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見つめる男の話


「おい!なんだこの資料は!」

静かなオフィスに不機嫌な声がこだまする。

課長は眉間に皺を寄せながら男に言った。

「この資料、ページ番号が抜けているだろ!中途入社だろうがなんだろうが、きちんと仕事してくれよ!」

「承知いたしました。」と静かに男は言った。

数分後、課長は男からのメールを受信した。

「課長、さきほどの資料の修正版をお送りいたしましたのでご確認をお願いいたします。」

課長は添付ファイルをチェックすると、再び男のほうを向いて言った。

「おい!数字は千円じゃなく百万円単位に揃えろって言ったよな。あと、文字サイズはもっと大きくしてくれよ。お偉いさんはちっちゃい字だと読めないからな。前の会社とは違うんだからそういうこともちゃんと覚えろよ。」

「承知いたしました。」と静かに男は言った。

数分後、課長は男からのメールを受信した。

「課長、さきほどの資料の修正版をお送りいたしましたのでご確認をお願いいたします。」

全く同じ文面かよ、と思いながら課長は添付ファイルを確認した。特に内容に問題はなかった。

しばらくたってから、ふと課長が男のほうに目を向けると、男が課長のほうをじっと見つめていた。

その表情に怒りなどの感情は一切なかった。単に男はじっと見つめているだけだった。

「おい!何ジロジロ見ているんだ!」

課長がそういうと、男はPC画面に視線を戻した。

しかし、また数分後に課長が男のほうを見ると、やはり男はじっと課長のほうを見つめていた。

「何見てんだ!」

と言うと、男はまた自分のPC画面に視線を戻す。

「なんなんだ、あいつは・・・」

男は殆どまばたきをせずにじっと課長を見つめていた。その目からは、一切の感情を読みとることはできなかった。顔の表情も全くなく、身体はマネキンのように微動だにしなかった。

課長は思わず目をそらし、自分のPC画面に集中しているふりをした。

なんなんだ?なぜ自分を見つめているんだ?さっき注意したから怒っているのか?そうだそうに違いない。いや、でもそれにしては怒っているようには全く見えない。

課長は得体の知れない男の態度に少し気味が悪くなってきた。

「ちょっと営業部に行ってくる!」

と言って上着をつかむと、逃げるように営業部のある上のフロアに向かった。

しばらくして戻ってくると、男は他の課員と同じように、PCに向かって作業をしていた。

課長は自席に戻り資料作成を始めたが、ふと見ると、やはりまた男がじっと自分を見つめている。

「なあ、何か話があるのか?いまなら時間とれるぞ。」

と言うと、男は無言でPC画面に視線を戻した。

次の日、課長は朝早く出社すると、そのまますぐに同期の総務課長のところに行って男のことを聞いた。

「この前中途採用したあいつのことなんだけど、前職では何してたんだ?」

と聞くと、総務課長はけげんな顔つきで答えた。

「ん?どうしたんだ?前職は〇〇工業でいまと同じ経理業務だったのはお前も知ってるだろ。」

「いや、俺が聞きたいのは、何か前職で問題を起こしたとか、そういうことだよ。」

「特にそういう情報はないけど、何かあったのか?」と総務課長は怪しむように言った。

「あ、いや特にそういうわけじゃない。分かった何もないんだな。それじゃいいわ、サンキュ。」と言って、課長は経理部のシマに戻った。すると、男が座って仕事をしているのが見えた。

「おはよう。」

と課長が男に挨拶をすると、男は「おはようございます。」と課長をじっと見つめながら言った。男は、課長が席に座るまでの間、一切の表情をなくしたままじっと見つめ続けていた。

課長は、男が自分を見つめていることに気が付かないふりをしながら、「さてと」とわざとらしく言ってPCの電源を入れ、メールチェックをはじめたが、さっぱり集中できなかった。男のほうを見たら、自分のほうを見ているだろうことは分かっている。分かっているが、あえてそれを確かめる気にはなれなかった。

毎日こんなことが続くのは耐えられない。

課長は席を立つと、男に近づいて言った。「このあと少し打合せをしたいんだけど時間あるかな?」

男は「承知いたしました。」と課長を見つめながら静かに言った。

二人は会議室に移動し、テーブルをはさんで向かい合わせで座った。

「なぜ私をずっと見ているのかな?何か理由があるのなら教えてほしい。」

男は何も答えず、じっと見つめつづけていた。

課長は思わずカッとなりそうになったが、必死で落ち着かせて冷静に言った。

「なんで君が私を見ているのか分からないが、私としてはやめてほしい。分かるかな?」

男は何も答えなかった。課長をじっと見つめたまま微動だにしなかった。

課長は思わず声を荒げた。

「おい!聞いてんのか!なんでこっちを見るんだって聞いてんだよ!黙りこくってたら分かんねえだろ!何とか言えよコラ!」

課長はテーブルを手のひらでバンとたたき、男をにらみつけた。

しかし、やはり男は何も答えずにじっと見つめているだけだった。

「なんなんだよお前は!気持ち悪いんだよ!キチガイなのか?そうなんだろ?前の会社を辞めてウチの会社に来たのは、おそらくお前が狂ってるからなんだろ!そうなんだろ!ふざけやがって。お前みたいなキチガイはさっさと辞めちまえ!何とか言えよ!」

課長の怒号は会議室の外にも聞こえるほどだった。

男はまばたきをせず、じっと課長をみつめていた。

その時、課長は見た。男の口元の右側が微かに上に動き、笑みのようなものが浮かんだのを。

「この野郎!なめやがって!」

激怒した課長は男の胸倉をつかむと、右手の拳でその顔面を思いきり殴りつけた。

男は殴られた勢いで会議室の壁にたたきつけられ、ドーンという音が響いた。

会議室の廊下に集まっていた社員がドアを開けて中に入ってきた。そこには顔中を真っ赤にさせて興奮した表情を浮かべている課長と、床に倒れて口から血を流している男がいた。男は床に倒れた態勢のままで、じっと課長を見つめていた。

その後、課長は懲戒処分の対象となり、結果として僻地の子会社へ出向となった。


ある日、男はいつものように朝早くから出社してメールチェックをしていた。

出社してきた他の社員が男に「おはようございます」と挨拶した。

男は、笑顔で「おはようございます」と挨拶した。



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