#112 日本製紙は、もともと王子製紙だった?!
『紙について楽しく学ぶラジオ/Rethink Paper Project』
このラジオは、「紙の歴史やニュースなどを楽しく学んで、これからの紙の価値を考えていこう」という番組です。
この番組は、清水紙工(株)の清水聡がお送りします。
よろしくお願いします。
お知らせ
本題に入る前にお知らせをさせてください。
ソーシャルグッドな紙の作り方や使い方を提案するプロジェクト「Paper for good」第1弾の商品がリリースとなりました!
紙からできた、地球にやさしいピクニックシート「CITON(しとん)」です。
職人が一枚一枚手で揉んでシワを付けた和紙が4枚重なった贅沢なシートで、まるで綿が入っているかのような座り心地です。
色は、自然をイメージさせる淡いブルー、ピンク、グリーンの3色展開です。
シートを入れるオリジナルのバッグも付いており、ギフトにもピッタリです。
この「CITON」をもってピクニック行く場合と持って行かない場合で、満足度に5~10倍の差が出るとも言われています。
1月30日から予約開始となっており、ご予約いただいた商品は、5月から順次発送予定です。
番組の概要欄に、オンラインショップのURLを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてください。
さて、本題に入っていきたいと思います。
日本製紙は、もともと王子製紙だった?!
前回の放送で、製紙業界大手の決算短信を見ていきました。
業界1位は王子ホールディングス、2位・日本製紙、3位・レンゴー、4位・大王製紙でした。
さて、この中で、もともとは同じ製紙メーカーだったが、分かれてしまった会社があります。
どことどこでしょうか?
正解は、王子ホールディングスと日本製紙です。
そう、業界1位と2位の製紙メーカーは、実は、もともと同じ会社だったんです。
元の会社名は、「王子製紙」。
なんと、日本製紙は、もともと「王子製紙」だったんです。
ビックリですよね。
渋沢栄一たちが設立した「王子製紙」
実は、今の王子製紙、4代目なんです。
色々な変遷をたどって今を迎えています。
初代王子製紙が誕生したのは、明治初期の1873年(明治6年)。
創業者の一人は、あの渋沢栄一です。
ご存知の方も多いと思いますが、「日本資本主義の父」と呼ばれ、今なお現役バリバリの企業たちを創り上げた偉人です。
王子製紙の他、日本最初の銀行・第一国立銀行(現在のみずほ銀行)、東京ガス、いすゞ自動車、大日本印刷、日本経済新聞、東京電力、帝国ホテル、キリンホールディングス、サッポロホールディングス、アサヒグループホールディングス、、、これだけの企業の設立にかかわっているんです。
半端じゃないですよね。
東京証券取引所の設立にも関わっています。
まさに「日本資本主義の父」ですね。
しかも、元々官僚だったというのも驚きです。
そんな、渋沢栄一先生が設立メンバーに入り、日本で3番目にできた機械抄紙メーカー「王子製紙」を設立します。
財閥解体による解散
その後は、海外進出や合併を繰り返し、巨大製紙メーカーに成長していきます。
そこに待ったをかけたのが、「過度経済力集中排除法」です。
すげぇ怖そうな名前の法律ですね。
「過度経済力集中排除法」ですよ。
これは、戦後の財閥解体政策の一環で作られた法律です。
王子製紙は、見事にこの法律の対象になり、1949年に解体となります。
そして生まれたのが、苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社です。
その後の合併は、もうむちゃくちゃややこしいし、覚える必要もないので省きます。
簡単に言うと、解体後3社に分かれたうちの、苫小牧製紙と本州製紙が、現在の「王子ホールディングス」です。
そして、もう1社の十條製紙の流れを受けるのが、現在の「日本製紙」ということです。
渋沢栄一のパワフルさ
現在の業界1位、2位の王子ホールディングスと日本製紙が同じルーツだったというのも驚きですが、今回一番の驚きは、渋沢栄一先生のパワフルさですね。
「あの人、絶対何人かいるよね」っていう人、たまにいますが、その筆頭ですね。
10人でも足りないです。
ゴーストライターならぬ、ゴースト実業家が何人かいないと説明できない実績です。
という訳で、今回は以上となります。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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