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未経験からのIT業界_3 スキルの壁はどうやって突破するのか?SESで全く技術的についていけない職場に配属されたとき

今回の記事は未経験からのIT業界のシリーズで以下の記事の続きだ。

今回も自分語りで恐縮だが、まずは私の実体験から入る。

地獄だったLinux OSサポート部隊の仕事

私はIT業界に入って最初に運用監視の仕事を約半年続けた後で、Linux OSのサポート部隊の仕事をすることになった。運用監視の仕事の中で何とか「Linuxの出来る人」の地位を得ることが出来、より本格的にLinux OSの技術力を高める機会に恵まれた。しかし、そこで待ち受けていたのは予想を遥かに超える「技術力の壁」だった。

当時のIT業界のスタンダードは「ググレカス」であった。今も「ググレカス」という言葉が残っているかどうか知らないが「分からないことがあったら人に聞かずにまずググれ」という意味の言葉である。また、私の出向先の会社は、分からないことは自分で調べることが美徳とされており「新人のために分かりやすく教える」や「新人が困らないように手順をドキュメント化しておく」といった文化は全くなかった。(注:私の出向先だけでなく、当時のITベンチャーはこのような会社は非常に多かったと思う。ITエンジニアは今よりもずっとオタク的で職人気質であった)

初日にいきなり依頼された作業の内容から私にとっては全く意味不明であった。その内容は「まず、LinuxOSの検証環境をgrubでデュアルブートで作成して」のようなものだった。単語がまず分からない。grub? デュアルブート? 一つづつ言葉を調べて取り組んだが、一つの言葉を調べるごとに知らない言葉が増えていくような状況で、最初のオーダーを終わらせるのに数日かかった。私のメンターはもともと学生時代から雑誌のプログラムコンテストに投稿していたような人で、一般人の理解度をわきまえておらず「この新人は一つの作業を終わらせるのになぜこんなに時間がかかっているんだ」という反応で私を見ていた。

仕事の内容が理解できないのもつらかったが、周りからのフォローのない孤立感がよりつらかった。いや、フォローがないというよりも、明らかに自分だけが他人よりはるかに劣っているという劣等感がつらかった。最初の運用監視の時は、自分は結構IT業界でやれるんじゃないか、と思い始めていたのだがそんな自信は木っ端みじんに打ち砕かれた。昼休みの食事中でさえパソコン関連の分からないオタク話に興じる先輩たちに最後までなじめることはなかった。

自分が何をやっているのかもよく分からないうちに約1年が経った。その間、営業の方に「今の職場はどう?」と聞かれるたびに「凄く勉強になるいい職場です」と嘘ぶいていた。実は今回の職場を紹介されるときに、自分の営業担当に(当時は私は運用監視の職場)UNIX系OSが楽しくなってきたのでよりその方面のスキルが身につく仕事をやりたい、と希望を伝えていた。そこで営業の方が苦労して見つけてきてくれたのがこの仕事だったので「全然ついていけなくて辛いです」とは申し訳なくて言えなかった。自分の中のプライドもあったと思う。本音を言えば、早くやめたくてしょうがなかった。運用監視の仕事よりもはるかにつらかった。ようやくこの仕事を抜けることが出来た時、凄くほっとしたことを覚えている。

Linux OSサポート部隊の仕事を離れて

その後、Linuxの構築舞台やネットワーク設定の部隊に配属された。しかし、この時に「Linux OSサポート部隊」で働いた時の知識や経験はもの凄く生きた。たとえるならばスラムダンクで、神奈川の強豪と渡り合ってきた桜木花道が、練習試合で角田とマッチアップしたときに圧倒出来たような状況だ。多くの仕事はLinux OSサポート部隊の仕事に比べて与しやすい仕事に思えた。湘北高校が海南大付属高校と戦った後の武里戦のように。

当時は地獄だったが、後から振り返ってみれば、あの時の地獄はその後の私のキャリアの技術的基盤となった。私のキャリアの精神的基盤は運用監視の仕事で作られ、技術的な基盤はこのLinux OSサポートの仕事で作られたといえるだろう。

結論:地獄の中でスキルを身に着けて成長する方法

成長している実感がなくても諦めない。

結局、人から教えられた知識よりも、自分で地獄を切り抜けるための試行錯誤して得た経験のほうが何倍もスキルになる。ただし、難しいのは、その当時はそれほどスキルが伸びた実感がなかったことだ。後から振り返ってやっと「ああ、あの時の経験がスキルアップの経験になったんだな」と思える。当時は「今の自分がどれだけ頑張ったところでこれを理解するのは無理だろう」と思って途方に暮れていた。そこで諦めていたら終わっていただろう。

弱音を吐かなかった

前にも書いたように営業の方には「成長できる職場」とうそぶいていた。ここで頑張らなければ自分は転落してしまうと思い、無理して虚勢を張っていた。正直、プライドが高いことが常に良いとは思わないのだけど、この時のケースでは強がっていたことが良い方に出た気がする。ただし、あの職場があと1年続いていたら本当につぶれていたかもしれない。終わりが見えていたからこそ頑張れたということはあるだろう。

重要な補足

この記事を書くにあたり、葛藤があった。それは下手をするとこの記事が「地獄の職場」を奨励していると捉えられるおそれがあるからだ。私は今でも「ググレカス」という言葉が大嫌いだし、「分からないことがあっても先輩に質問しにくい環境」というのは最悪の職場環境だ。新人が入ってきた時に先輩と同じ失敗の轍を踏まないように、職場で得たナレッジはドキュメント化すべきだ。事実、私が出向していたこの会社はビジネス的には全く成功しておらず、様々な会社に買収されたり譲渡されたりを繰り返している。

私個人のキャリアという観点から見た時、この地獄でスキルを身に着けたのは後付けの美談となりうるが、会社の姿勢としては一切肯定できず、このような職場環境を推奨するものではないことは重要な補足として付け加えておきたい。

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