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綿うさぎ

テンキューテンキューテンキュー

とうさぎさんは言った。
うさぎさんは誰よりも賢かった。そして白かった。
白くてふわふわとしていた。

テンキューテンキューテンキュー

うさぎさんは何度も言う。何度も何度も言う。今日も昨日も四六時中言う。

テンキューテンキューテンキューテンキュー

ある人はあのうさぎは気が狂っているのだ、と言った。
そしてある人はあのうさぎは立派なのだと言った。

けれどうさぎさんにはどちらでもよかった。どちらにも興味がなかった。
ただ、

テンキューテンキューテンキュー

と言った。

うさぎさんには、可愛い息子がいた。
息子も白くて赤い目をしていた。
赤い目をしていたので息子はよく揶揄われた。
それでもうさぎさんは

テンキューテンキューテンキュー

と言った。
息子うさぎはとうとう、「どうして僕の目が揶揄われているのにテンキューテンキューテンキューというのですか」
と問うた。
するとうさぎさんはやっぱり、

テンキューテンキューテンキュー

と言う。それで息子は泣き出したくなった。怒りで頭がいっぱいになった。怒りでいっぱいのまま息子うさぎは「ああ」と叫んだ。
するとうさぎさんは「テンキーテンキューテンキュー」と言わなかった。

その日からうさぎさんは「テンキューテンキューテンキュー」といわなくなった。

そこで気がついた。息子は今まで気がつかなかったけれども母さんうさぎはテンキューとしか話せなかったのだ。まるで鳴き声のように。

息子うさぎは途端に申し訳なくなってしまった。
うさぎさんの、

テンキューテンキューテンキュー

をもう一度だけでも構わないから聞きたいのだと思った。
それでも、母さんうさぎはもうテンキューテンキューテンキューとは言わなくなってしまった。

その代わり、息子うさぎが何か言うたび、弱々しくも優しく笑うようになった。

それはまるで母さんうさぎの
テンキューテンキューテンキュー
のようだった。そんな微笑みだった。

ある日の夜、息子うさぎはうとうととしながら母さんうさぎの真っ白でふわふわの毛の上に頭をもたげていた。
その日はとても美しい星空だった。
母さんうさぎの暖かなお腹の上に頭を乗せて辺り一面に広がる星空を見ると息子うさぎは気分がよかった。この世にこんなにも幸せなうさぎは二羽といないだろうと思った。

息子うさぎは今までこの母さんうさぎに育てられてきたものだからそれでつい、

テンキューテンキューテンキュー

と言ってしまった。その言葉が口をついて出たのだ。

その瞬間、母さんうさぎの暖かいお腹がふわふわと揺れた。そしてどういうわけか満点の星空がざわざわと音を立てはじめた。
そうかと思うと今度は星々がハンドベルのような音色を奏で始める。
母さんうさぎもむくっと立ち上がって踊った。つま先立ちで腕を大きくかかげて踊った。だから僕もつられるみたいにして踊った。

テンキューテンキューテンキュー
テンキューテンキューテンキュー

実に愉快だった。
空も楽しそうに踊った。星と星が手を繋いだり、こちらへ降りてきたりした。

うさぎさんは踊った。そこに意味も言葉もなかった。

ただ、踊った。
息子うさぎの赤いガラス玉のような瞳に星々の宴が反射してそれはそれは美しかった。

テンキューテンキューテンキュー

と星のハンドベルは母さんうさぎがいつも言うようなイントネーションでドレミを奏でる。

チンチロリン

鈴の音のようで美しい旋律。
遠くの方で月も笑っているようだった。


息子うさぎは結局、そういう夢を見ていたのか、実際、そのようであったのかわからないまままた、気が付くと母さんうさぎのふわふわの綿のようなお腹の上に寝そべっていた。

そして息子うさぎが重たくなってきた瞼を閉じようとした時、母さんうさぎの聞き慣れた、

テンキューテンキューテンキュー

という声が夢の端っこのところで聞こえた気がした。

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