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[西洋の古い物語]「楽園の鳥」

こんにちは。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
今回は、森に散歩に出かけたまま帰らなかった修道僧が100年後に戻ってきたという、不思議なお話です。とても深い意味がありそうな、私には少し難しい物語ですが、ご一緒にお読みくださいましたら幸いです。

※画像は、今回の物語とは関係ないのですが、ジョルジュ・バルビエ「科学の木」(1914年)の一部です。パブリック・ドメインからお借りしました。

「楽園の鳥」

昔、ハイスターバッハの修道院に一人の心優しい修道僧が住んでおりました。たいへん学識豊かで、気どりのない方でした。彼は心を悩ましている幾つかの疑問を解決しようと長年学問を続けてきました。

彼が観察したところ、人は最上のものにも飽きてしまい、新しい光景を見たり新しい音楽を聴いたり新しい料理を味わったりしたいと願うものです。
「果たして天国でもそうなのだろうか」と彼は心の中で考えました。「終ることのない時の流れの中で我々は天国の美や喜びに飽きることはないのだろうか。」
この問いは彼をひどく悩ませましたが、納得できる答えは見つかりませんでした。

疑問に疲れ果て、彼はできることならこの問いを遠ざけてしまおうと心に決めました。そこで、ある晴れた美しい朝のこと、彼は足を森へと向けました。その森は修道院の裏手から何マイルにもわたって広がっておりました。

それは人が生きていることを喜ばしく思うような朝でした。銀色の雲は大きな白い船のように漂いながら蒼天を横切っていきます。優しい微風は木々の枝の合間で戯れ、花々は咲き、小鳥は至るところで幸せそうに歌っています。

大地は全人類のために安らぎと喜びを送り出しているかのようでした。美と祝福が至るところにありました。しかし、これほどの喜びが与えられているにもかかわらず、アルフスは満たされず、心安らかではありませんでした。

「ああ」と彼はため息をつきました。「全てはなんと変わってしまったことか!この美しい光景を初めて見たときの恍惚感は今はもうない。かつてこの光景が私を迎えて示してくれた美はもうないのだ。なぜなのだろう?」

アルフスはこうした思いをめぐらしながらさまよい歩きました。自分がたどっている小径にはまったく注意を払っておりませんでした。何時間もたちました。彼はずっと歩き続け、とうとう疲れ果ててひと休みすることにしました。そして、苔むした塚の上に腰を下ろすと、あたりを見回しました。

そこは美しい場所でした。自分ではその森の隅々までよく知っていると思っていたのですが、そこはこれまで一度も訪れたことがない場所でした。木々は高く葉が豊かに茂っていました。枝は彼の頭上で見事なアーチを描いて伸びていました。足元には優しいシダが茂り、色とりどりの野の花々が咲いていました。蜜蜂の眠気を誘う羽音が聞こえ、美しい蝶が花から花へとひらひらと飛び回っています。

彼の中で賛嘆の念が芽生えました。まるでまわりのものの中に新たな美を見出したかのようで、疲れも忘れてしまいました。すると突然、一羽の鳥の歌が聞こえてきました。それはこれまで聞いたことのないほど美しい歌のように思われました。見ると、その鳥はすぐそばの木の上に止まっておりました。鳥は欠けるところのない幸福の一節を歌うかのようで、その歌はアルフスの心を打ち震わせ、あまりに美しかったので、この世のものとは思えませんでした。強い喜びを覚えつつ、その一節に耳を傾けながら、修道僧は苔むした塚の上にあおむけにもたれかかりました。ところが、その歌はほんの一瞬しか続かず、始まったときと同様に突然止んでしまいました。もう一度聞きたいと思い、彼は鳥を探し、待ちました。しかし、鳥は行ってしまったのでした。まわりには静かさがあるのみでした。そよ風も木々の葉をゆする音を止めてしまったかのようでした。修道僧はゆっくりと起き上がり、森を抜けて修道院へと戻り始めました。

