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【新潟地区】「帰る」ことのできる場所づくり~後編~

新潟県上越市にある、NPO法人かみえちご山里ファン俱楽部。前編では山あいの小さな集落に人が集まる理由、かみえちごだからこそできる事業やイベントづくりについてお話を伺いました。
後編では、試行錯誤しながら生まれた商品や、かみえちごの役割、地域の人々に学ぶ“これからの時代に必要なスキル”についてお話を伺っていきます。

(前編はこちら)


最初は市の施設の管理・運営という受託事業から始まったかみえちごだが、それだけに頼らない、自立した財源の確保を目指そうという意識をずっと
持ってきた。地域おこしを事業にするのは簡単ではない。地域のために、自分たちは何ができるのか、暗中模索の日々だった。

「例えば、伝統行事に参加してみて、それが大事だとわかっても、自分たちが生きていくための糧にはならないですよね。だけどそのエッセンスは役に立つのではないかと思っていました。何か形を変えて、皆さんに見てもらったり、来てもらったりできないかと模索し続けてきたのが十数年。その期間がすごく長かった。地域の人から『よくそんなことで食っていけるなぁ』と言われたりもしました。でも、その中でだんだんと精査されていったんです。」

中ノ俣春祭り(猫又寸劇)


そんなかみえちごの皆さんの中には、暗黙のルールがあった。それは、「1回始めたらやめない」ということだ。「継続は力なり」とはよく言うが、実践することはなかなか難しい。

「とにかく続けるのが大切だと思っているんです。子ども向けのイベントでも、続けていたらその子の兄弟とか参加してくれたりして繋がっていくし、自分たちもレベルアップしていく。関わってくれる人が増えると、提供することの質も上がっていくことが分かりました。ただ続けていくだけではなく、自分たちや地域の人にとって、どんなふうに成長していけるかなというのを考えて、取捨選択していったのがここ5~6年ですね。」

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そうやって、自主事業は今では全体の事業の3分の1程にもなったのだが、「でも、それはかみえちごがいなくても地域の人たちだけでもできるかもしれない。もともと地域にあるものを使っているだけだから。」と渡邉さんは言った。

しかし、中ノ俣で生まれ育った石川さんは、集落民の視点から感じることが別にあった。

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「でもさ、集落民だけで営業みたいなことをやろうと挑戦したりするんだけど、収支の管理とか専門的にやってきた人がいなくて、だんだん帳簿が合わなくなってしまったりするんだよ。中ノ俣集落でも漬物やにんにくやたばこをやらないかと提案されて、いままでずっと色んなことを試してきた。それも、集落で生き残っていくために。結局続かなかったのは、収支が上手く管理できずに、自分たちがどれだけ儲かっているのか把握できなくなったからなんだよね。損していてもどこに原因があるのかを明らかにできなかった。それで続かなかった。」


松川さんたちは「私たちは専門じゃないですよ」と謙遜していたが、そんな風に収支の計算をしたり、助成金を使って設備を整えたり、生産体制を構築したり、販路を築いたりできたのは、かみえちごの人たちがいてこそだと、石川さんは実感している。そうして生まれた商品が、梅干しや、味噌だ。作り方は、この地域に昔からあったもの。だから添加物など入っていない。毎日使うものだから、飽きのこない味が大事だという。地元の人も買ってくれるようになって初めて、「売れるようなったな」と思えた。作っている人にしてみれば「こんなに高いの?」と思われるようだが、素材にこだわり手間ひまかけて真面目に作る商品にはそれだけの価値がある。リピーターがいることが何よりの証拠だ。地域の人自身に「自分たちがやっていること、作っているものにはこういった価値がある」と気づいてもらう。それもかみえちごの人たちの役割だろう。

加工品商品 (2)

梅干 (2)



かみえちごの人たちの話を伺っていると、地域の人々に対する尊敬の気持ちや、地域を愛する気持ち、連綿と受け継がれてきた技術や、生きるための知恵を誇りに思う気持ちが伝わってくる。かといって、昔からの習慣や技術に縛られることもない。例えば、火起こしするにも、子どもに薪割からやらせるのではなく、薪割り機を使うこともある。伝えたいことを伝えられるのであれば便利な道具も使う。古い道具にこだわらない。高齢化が進む地域では、自動運転のシステムや、オンライン診療等も導入されるようになるといいと考えている。受け継ぐべきもの、新しいアイデアを加え違う形に昇華していくもの、今までになかったサービスや技術を取り入れるもの、情報を集め、何が最善の方法かを模索していく。もしもわからなくなったり、迷ったりしたときは、地域の人たちに聞いてみる。その中に答えがあることを、かみえちごの人たちはよく知っているからだ。

