目論見通りに崇高な模範学習生徒にはならずに奇妙な知識欲求オバケになっていたので図鑑や辞書的なものが特に好きでした
シートン動物記やファーブル昆虫記などは大好物でしたね

結局のところ少々複雑な環境で幼児期を過ごした影響か幼児特有の「ナゼナニ」が消えないまま成長したとも言えるかも知れません

小学校高学年以降になり行動範囲が広がってくると図書館を巡り出したりしていましたね
昔は「ググる」が出来なかったので気になった事は図書館に探しに行っていました

知らない文字、知らない言葉、知らない表現を求めて活字の羅列から空想世界に浸る
ここまでがセットですw

中毒の話に踏み込みます

高校辺りから活字に餓え始めました
文芸書や小説などの新しい物語を次々に読まないとソワソワするんです
学習大好き超優等生でもないのですが国語の教科書なんかは配布されたその日には読破していたくらい物語ならなんでも吸収したい欲求が強かったです
異常だなと自覚しているポイントは本を読み出すと読みきるまで読み続けること
現実に帰ってこなくなります
大概は色々済ませた夜から読み出して厚さにも依りますが深夜か明け方には読みきる
速読などのスキルは持ち合わせてないので新しく借りる、買うなどした本の扱いはそんな感じ

依存症についての話

これは今だからこそ落ち着いて分析出来るようになった事かなと思います
居るのか居ないのか解らないくらい大人しく静かな子供ではあったのですが…
喋る
とにかく喋るのはよく喋る口数が多い
気がついた頃から独り時間は多かったし独り遊びを大人しくしているのが当たり前
小さな子供は見えないナニかと会話していたりすると言う話などありますね
あれの振り切った感じですw
独りで世界が出来上がって独りで会話して独りで演じて独りで鑑賞して独りで批評する感じです

オイ!w痛い感じになってきたぞ!?w大丈夫か?w

と、彼方へ旅立つ前に軌道修正します
冷静に認めるとなかなかヤバいですねw

ここで簡潔にまとめると中毒と依存症は呼吸であり日常であり生きているということなのです
吸ったら吐く
それだけ
吸わなければ吐けないし
吐いたら吸わないと
某かの歪な影響を受けるとこう、尖った感じで
吸って吐くを超越した中毒と依存が爆誕したりするのではないかなと思います


さて、ここまで読んで頂いた方に明かすと
「自分語りかよ」でこれは個人の体験談だから再現性がない
こともなく、打ち直し可能だよと言う話を

特殊に生きて成功したり、能力を手に入れた方はよく再現性がないと口にされるのを見かけます
トレースは出来ずとも模写は出来るものです
例えば今回の話、あえて抽象化せずに具体的タイトルで個人の主観にしました
これを読んで何か身にしちゃうかなって思える人には役に立つだろうし「自分語り乙」と閉じてしまう人はそもそもこんなもの読んでも役に立たないので

言語に関して「吸って吐いた」結果として
言葉を編んだり言葉を咀嚼する力が身に付いたと思います
手前味噌になるのはあれですが雇われていた頃もフル活用していたし、近年でも「言葉」に関する事で入選してささやかでも収益が出たり
皆様にもそのような「ナニカ」ありませんか?
と、言う話です
呼吸のように気がつけば「行って」気がつけば「求め」気がつけば「向き合って」いるモノ

前半の方で述べた「確認する作業」
つい忘れたり行ってない方はいらっしゃいませんか?
自分が大事に抱えているもの、愛しているものを確認して認識することで身になるものです
好きなものは「好き!」と叫んでその様に振る舞う事は大事なのではないかと

僕は言葉が好きです
言葉を紡ぎ、言葉を咀嚼する事が好きです
言葉を愛しているとも言えます
転じて、噛み堪えある言葉を紡ぐ人が好きです
言葉では伝わらないと言う感性を持つ人にでも言葉を尽くして言葉で尽くしたいと思います

別の話になってしまうので触れるだけですが「描く」事も自分の呼吸方のひとつです
呼吸の深さは違えど複数の呼吸方を抱えているのが一般的ではないかなと思います
それを行う事で呼吸する、生きている人は少なくはないのではないかなと
どこかの「天才」と呼ばれた人が言っていました
自分は誰よりもひとつの事と向き合っていただけだと
それこそが「才」ではないでしょうか?
才能なんてあるかないかを一喜一憂するものでなくて積み重ねてきた「ナニカ」の上に当たり前に存在するもの
どんな才能も在ります
続ければ

前提条件なく毎度降って湧くようなモノを「天才」と呼ぶのではないかなと
自分はどこぞのフィクションに登場するような天才でもないので「視て」「模した」ことしか出来ません
再現性を意識される方は「なぞる」よりも「視て」「模す」ことをオススメ致します

合理性を求めるのにこんな無駄な雑記を読んでいるアナタが存在するならば
それは好奇心を殺さずに感性、「こんな感じ」を大事に最終的には合理的に過ごせていると思います
モラハラ気質で「無駄!斑!無理!」が良くないとキレ散らかす人も存在しますが
無駄も斑も大事です
余白は必要
無理や無茶は良くない心身を傷めます

皆もっと健やかに、しなやかに生きられたらいいなと思います
自己保身を含みつつ
落ち着きなくあれこれしてみても良いのではないかと思います
それで譲れない「ナニカ」を大事に抱えて行けたら
それは何処かで尊い成果を出しているかもしれない
そう思うのです

言葉は固定されていて綺麗にパッケージされているものなのでそのまま受け取って貰えなかったり響かなかったりして言葉を愛するものとしては少し悲しい
けれど悪用される事もあるし、守られないこともあるので仕方ないのだろうなぁとは思います

なんだか色々あって書きながらの中断多すぎて飛び跳ねすぎな内容になったので今回はここまで

ここから何か発掘して使える
そんなあなたに…

この記事があなたの明日からの世界をより良く出来れば幸いです

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