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柳原良平主義〜RyoheIZM 39〜

描きたくない被写体


描こうと思えば

柳原良平は広告出身の画家でありデザイナーだ。発注されれば基本的にはなんでも描かねばならない。とはいえ、どんな注文があろうが柳原はプロ中のプロ。描けないものなどはない。だが描きたくないものがあるらしい。

少年時代に戦争を体験した柳原は小学校2年ですでに、すべての戦艦や重巡洋艦の名前を、漢字で読み書きができるようになっていたと。そのくらい船が好きで、そこから客船のフォルムの美しさに惹かれて「船キチ良平」になった。

船は好きでも

船については絵葉書の収集にハマり、店ではあらゆる船の絵葉書を買い漁る。店では他の絵葉書も売っており、魚や虫の絵葉書も買い、それらの模写に取り組んだ時期もあった。だが動物や鳥だけは買わなかった。好きではなかったからだ。

柳原は「自転車」と「馬」は描きたくないと公言している。得意/不得意ということかは本人に聞かないと不明だが、それとは少し違うような気がしてくる。

「自転車」はイヤ

自転車を絵に描けば車輪が中心にくる。描くときは当たり前だが、車輪を正円で描かねばならない。楕円や三角で描くと車輪が回らないことは明白で、動かない自転車になってしまうからだ。

それは自転車という移動機能を持つ装置において、機能美が失われてしまうことを意味する。つまり車輪は、自転車にとって、最も目立つパーツであると同時に、自転車という被写体は、車輪という機能美そのものをむき出しにした乗り物だ。そこに描きたくない理由があるのでは?と思った。

同じ理由で

柳原は乗り物であまり好きでないのは「車」だとも語っている。絵本などでは、かわいい自動車をたくさん描いているにもかかわらず、だ。

理由は自転車と同じで、原因はタイヤにある。タイヤも、自転車の車輪と同様に正円でなくてはならない。そして、おそらくだが、シンプルで完成された”正円”という形状に興味がないのではなく、”正円でなければならない”のが面白くないのではなかろうか。画家的な視点で見ると、そこにデフォルメの余地がないのだ。

「馬」もイヤ

そして馬。これについては柳原が「馬のフォルムは美しく完成度が高いので、デフォルメしたくない」といったようなコメントを読んだことがある。柳原なら、足を短くしたり、胴を長くしたりなどのデフォルメは簡単だ。それをしたくないのは、馬が生まれ持って生まれた機能美が損なわれてしまうという、柳原流の審美眼が立ちはだかったからではないのか。

柳原は馬も描いているがそれは、頭だけとか首から上とかで、全身を描いたものは見たことがなかった。だが、元こぐま社の編集者・関谷氏によると絵本『十二支のしんねんかい』で馬の全身を二度描いているらしい。

しかししれでも嫌いと明言しているのは、美しくも逞しいプロポーションを持つ馬の背に、2頭身半のアンクルを乗せたくなかったのだろうと感じた。

できないデフォルメ、したくないデフォルメ

以前にも書いたが、デフォルメとは、形状を変形したり歪めたりすること。特徴を誇張したり省略したりするといった意味は、日本独特の解釈らしく、本来の意味ではない、というのは、帝京大学名誉教授の岡部氏が語ってくれたこと。

柳原にとって、デフォルメする、つまり変形したり歪めたりする対象として自転車と馬は、その理由は異なるものの、できれば避けて通りたい対象だということらしい。それは、柳原良平の画家としての審美眼に基づき湧き上がってくる感覚なのだろう。(以下、次号)


※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。                                                               

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