031004 稲背負い 043



一方、地域の人たちと接していく中で、人間関係に難しさを感じることはないのだろうか。石川さんによると、集落民には人付き合いの仕方というのがあって、人間模様が面白いという。

「集落民っていうのはさ、会社員とは違ってそれぞれが自営業でやっている。だからひとりひとりの個性がすごく強いの。けど、たとえ相手のことが嫌いだったり顔を見たくないと思っても、普段の生活の中では挨拶もするし、お酒も注ぐ。気が合わなくても、その人を村八分にしたりしては絶対いけないというのがある。その人が持っている特技が、自分にとって必要になる時がきて、協力してもらわんといけなくなることもあるもんだから。そこらへんが、おもしろい人間模様があるんだよね。」

仕事を終え、途中から合流してくれた三浦絵里さんも、それは今の人たちにはないスキルだという。

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「価値観の違う人と一つのことを成し遂げていくのは、これからの時代に必要なスキルじゃないですか。色んな価値観の人が、これからもっともっと増えてきますよね。違いを認めながら同じ方向に向かっていくのは難しいことだけど、求められていますよね。学校教育だけではなかなかそこまでは教えてもらえないけれど、どうやったらいいのかっていうヒントが、実は地域のコミュニティの中にあるんだっていうことに気づいた20年でした。」

都市化された生活の中では、便利なサービスや道具によって人との関わりが薄くても暮らしていけるようなシステムができあがっている。もしかしたら、そんな生活に慣れてしまったせいで、自分の嫌いな人や性格の合わない人と関わることが苦手になっていっているのかもしれない。人はひとりでは生きていくことはできないのに、ひとりでも生きていけるような気がしてしまう。それが一番の問題なのではないかと、三浦さんは危惧している。

●060503中ノ俣春祭り神輿 041


渡邉さんも、「一人では生きていけない」ということを、この地元に戻ってきて痛感した。

「20~30代のころは『自分はなんでもできる』と思って頑張ってきて、ここに来ても『なんとかやっていける、平気だ』と思っていたんです。でもそれが根底から覆されて。地域を見てみると、それぞれ家族や地域の人のつながりがあって、皆一人ではないんですよね。それが私にとっては今までにない価値観だったんです。『一人でできることは本当に少ないんだな』と気づかされちゃった。できると思っていたのにできない自分がいて。だけど、この地域には、思い直して再チャレンジすることを許してくれる懐の深さもある。『頭でっかちの人がきたな』とはねのけないで、こういうこともできるとやって見せてくれる。だから、すごく素直になれるし、今からでもやってみようと思える。」

9月予定わら細工体験会 (2)


当たり前だけど忘れがちなことを、この地域の人々は教えてくれる。大切なことは、「技術そのもの」ではない。例えば、田んぼでの活動にしろ、かみえちごの人たちが伝えたいことは、米の作り方ではない。そうではなくて、手を使い、道具を使い、知恵を借り、助け合い、その過程に、生きるために役立つことがいっぱいあると考えている。地元の人は子どもに「ここは何もないから東京に行ったほうがいい」みたいに言うこともあるようだが、かみえちごの人たちに言わせれば「ここにはなんでもある」のだ。だから、子どもたちにはこの場所を好きになってほしいし、いつか戻ってきてくれたら嬉しいと思っている。そのためにも、「帰りたい」と思った時に帰れる場所にしておかなければいけない。

棚田2

5月予定棚田学校3 (2)

4月予定棚田学校2 (2)



この地域で、やらなくてはならないこと、やりたいことはまだまだたくさんあって、尽きることはない。お話を伺っていると、教育や福祉、頭を悩ませるようなことがたくさんありそうなはずなのに、なんだか皆さんを見ていると楽しそうだ。日々の暮らしと仕事、別々ではなく一つの営み。日々の暮らしの中にこそ、大切なことがある。他者を認め合い、困ったら助け合い、応援しあい、試行錯誤して進んでいく。それもまた、この地域の人が教えてくれた生きる強さなのだろう。そして、渡邉さんたちもこれから、よそからやってきた人やUターンで帰ってきた人々に「ちょっと寄ってお茶しない?」と言って、温かく迎え入れていくのだろう。20年前に、この地域の人たちがそうしてくれたように。

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(左から)三浦絵里さん、松川奈々子さん、石川正一さん、渡邊恵美さん

【投稿者】ろうきん森の学校全国事務局(NPO法人ホールアース研究所)小野亜希子​




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