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【宮城】サンファンバウティスタ号の解体が始まった日 2021.11.10 壬戌八白

三陸道 石巻河南IC下車

サンファン館は、
牡鹿半島の入り口にあります

このマストも、いつまでか。

この石碑が置かれた時、
まだ、解体について
議論がなされていた時でした。

いつのまに、この年度で
綴ったのであろうか、と疑問でした。
すでに、宮城県知事は、
粛々と解体することを進めていたのでした。これはショックでしたね。

今まで、宮城県は、
こちらのミュージアムに関して、
大震災前から、力を入れてはいなかった。
こんなに素晴らしい復元船があるのに、
人を呼び寄せることをしなかったため、
収入は非常に少なかったと思われます。
旅行会社との協力で、
こちらにたくさんの人を呼び寄せて
収入を得れば、維持管理はできたと思う。
いつ来ても、見学者がいなかったのは、
寂しかったですよ。

これは、宮城県知事の汚点であると、
わたしは思っています。

野放しにして、
船の価値を見過ごしたと思っています。

東日本大震災の大津波に遭い、
その後の台風などで、マストが折れ、
カナダ政府から、
マストにお使いくださいと寄贈されて、
修復されました。
その際、屋根をつけて、水を抜き、
固定して、
コーティングなどの整備をすることも
可能でした。

それが、
2年おきの整備点検もままならず、
損壊させたまま、
今まで来てしまいました。
復元船、ガレオン船は、
もう、この先、復元する職人もおらず、
宮城県の宝を、
みすみすダメにしてしまったのは、
ほんとうに、宮城県の汚点です。
諸外国からも反対の声があり、
外国には船大工もいますので、
助けていただくこともできたはずです。

宮城県も、仙台市も、

戦後から、古いものを壊してきました。

空襲もありましたが、
他県では、大切に保存するのに、
宮城県も仙台市も、壊してきて、
再建はしなかったのです。
だから、古いものが失われてきているし、
建物の観光の目玉がない。
東日本大震災の大津波に遭った地区の、
震災遺構に、客を呼び込もうとしているが、
これもまた、失敗していると思います。

どんなに津波のことを忘れないようにと
言いましても、そればかりでは、
マイナスなイメージしかなく、
本来、人間は、古いものに、
夢が重なるようなものに目がいきますし、
神仏のこころに、
ありがたみを感じるものです。

仙台市民として思うのは、戦後から、
ボタンの掛け違いがあるような
気がしています。
震災遺構、それはそれ。
だけど、昔の時代に
思いが馳せられるようなものがあるのか?
仙台市民としては、ないように思います。
ありふれている。
伊達政宗公、松島、それしかない。
だから、宮城県民は、山形県に足を運ぶ。
伊達家は、山形県であり、
神仏さまのご神域であるからです。
山形県全体が、
パワースポットといっても、
過言ではないと思っているからです。
神社も修験道で、寺院も古刹で、いい。

宮城県民は、山形県に憧れがあるのだ。

報道各社が、
高台からの映像を撮影していました。

矢本の松島基地のブルーインパルス、
訓練していました。

石巻港 工場地帯

奥は、船形連峰

蔵王連峰、手前は、大高森や松島、
宮戸島など。
右端に、仙台中山大観音さま。

秋保の大東岳

報道各社、スタンバイに入りました。

午後13時半、解体作業が始まりました。
通路と船をつなぐ連絡橋が
取り除かれていきます。

涙、出ましたね~

いよいよ、永遠の旅路に着くのかと思うと

なぜ、この船をもっと大事に扱うことが
できなかったのか、と

連絡橋が取り除かれて、まもなく、
空は一気に掻き曇り

陸から雨が降り出しました。

 

すべてが整うと、雨が降る

物言わぬ船が、
最後の思いを吐露したのだろう。

涙雨なのかもしれない。

背後で、雷鳴が一度だけ鳴った。

こちらにも、雨が降り出して来ました。

マストは、
来月中旬までの間に、撤去され、

船体は、
来年3月下旬には、なくなります。

皆様、どうぞ、お越しくださいませ。

最後の雄姿をご覧ください。

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