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【R.O.T. People】「美味しい」の一言が聞きたくて。僕の仕事が楽しくてしょうがないって話

【R.O.T. People】
株式会社ロットには、どんな人がいて、どのような想いを持って働いているのか。一緒に働くメンバーすら知らない情報盛り沢山で、R.O.T.の「人」を紹介します。

【プロフィール】
北戸田「町の洋食 パーラーオオハシ」店長
白井 貴之。呼び名「白井」
1997年生まれの27歳。20歳の時に福島県郡山市から上京し株式会社ロットへ新卒入社。居酒屋、ダイニング業態での勤務を経て2021年7月パーラーオオハシの立ち上げ社員。2023年3月より店長へ昇格。名前の由来は、貴乃花とお父さんの名前から。

学校よりも、山

ーーまず最初に、あなたの生い立ちを教えてください。
福島県の郡山市で生まれて、地元が三春町っていう桜が結構有名なとこなんです。地元の小学校・中学校に入学して、高校は又隣の町にある高校を選びました。
小中は、特にやんちゃしてたわけではないですけど、ただ親にはすごく迷惑をかけたと思います。週に1回は学校の先生から毎晩電話が来るとか。掃除の時間をさぼって山に遊びに逃げるとか。学校の授業を抜け出して山で遊ぶ。よくボール蹴ってましたね。

元々、高校には行く気はなかったんです。
中学卒業後に「調理師の学校に入って調理師やりたいです」っていう話を中学校の時の三者面談でしたんですけど、親と先生に大反対されまして。「せめて高校には行きなさい」と言われたので、高校に行ったぐらいです。でも、高校は部活が楽しかった。バスケをちょっとは頑張っていたと思います。レギュラーでもなく、ベンチだったんですけど。部活は楽しかったです。最初は、行きたくないとか面倒くさいなと思いましたけど、学校に行くとどんどん友達も増えて、学校が楽しくなっていきました。

たまたま見つけた、埼玉の会社

ーーロットに出会った経緯を教えてください。
高校を卒業し、福島県にある専門学校の2年制コースに入学しました。
やっと自分が行きたかった専門学校に入れて、真面目に勉強したかと聞かれれば、そうでもない。
正直、調理師学校に行きたいとも思ってなかったのも事実で。ただ、あの時は飲食店で働くには絶対に調理師免許は必須だと思っていた。だから、行かなきゃいけないなっていう義務感がありました。絶対に卒業しなきゃいけない。あくまで通過点。めちゃめちゃ勉強してやろうっていうつもりではなく、卒業できればいいっていう軽い気持ちだったんです。

専門学校1年次は、ひたすら学校行って勉強して、毎日調理実習やってみたいな感じです。2年生になって、6月ぐらいから求人が貼られるんですよ、掲示板にドカーンと。なんかもう100社ぐらいから来たのをバーって貼られて。レストラン、中華、洋食、ホテル、あとは学校給食、総合調理とか色々ありました。
その中から、たまたまロットを見つけたんです。

元々、自分の中で決めていた卒業後にしたいことが2つありました。
絶対に県外に出ること。そして、レストランで働くこと。

その2点で就職先を絞ってた時に、県外のレストランって求人が結構少なかったんですよ。ほんと10社ぐらい。学校の繋がりがある県内の企業が多く、県外の選択肢が少なく、レストラン自体の求人も少なかったです。その少ない求人の中にロットがありました。

気になってネットで調べた時に、「僕たちは明るく笑顔で元気よくをモットーに、埼玉県ナンバーワンのチェーン店を目指します」っていうホームページを見つけたんです。そこで、なんかすごく面白そうって思って。
その「明るく笑顔で元気よく」って言葉に惹かれて、良さそうって思ったのが最初のきっかけですね。

ーーどういう経緯で同級生の横山を連れてきたんですか?
連れてきた理由は、同じタイミングで就職先を調べてたんですけど。ほかにも3人くらいいた中で、僕と横山だけが洋食のレストランで、あとの人たちは和食だった。
僕、就職先選びは即決だったんですよ。彼は迷っていたんですが、たまたま先生が「迷ってるんだったら、白井と一緒に説明会行くだけ行けよ」って話で「行くだけ一緒に行きます」って一緒にロットの説明会に行って、帰りの新幹線で「めっちゃいいね」みたいな話をして、そこからはトントン拍子でした。

