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(続)愛犬の事について書きたくなったので…。

こんにちは。

今日は昨日の記事の続きについて書こうと思います。

(続)愛犬の事について書きたくなったので…。

1人目の子がマコ。この子は病弱ですぐに死んでしまって、2人目の子が昨日書いたメインのリキという秋田犬です。

小学校に上がると同時くらいに我が家にやってきたリキは、どんどん大きくなって、直ぐに僕より大きくなって、僕を背中に乗せられるくらいに成長しました。
小学校高学年になると、リキのお世話係は僕がメインになってきて、お散歩コースの最後のお楽しみに駄菓子屋で菓子パンを買い与えるという、なんとも贅沢な小学生でした。

ここでちょっと、今日のフロント写真について触れますが、我が家に車が来たのはこの頃で、運転手は母でした。父は運転免許を持っていませんでした。なぜ免許を取らなかったのかは今となってはわかりませんが。初めて自分の家の車に乗った時のことは良く覚えています。
いわゆるハコスカと言われているNISSANのスカイライン1800でした。
小学校の制服を着て記念撮影してるんですかね?この時どういうシチュエーションだったのかはまったく覚えていませんが、公立の小学校ではなく、近くの私立の小学校に通っていました。公立の小学校が歩いて通うにはかなり遠かったというだけの理由で近所の私立に入れるという、当時の両親の考え方はよくわからないのですが、そんなわけで僕は中途半端にお金持ちのモヤシ系男子になっていったワケです笑。

本題に戻ります。上でなぜ車と一緒の写真について触れたかっていうところにも繋がるんですが、当時庭付きの一戸建てで駐車場ありの広い家に住んでいたという事もですが、車を所有することが各家庭に1台が当たり前の時代ではなかったということなんです。
リキも当時の金額で10万円以上したと父から聞いた事があります。昨日の記事で父が会社を経営していたという事も書いたんですが、当時の母の話では父の給料は月給100万以上だったそう。当時で100マンはスゴイですよね。普通の家庭では考えられないような額です。もちろん僕自身、生涯で月にそんな額を稼いだ記憶がありません。そんなめちゃくちゃ大金持ちではないけれど、そこそこお金のあった我が家でしたから、お小遣いの心配などした事がなかったんです。
そんなわけで駄菓子屋で菓子パンを買い与える無駄遣いをする小学生ってところにつながります。

そして、前置きが長くなってしまいましたがここからが昨日の続きになります。
ある"事件"は突然僕に(僕ら家族に)襲いかかってきました。
それは、芸能プロダクションを経営していた父の会社の倒産です。倒産の原因は父が知り合いから騙されて買った北海道の山(森林)でした。
本来数十万円しかしない土地を何千万もの金額で買い取るという馬鹿げた行いからでした。
将来的にはその山を持っていればリゾート開発されるのでとても優良物件ですからと唆されたのでした。ですが、その土地は一向に値が上がらず、それどころかリゾートのリの字も出てこなかったのです。そこから父の経営していた会社は資金的に火の車になりました。あっという間に不渡りを出し倒産したのです。
父はお金に困っている人を見捨てられなかったのだと思います。バカな話ですが本当にそういう変な優しさがある人でした。

そんな父ですが、結果的には外で浮気をしていて、その女のところに逃げ込み、二度と家に帰ってきませんでした。借金取りから身を隠す為もありますし、その女と暮らしたかったというのが本音だと思います。会社を畳むなどの後始末は母と母の妹の旦那さん(僕にとっては義理の叔父)が2人で東奔西走しましたが、結局どうにもならず、家も売りに出し母も働くことになりました。

母の仕事は義理の叔父の紹介で、隣町の歯医者の受付事務でした。住まいはその歯医者のあるアパートの一室でした。2DKの小さな部屋でした。今日からここで暮らすのか…。僕は自分の今まで住んでいた環境がどれだけ恵まれていたかその時初めて思い知らされました。母はその時からずっと僕と兄を女手ひとつで育ててくれました。

リキの話に戻ります。
家を手放すということになった時、我が家ではリキをどうするか?という大問題に直面したはずです。はず…と書いたのは、その話し合いの中に僕は含まれていなかったからです。
面倒を見て可愛がっていたリキをどうするか?という重大な問題の話し合いに参加させてもらえなかったのは、当然ですが僕がまだ中学1年生だったからだと思います。
母と兄は悩んだと思います。引越し先のアパートにはもちろん犬は連れて行かれません。しかも秋田犬という大型犬です。それは普通に考えて無理があります。母は知り合いに片っ端から連絡して引き取りてを探したそうですが、やはり7歳という高齢であり(当時の犬の寿命は今よりもうんと短かったので)、大型犬である事が致命的でした。

