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今でも泣けてくる…忘れられないニャンコの話。~教えられた2つのこと~

もう、あれから何十年も経っているというのに
今でも鮮明に浮かぶ、忘れられないニャンコがいる。

そして、このニャンコに教えられたことが2つ。
命の尊さ
命の優先順位

愛猫家の方は、すみません。

あれは、小学3年生のとき。
渋めの赤いランドセルに黄色い傘、土砂降りの学校からの帰り道だった。

友達と別れ、もうあと少しで家に着くというところ
坂道のわきの茂みから、か細く鳴く声が「みゃあ…みゃあ…」

土砂降りの中に捨てられた子猫なのか、
ずぶ濡れで体の模様がわからないほど、息も絶え絶え震えていた。

そうっと手を伸ばし、手に取ってみると、
小学生の両手から、少しだけはみ出るくらいの子猫だった。

子猫を連れて帰ることに

その子猫を、着ていたカーディガンで拭いてやり、
そのまま覆い、胸に抱いて帰ることに。
雨の中には、とても戻せなかったのだ。

けいれんは治まってはいたが、か細く鳴く声はさらに、か細く。

「連れて帰ったら、なんて言われるだろう…」
「褒めてくれるに違いない!」
小さいときから、ポジティブ思考だった。

子猫を見た母は


「雨の中に捨てられていたみたい。可哀そうだから連れてきた」
母が
「なんで、そんな猫を拾ってきた!橋の上から投げ捨てなさい!」

私は、耳を疑った。普段優しい母が鬼のように…。
しかし、まだ10歳、親に逆らうすべを知らなかった。

これが、小学生でも高学年だったら、
怒られても自分の思うようにしただろう。

子猫を抱きかかえ

確かに鳴き声もしなくなった、その子猫を抱きかかえて
近くの橋の上までとぼとぼ歩いた。
もうあたりは、雨のせいもあり薄暗くなっていた。

雨の中、傘も差さずに、子猫を抱いたまま立ち尽くすだけ。
いくら「橋の上から投げ捨てろ」と言われても、
どうしても、どうしても、できなかった。

10歳の小さな胸は、もう張り裂けそうだった。

子猫を…

泣きながら、橋の下まで降りて川のところへ
もうすでに、動くことも鳴くこともなくなっていた。

それでも、最後の力を振り絞り、声にならない声で
かすかに「みゃ……あ……」と鳴いたような気がした。
ランドセルを背負ったままだった。

そのランドセルの中からハンカチを出して、
子猫の顔だけ出してくるみ
「ごめんね…ごめんね…」泣きながら雨で濁った川の流れに…

10歳の心は、張り裂けた!

ランドセルを背負ったそのまま、雨の中にうずくまり、
大声で泣きじゃくるしかなかった。

子猫に教えられたこと「命の尊さ」


私が家に子猫を連れて帰ったときには、その子猫を見て、
もう亡くなるか、それとも亡くなっていることが、
母にはわかったのだろう。

ひと思いに、ということだったのかもしれない。

それでも、小さな命、雨の中に捨てられていた子猫
さらに、その子猫を川に流したことは
それは、一生背負わなければならない十字架なのか

10歳の私は、それすらもわからず、
ただ「命の尊さ」だけは胸に刻んだ。

子猫に教えられたこと「命の優先順位」


それから、ずっとずっと年月が流れ
私があのときの、母の年齢になったころ
やっと、あのときの、母の気持ちが理解できた。

もう一つ子猫によって教えられたことは、
「命には優先順位があるということ」

当時の母は私の祖父母にあたる、認知症の舅と
足腰が不自由な姑の二人を介護していた。

さらに、年の離れた妹は、まだ3歳。
当時は保育所に行く年齢ではなく、まだまだ手がかかっていた。

そして、あの子猫のことから、何日もしないうちに
祖父は亡くなった。

あの子猫のときには、祖父は徘徊もしなくなり寝込んでいたのだ。
そんな状態のところへ、ずぶ濡れの子猫。

そんな今にも亡くなりそうな、いやもう亡くなっていたかもしれない
子猫より、目の前の舅の命を優先するのは当然のことなのだ。

おわりに

母は、舅と姑を通算20年も介護をした。
そして、母自身も介護を要する人となり、
18年間姉と私に介護されて亡くなった。

私も、母の他に父、そして舅と姑、4人の介護を余儀なくされ、
やっとあの時の母の気持ちが、痛いほどわかることに。
とても、死にそうな捨て猫の世話まで、考えられない。

ただ、息子が当時の私のように、
子猫を拾って帰って来たら、こう言っただろう。
「大切な命、あなたが最後まで責任をもって看なさい」と。






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