説明会では、ロットが大切にしている想いや社風、社員とアルバイトの関係性だったり、お客様とスタッフの距離感とかって話をしていただきました。そして、ありがたいことにまだ入社もしていないのにBBQへの招待もしていただいたんです。
入社する前からロットに関わらせていただく機会が結構あって、どんどん「もうこの会社しかないな」っていう気持ちになっていきました。ロットに決めてから、他社さんはどこも調べてないです。「もうここだ!」って頑固さがありましたね。

作った料理を「美味しい」と言ってもらえる快感

ーーそもそも、なんで料理やろうとしたの?
僕、3人姉弟で上に姉2人いるんですけど、小学校の時どっちも合唱部だったんですよ。
合唱部って夏休みに1日練習っていうのがあって、朝10時ぐらいから夜7時ぐらいまで練習する。その1日練習の時は保護者が子供たちにお昼ご飯を作ることになっていました。
その時、僕は小学3年生ぐらいだったんですけど、母と他の保護者の方々と一緒にカレーを作ったんです。
別に大して何かした記憶とかもない。ただ一緒にいて、ただ手伝いをしただけ。でも、そのカレーを食べた友達に「めっちゃうまい、めっちゃうまい」って言ってもらえたのが嬉しかった。その時に料理を作ることの楽しさを知りました。僕が料理をするようになった原点は、間違いなくここです。
僕が飲食店で働きたいって思い始めたのは、マジで小学5年生くらい。小学6年生と中学3年生の卒業文集には「料理人になる」って書きましたね。

それから「飲食やめよっかな」と思ったこともありましたけど、自分が働いていて一番楽しい環境って「飲食しかないな」っていうのは、今でもずっと思ってます。

ーーそういうイメージで料理を作りたい人って「料理人」だと思うんだけど、料理人と結びつきにくいロットをどうやって自分と結びつけられたんですか?
まず一番は、周りとの比較です。
やっぱ料理人の世界って、めちゃめちゃ厳しいイメージあるじゃないですか。僕自身メンタルは弱い方だと思っていたので、そういう世界だと自分の心がもたないかなと思ったんです。
ただロットは、飲食未経験の人が店長やるっていうのも入社前に聞いていたので、そういった点でも自分に合っていそうだと思いました。
あとは、自分がやりたいことだったり、作りたいものっていうのが自分発信でやれるというところ。そういうところが、ガチガチの料理人・レストランと比べた時に、やりやすそうだなと。
飲食店で働く上で、僕は「自分の考えたもの・自分の作ったもので相手を喜ばせられること」が一番楽しみだと思ってます。そうなってくると、一番自分の中で楽しく働けるような位置がロットかなっていうところでした。

ーーでは、ロットに入ってからの経歴を教えてください。
1年目2年目は、「55酒場(閉店)」で働かしていただいて、3年目で「KitchenT・こばとん家(共に閉店)」。4年目でコロナ禍になって、パン屋で働いて、その後2ヶ月ぐらいで「マルニーナ(閉店)」に異動してっていう感じですかね。
5年目になったとき、マルニーナがリニューアルし「町の洋食 パーラーオオハシ」の立ち上げを一緒にやらしてもらって、6年目の今はパーラーオオハシの店長という形です。

ーーこの6年の中で、一番悔しかったことはなんですか?
一番は決められなくて、2つあります。
まず、やっぱり最初ですね。初年度。55酒場で働いていた時です。
当時の55酒場っていうお店は、ありがたいことに毎月の売上も良かったですし、スタッフのモチベーションというか仕事に対する向き合い方がものすごかった。誰しもが、「お客様のために」ってお客様に対して意識をガンガンに向けていました。

入社1年目。飲食店で料理を作りたくて入社した人間が1年間キッチンに入れてもらえなかったんです。ひたすら、ホール。「あれじゃねぇ、こうじゃねぇ」って指摘され、朝礼・終礼・営業中も怒られっていうのが続いて。
その時に「やめてぇ、やめたいな」って何か自分の中で切れちゃったんですよね。「もうヤバい、無理だ」と思って、一緒に働いていた健太さん(現じゅうじゅう店長)に相談をしまして、「もうキツイです。辞めたいです。会社を辞めたいというか、店舗を異動したいです。」みたいな話をしたときに、健太さんが言ってくれた言葉が救いになった。