おそらく、本当に本当に何度も何度も考えて話して"その結論"を出したのだと思いますが、母と兄はツライ決断をしました。
リキを"保健所に連れて行く"という決断です。

僕はその時、4月から転校するということしか知らされていなかったので、家を手放すとか、家には借金があることとか、何も知りませんでした。もちろん、リキを手放すことになっているなど知る由もなく。
僕は自分の事で頭がいっぱいでした。クラスのみんなとの別れ。特に親友との別れ。それからブラスバンド部の仲間との別れ。もう一緒に楽器を鳴らす事ができなくなるということ。全てが受け入れられませんでした。
引っ越しの期間、僕は東京の親戚の家に預けられることになりました。なので、あの家から荷物を運び出すシーンも、リキが居なくなる事も全く想像が出来ていませんでした。

引っ越しが無事に終わり、転校の手続きを済ませてひと段落した時でした。
そういえば、リキは?リキはどうしたの?
僕は嫌な予感を抱きつつも恐る恐る母にたずねました。
母は俯いたままでした。
そこに兄が来て「リキはお袋と俺と2人で保健所に連れて行った。」と毅然とした態度で言いました。しばらく部屋の中に沈黙が続いたのを覚えています。
「リキは別れ際に鳴いて鳴いてな…泣いていた。わかってたんだよ。俺たちに捨てられる事を。きっとわかってたんだよ。安楽死させられる事も。」兄はそう言い終わると、さっきの態度とは全く違って涙を流していました。母も泣き崩れました。
「ごめんね、ごめんね、リキ、ごめんね」
母は何度も何度も小さな部屋の床に向かって呟いていました。
「そんな。そんなの。勝手だよ。僕は何も聞いてない!そんなのないよ!」僕は何回も同じ言葉を繰り返していました。
それでも母と兄は「ごめんな。お前には酷すぎると思ったからな。あんな別れをお前には見せたくなかったんだよ。あんな想いは俺とお袋だけでいいと思ったんだ。」
兄はそう言うとそれからひと言も話しませんでした。
その後、我が家からはリキの話題は全く出なくなりました。おそらくあの後、殺処分されたのだろうという事も、我が家ではその話はタブーになったのです。

兄も大学を一年で諦め、仕事に就きました。借金を返すためです。生活費を入れる為です。
そうして、リキの居ないアパートでの新しい暮らしがスタートしました。

少し重苦しい話になってしまいました。
僕はその頃から朧げに生き物を飼うというのは責任が伴う。別れが伴う。もう犬を飼うのはやめよう。そんな風に考えていたと思います。

愛犬リキは、僕にとってかけがえのない存在でした。間違いなく家族の一員でした。
海岸に行って走り回って、2人ともびしょ濡れで砂だらけになって家に帰り、母にひどく叱られたこと。
野良猫の手に喰いついてしまい、チカラでブンブンと振り回してしまってその猫がビッコを引いて歩くようになってしまったこと。
庭に作ったリキの大きな犬小屋から度々脱走して近所の鶏を飼っている家に侵入して鶏と遊び回っていたこと。流石に鶏をいきなり食べなかったけど。
抱きつくと体が臭くて、仕方なくホースで水をかけてバシャバシャ洗ってあげると、全身をプルプルさせて水切りするのでほとんど僕にその水がかかって2人ともビチョビチョになったこと。
犬小屋にスズメが侵入すると大きな声で吠えて怖がってたこと。意外と気が小さかった笑。
リキとのたくさんの思い出。

僕はそのリキとの最後の別れの場面に居られなかった事を心の中でずっと謝っていました。
「リキ、ごめんな。僕は君を助けてあげられなかったよ。ホントにごめんなさい。」

そんな風に、かけがえのない存在を失ったまま、僕の中学2年生が始まりました。

そして、父が僕らを捨てたという事実は、その少し後に母から話を聞くことになります。

そこら辺の話はまた追々書きたいと思います。

そうして、もう犬は飼うのはやめようと誓っていたのに、なぜいまムッタとヒビトという2人が僕のそばにいるのか。
その事もまた触れたいと思います。

ムッタ、ヒビト。
ずっと一緒にいるよ。
君達をリキのような事には絶対にさせない。
僕は2人の頭を撫でながらよく考えています。
リキ、見ててくれ。
君の分まで僕はこの子たちを愛します。
7年間ありがとうね。
飼い主の勝手で本当にごめんね。
リキ、大好きだったよ。

今日も長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

ではまた👋

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