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日々の中で抱いた違和感

こんにちは。
本日は4/1、新年度ですね。
フレッシャーズの皆様、おめでとうございます。
とはいえ、多様な令和の時代。
季節関係なく、フレッシュな方々はいつだっていらっしゃることでしょう。

昨日も♡、コメント、フォローをいただきました。
お顔の見えない手の平の中の世界、とても嬉しいです。

本日は、特養で働く新人の私が、日々の中で抱き始めた違和感について。

親ワーカーであった長谷川さんとのダブル勤務も終了し、独り立ちした私。

なにもかもが、初めてであった"介護"もそれなりにこなし、時間内に終わらせる。
流れ作業のような毎日。

現場スタッフにはなんとなくグループがありました。
"言う側"と"言われる側"
そう、陰口や悪口を。

言う側は"長谷川組"。
私は心の中でそう呼んでいました。

表には出さなくても、悪口や陰口を聞いて賛同するだけでも"長谷川組"です。
私はその中の一人でした。
そっち側の人間であることが、なんとなく勝ち組の雰囲気。
「入ったばかりなのに広瀬さんすごいね!頑張ってるね!」
長谷川さんや、同じグループであろう先輩には、たくさん褒めてもらい、それが当時の私のモチベーションでした。
現在の私が振り返ると、とてつもなく恥ずかしい思いでいっぱいです。

言う側と言われる側の違いは、"仕事が早いのか遅いのか"、それだけです。
今思えばそれだけ。
当時は、それこそが全てでした。

シフトを見ては、遅い人との勤務の日を探し撃沈する。
その日は死にものぐるいで業務を終わらせる。
「何で私の方がこんなにオムツ交換をしなきゃならないの?」
「食介しながら下膳してるのも私じゃん!あの人はなにやってるの?」
とにかくずっとイライラしていました。
なんとくだらないことでしょう。

その当時介護主任だった男性。
飯島さん 47歳 
この業界は確か8年目ほどで、前職は営業職の方でした。
見た目は、小太りの、THEおじさん!

物腰はとても柔らかい方でしたが、とにかく仕事の遅い飯島さん。
主任であるにも関わらず、長谷川さんからはいつもボロボロに言われていました。

私自身も、飯島さんと早番や遅番、夜勤の日が同じ所を見つけては、ため息の日々。
「あぁ…また私がさっさと進めていかないと…」
勤務が重なる日は、いつもそう思っていました。

そんな私も、特養で働く日々が1年を過ぎるか過ぎないか…そのくらいの頃です。
なんとなく余裕も出てきました。
業務をしながらも、別部屋でオムツ交換をしているスタッフの会話に耳を傾けたりすることができるようなりました。

その日も飯島さんとの勤務の日…
遅くてもなんでもどうでもいい、私がその分動けばいい、もはや諦めモードで業務に臨んでいました。

ふと、隣の部屋から入居者の方と飯島さんが会話しているのが聞こえてきました。
内容は覚えていませんが、とても楽しそうで穏やかな会話。

「え…隣って、藤枝さんだよね?なんで…」

藤枝さん
彼女は完全に半身麻痺で、会話はできるけれど重度の認知症。
攻撃型タイプ(おかしな表現でしたら申し訳ございません)でしたので、介助の際は必ず噛みつかれたりつねられたり…
彼女の介助の際は、私や他の職員は必ずアザや傷がたくさんできました。
痛みにも慣れるもので、どうでもいい、そんなものだ、と思っていました。

その藤枝さんのオムツ交換をしながら、楽しそうに会話をしている飯島さん。
内心、とても衝撃を受けました。

その日から、私は業務の傍ら飯島さんの動きや入居者の方々の様子を観察するようになりました。

長谷川さんや、長谷川組の先輩方達と勤務が重なる日
飯島さんや、飯島さんサイドの先輩方と勤務が重なる日

意識すると違いは歴然です。
なぜ今まで感じなかったのでしょうか。

圧倒的に、飯島さんとの勤務の日のフロアは穏やかなのです。
もちろん終わらせなければならないことは、毎日必ずあります。
それなりに忙しいのは当たり前なのですが…とにかく入居者の方々、特に認知症の強い方、幻視幻聴の強い方、普段、"手がかかる"と言われてしまいがちな方々が、とても穏やかな様子でした。

この頃から、当時自分が思っていた"良い介護"、"仕事のできる人間"、という所に違和感を抱くようになりました。

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