「別に辞めるか辞めないかは、お前の勝手だとは思うけど。でも、今ここで辞めたらお前また同じところで躓くよ。そしたら、またずっと同じことの繰り返し。その先ないよ」

って言われたときに「うわ、たしかに~!がんばりまぁ~す!」って納得できたんですよね。健太さんのおかげで、そこから這い上がれました。

あと、もう1つは、忘れられない辛い思い出といいますか。コロナで、「KitchenT」と「こばとん家」が閉店になった時です。なんかわかんないぐらいにスタッフの前でめちゃめちゃ泣きました。悔しかった。自分が異動してきて、どんどん売り上げを下げてきてしまった中で、今年こそは絶対に売り上げを上げようという強い覚悟をもって挑んだ年だったんですけど、コロナ禍になってしまい上手くいかずで。みんなとも一緒に働けない悲しさと卒業していった人が戻ってくる場をなくしてしまったっていう罪悪感というか悔しさがあります。

ーーその経験から活かされていることはありますか?
僕の中では、そういう経験があったからこそ、お客様・スタッフに対しての向き合い方、仕事に対しての向き合い方っていうところは、そこで変えられたとは思っています。

ーーこのキャリアの中で一番嬉しかった瞬間は?
「これです!」っていうものは特にないです。ただ、自分の名前と顔を知ってくれてるお客様がお店に来てくれたときは嬉しいです。自分が作った料理を食べてもらえることも嬉しいですが、「おぅ、白井!」って言ってくれることが嬉しい。
たまにメニューにないものを作ったり、新メニューを一足先に食べてらもらったり。そういうこととかができる時。それで喜んでもらって、また来てもらった時。

「好き」という気持ちが原動力

ーーあなたにとっての「笑顔」って?「仕事」って?
笑顔は、シンプルなんですが、相手も自分も幸せにできるもの。
そして、僕の中にとっての仕事は、「自分の好きなものの先にあるもの」だと思っています。
やっぱ仕事って、その労力に対してお金をもらえるわけじゃないですか。そうなってきたときに、僕は自分が嫌いな仕事を任されたら責任持ってちゃんと最後までやり通せるかって言われれば、好きじゃないものをなぜやらなきゃいけないんだっていう思考になってしまう。僕は、やめちゃうと思うんですよ。諦めちゃうと思うんです。
でも、好きなものを仕事にできるっていうことは、そこに全力を注いで集中して楽しくやれるからこそ、成し遂げられることが多いんじゃないかなと思ってます。

「飲食って、かなり大変じゃない?時間長いし、ブラックじゃない?」とか友達にも言われたりするんですけど。僕は、そう思わない。
好きなことを仕事にしたことによって、嫌いになってしまった人もいるかもしれませんが、ただ自分の好きなことをやって好きなことでお給料をいただけているし、逆に嬉しいことじゃないのかなって思うんです。

ーー将来どうなりたいの?
自分でお店を開きたいなとは今でも思っています。そのために、お店出した時のために、ロットでたくさん学べたらいいなと。

こんなに楽しくて、給料もらえるって最高かよ。

ーーそんなあなたにとってR.O.T.とは?
それは結構難しいですね。僕にとってロットとは。
言葉が合ってるかどうかわからないんですけど、僕はちょっと「学校」みたいなものだと思っています。
やっぱ、どこまでいっても将来的には独立したいと思うので。そうなったときに、学校じゃ学べないような、より本格的な現場の観点とかっていうところを学ばしてもらったりとか。あとは、セミナーが開催されてそれに参加できるとか。社内社外の人から講習会を受けられるとか。歴が浅くても、店長としてお店の経運営を任せてもらえる。そういったことをしながら、お金をもらえているので、なんかちょっと申し訳ないなと。幸せなんですよ。いいのかなって。
自分の好きなことをやらしてもらって、他じゃ絶対に教えてくれないようなことまで教えてもらいながら、こんな高い給料いただけて。最高なんです。

ーー最後です。これから一緒に働いてくれるかもしれない仲間に向けてどんなことを伝えたいですか?
各店舗の距離感が近いからこそ、社員同士で集まる機会も多いですし。あとはスタッフとの距離感そうですけど。他の会社では味わえないような楽しみっていうものが多分この会社にはあると思います。
それは多分、対人関係もそうですし、仕事に対して自分のやりたいことがやれることだったり、その上で結果が出た喜びとか。ロットで働く上で、目に見えない楽しさっていうものがすごくあると私は思いますし、そう感じるので。一緒に楽しめればいいかなと。
楽しい会社なんで、どんどん来てください!!

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