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自問自答ファッションと『グローバリゼーションと人間の安全保障』

 今さらですが、タイトルの自問自答ファッションについて興味ある方はあきやあさみさんのnoteをご覧ください。ご本人の記事ももちろん楽しく学びが多いですが、自問自答ガールズの皆様の語りが読み応えあって、毎日のように新着を追いかけてます。


 さて、先日図書館から借りたアマルティア・セン講義『グローバリゼーションと人間の安全保障』、講義4本分なのでさくさくと読み終えました。

・グローバリゼーションは西洋に特徴的なものでも、近現代になってうまれたものでもなく、人類文明が発祥した当時から人的交流という形で存在した。だから単純にグローバリゼーションの流れに反対するという立場には意味が無い。
・真の問題は、グローバリゼーションによって生じる利益が様々な格差を縮小すべく分配されるべきなのに、それが為されていないことにある。政府は公共政策を通じて市場経済下でも利益を誘導し、「人間の生存、日常生活、尊厳を脅かす脅威」に対応することができる。
・「文明の衝突」というアイディアは、文明というひとつの分類法が、ひとりの人間の複数あるアイデンティティの中で優越しているという前提の元に描かれているので、そもそもの前提が間違っている。

 で、「第三章 文明は衝突するのか」において語られてることを読みながらはっと思ったわけです。

「アイデンティティは複数あること、そして、そのうちのどれを強調し、優先しようと、自己認識の選択権は私たち自身にあることが重要です。」

『アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障』ちくま学芸文庫 89頁

 これって自問自答で言うところの「糖衣」じゃない? 社会性への譲歩として纏う「糖衣」(正露丸のガワにくっついてるあの甘い部分)は存在せざるを得ない。服装の選択については制約がつきものである(社会的立場とか予算とかが一般的な制約の例)。その上で、私たち自身で自己認識を選択した結果として、着るものを選んでいこうぜ、っていう態度。

 なんかすごい繋がってるなあと感動したので書き残しておきます。

「人類の協調も幅広い多様性も、危険なほど単純で、ばかげた公式に還元してしまうことはできません。世界は、そこで想定されているよりも、はるかにずっと豊かなのです。」

同書 110頁

以下は覚え書き。 

(前略)このような観点(「人間生活の諸機能」と「潜在能力」)の下、センは「平等」の意味を、次のように再解釈していく。すなわち、従来の経済学は主に「所得」という観点からのみ、平等や不平等を捉えがちであった。しかし、人ができることやできないことの不平等は、単に所得だけに関連しているわけではなく、たとえば、身体の不自由な人の困窮の程度は、そうでない人の困窮の程度よりもずっと悲惨な場合が多い。それゆえ、平等とは「各自の潜在能力を十分に発揮出ることの公正さ」と考えられなければならない。そして、所与の自然的・社会的境遇においてハンディキャップを抱える人が多く存在している以上、この点を配慮し是正するような公共政策こそが平等を実現する。

同書 「解題 センの経済思想と文明思想」山脇直司 169-170頁

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