見出し画像

遅くなりましたが(自己紹介!)

そういえば、noteを始めてから「自己紹介」を省いていました。

投稿をご覧になっている方は「介護福祉士で双極性障害でタロットカードとかが趣味の40代でしょ」ってご存知だと思いますが、今回は少し違った視点で【山薄荷・やまはっか】を紹介させてください。

山薄荷というのはペンネームです。
本名と1ミリも被りません。

みんなのフォトギャラリーからお借りしたコントラバスのイラストの通り、中学・高校と吹奏楽部でコントラバスを担当していました。
コントラバスを愛し過ぎて、高校卒業後にバイオリンを製作する学年10人ばかりの専門学校に新聞奨学生しながら入学しましたが…

※以下、衝撃度の強い内容となっております。読まれる方はご注意ください。メンタルの弱い方にはおすすめしません。引き返してくださいね。この記事の、最後の最後辺りは明るい内容になっているので、軽く飛ばして読むのもありです。



その年の夏に「永遠に眠りたい」と思って自○を考え、風邪薬二瓶と梅酒を飲み、(それくらいじゃ無理でしょうに!)病院に確か2泊3日したと思います。点滴をされて初日の夜はポータブルトイレで用をたした記憶だけあります。個室だったと思います。
もう19歳の時点で双極性障害が明らかでした。上京したエネルギーとその後のダウンが見事に病気を体現しています。


※以下、特にハードな内容となっております。読まれる方はご注意ください。メンタルが弱い方は引き返してくださいね。飛ばして、最後のほうの明るい内容を読むのもおすすめします。



そして、以前の記事でも登場していますが、統合失調症・アルコール依存の父が実家をゴミ屋敷にしており、そこに帰郷するしかなかったという過酷な環境との対峙が10ヶ月ありました。(※私が上京するまではゴミ屋敷にはなっていなかったのですが。※ちなみに母とは生後4ヶ月で生き別れております。※父から逃げるために、唯一愛していたコントラバスと生きるために上京したとも言えます。)

帰郷して、泣きながら池で蛆虫のわいた生ゴミバケツを洗ったことを憶えています。

この父に関しては、端折って説明すると
「私が就職し他県に出て行った1か月後に精神科の外来で揉め事を起こし、止めに来た警察官を殴って逮捕され、それから精神科の閉鎖病棟に9年近く入院。」
「退院はしたものの最期まで病気が治ることがなかった」
「実家が住める状況でなく、アパートを借りていたが、そこで心臓に関係する突然死(死後1週間近く経って発見。)を迎えるまで自由に生活していた」
「そのアパートもほぼゴミ屋敷にしていて(なぜか台所とトイレはキレイだった。)遺品整理(ゴミ処分)に確か37万近くかかった」
「厚生年金と祖母の遺産を湯水のように使い、亡くなる直前辺りには知人に金を借りていた。」

このようなエピソードがあり、小学生の頃に見ていた器用な父(リフォームも自力で出来る)(出稼ぎで年に2〜3か月くらいしか家に居なかった)が、私が高校生になると同時にリストラされて陰気になっていった…かと思えば何日も家を空けて遠くに行って「会社を作る」と資材を運んできたり、異様に躁病の症状が現れていたり。(実は私が小学生の頃から躁病として精神科にも行ったりしていたらしい。)統合失調症の診断は、「頭の中を盗聴されている」と言ってブレーカーを下げたり、数字の羅列に意味があると言ったりしてたので、やっぱりなぁ...という感じです。

ここまで書いて、息切れしてきました。
自分の精神科の初診より濃い内容でお伝えしてしまいました。フゥ…

とんでもない父だったんですが、船の溶接も出来る資格を持っていたり、病気が父を支配するまでは、海外で現地の人に溶接の指導をしたり良い時期もあったようなんです。そこで母と出逢ったわけなのですが…この母というのも、英語や中国語等話せる人だったようなのですが、父に聞いた限り気性の激しい人だったようなんですよね…。ざっくり言うと東南アジアの人です。ざっくりね…。(身バレすると思うので内緒にしときます。)
私の双極性障害は、この両親からの遺伝だと思われます。この苦しみは私の代で終わりにさせることに成功。。。

ここまで書いて「自己紹介」というよりカウンセラーに吐き出している患者のようだなって気づきましたが、このまま進めます(笑)

そんなこんなで、山薄荷の家族事情は不幸が山ほどあるわけですが、今は当時を思い返して泣くことはありません。
淡々と書いてるので「感情あるんかい?」とツッコミが入りそうですが、父が亡くなってしばらくは、○にたいとか怒りで震えたりとか、しばらく仕事を休むべきだったと今なら思うのですが、感情がとても不安定でしたよ。

ちなみに、山薄荷は一人っ子です。
なので親の不幸も一人で背負うことになったわけです。しんどかったです。
そして、唯一の友人というか幼なじみがいたのですが、彼女は病気で30歳で亡くなりました。彼女は私の境遇を知っていて、唯一心を開ける友人でした。今は誰にも心を本当に開けていないのかもしれませんね。というか自分の心や人の心が分からないという感覚があるというのか…。解離というやつなんでしょうかね。
幼なじみには長生きしてもらいたかったです。私の命をあげたかったです。


それにしても長い文章になってしまいました。

これ、自己紹介の記事でしたね!

明るくいきましょうか(笑)

コントラバスを最後にステージで演奏したのが26歳でした。それ以来一度も触れていません。残念ながら。
今は電子ピアノを持っていますが、バッハの楽譜なんかもあるのに弾いていません。これは「弾く気にならない」病ですね。指が鈍りに鈍って、もはや回復不能です。
映画「マチネの終わりに」のサントラ「幸福の硬貨」の楽譜も埃を被っていますよ。

今の楽しみは、ドラマ「Believe」木村拓哉主演のですかね。(笑)
小日向文世演じる役が実に憎いですね〜。
このドラマは絶対観たいです。
天海祐希さんの病状も気になります。

あとは、仕事ですね。大変な時も多いのですが、自分に合っている仕事が介護なんだろうなと思っています。周りの人に本当に助けられているのを感じます。noteでも介護福祉に関する記事が読めるのが嬉しいですね。

こんな感じで、山薄荷は小さな幸せを大切にして毎日を過ごしております。

このnoteには、タロットカードやルノルマンカード、オラクルカードの占いだったり、仕事のことだったり、双極性障害のことだったりを書いております。


ここまでお読みになった方はお疲れのことと思います。
私もここまでの長文は初でした。
夜勤明けは、変に頭が回転するようです。
明日は仕事なので、ここらへんで終わりたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。

(^o^)ペコリ






この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?