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自分が変われば相手が変わるって、ピンとこないんですが・・

なにも、嫌でしょうがないのに笑顔を振るまったり、相手にやさしくしなさいということではないのじゃ。
因と縁ということばがあじゃろう。
どちらかが、ほんの少しでも変われば結果は少しずつ違ってくるということじゃ。
相手も挨拶をしない。だから自分も挨拶をしない。この結果はお互いに冷たい空気が流れてしまうのう。
相手が挨拶をしない。しかし、自分は挨拶をする。この結果は何も変わらなくみえるかもしれん。
しかし、それを見ている周りのひとの考えを変えたりしているんじゃ。
お互いに挨拶をしなければ、周りは「やれやれ」と思うなぁ。
しかし、あなたが挨拶をするようになれば、周りはしない相手に「挨拶ぐらいしたらいいのに」と口にしなくても想うようになる。なにも変わっていないように見えて、少しの変化が出てくるのじゃ。
大切なのは、結果に至るまでを決してあせらないことじゃ。
それと自分が「正しくないこと」を相手といっしょになってやっていることへの恥ずかしさを知ること、「なんで、自分から正しくしなければならない」という自分に湧いている子供っぽい考えに気づくこと、自分に無理のないことから態度を少しずつでいいので変えてみることじゃ。
うっかり、相手に足をすくわれそうになっている自分にまずはしっかりと向き合い、自分を立て直すことが第一歩となる。そこからしか何も始まらん。そして、少しずつでいいので自分から良いものを出せるもとの状態を取り戻すのじゃ。
周りは、見ていないようで見ているぞ。
それでも、改善されないケースはたしかにあるじゃろう。
それは自分ととことん縁のないひとじゃ。因である自分にとって、縁として成り立たなかったひとなんじゃ。すっぱりとあきらめなさい。あきらめるとは、明らかにすると書くんじゃ。
「明らかに縁のないひともたまにはいるさ」くらいに考えなされ。