それにしてもあらゆるものが何と変わって見えたことでしょう。一体彼は一度も訪れたことのない森のどこかにいるのでしょうか。彼自身も来た時と同じには見えませんでした。足取りは今やつまずきがちで遅く、身体中が弱々しくこわばっているようでした。髭に目をやりますと灰色でした。  

彼は驚愕しながら歩き続けました。木々は彼が森に入ったときよりもずっと大きくなっているようでした。低木の茂みも高い木々へと成長していました。彼は、自分は夢を見ているのだろうか、それとも正気を失ってしまったのだろうかといぶかしく思いました。

ゆっくりと、苦労しながら、彼は深い森を抜けて帰り道をたどっていきました。何時間も歩いて開けた場所にやって来ました。彼は修道院をしげしげと見上げましたが、修道院もやはり大きく変わっておりました。以前より古びて灰色に見え、規模も大きくなったようなのです。新しい部分が建て増しされ、玄関の門も今朝彼が出てきた時にそこにあったのとは同じではありませんでした。何もかもが古くなったように見えました。

一体何が起こったというのでしょうか。たった数時間前に出かけたばかりだというのに、世界中が変わってしまったのです。まるで違う世紀にいるかのようでした。アルフスは視界を拭うかのように両目を手でこすり、不安気に歩き続けました。村の噴水盤のところを通る時、数人の女性たちが洗濯をしているのを見かけましたが、皆初めて見る顔でした。彼は1マイル四方に住む男性も女性も子供も全員を知っていたのですが、この見知らぬ人たちはどこから来たのでしょうか。

老修道士が通りかかるとそのうちの一人が叫びました。「ご覧よ。このお年を召したお坊様は修道服を着ておいでだが、初めて見るお顔だねえ。これまで一度もお目にかかったことがないお方だよ。一体どなたなのかねえ。」

アルフスはこの不思議な言葉には全く注意を払いませんでした。ただただもっと早く進もうと急ぎました。今や自分の感覚を疑い始めていたのです。彼はまっすぐに修道院の門へと行きました。しかし、門は彼が出かけたときよりもずっと大きくなっていました。呼び鈴を鳴らしますと、その音はもはや以前と同じではありませんでした。彼が知っていた呼び鈴の銀のように澄んだ響きは、もっと大きな鐘の荒々しいガランガランという音に変わっておりました。

漸く若い修道僧がやってきてドアを開けました。アルフスは驚きました。それは知らない人、一度も会ったことがない人でした。アルフスは絶句して相手を凝視しました。
「何が起きたのでしょう」と彼は言いました。「どうして何もかもがこんなに変わってしまっているのでしょう。ブラザー・アンソニーはどこにいますか。なぜいつものように彼がドアを開けないのですか。」
「ブラザー・アンソニーですって!」と相手の修道僧は叫びました。「ここにはそんな方はいませんよ。私が門番でして、この20年間、私以外の者がこのドアを開けたことはございません。」

あわれにもアルフスは一瞬石像になってしまったかのように玄関の敷居で立ち尽くしました。そのとき、二人の修道僧が回廊をゆっくりと通っていくのが見えました。彼らもまた見知らぬ人たちでした。しかし彼は二人のほうへ進んでいき、そのうちの一人の僧服をつかみました。

「ブラザーたちよ」と彼は苦しそうに叫びました。「どうか話して下さい。何が起ったのかをお教え下さい。森の中で静かに散歩をしようと、ほんの数時間前に私は修道院を出たのです。そして今、戻ってみると、ほら、何もかもが変わっているのです。修道院長様はどちらにいらっしゃいますか。私の仲間たちはどこでしょうか。アルフスを覚えておられる方はここにはいらっしゃいませんか。」

「アルフス、アルフス」一人の修道僧が考えにふけりながら独り言のように繰り返しました。

「ここにはそういう名前の方はこの100年間いらっしゃいませんでした。かつて、その名前の方がこの修道院にいらっしゃいましたが、ずっと前に姿を消してしまわれました。私がまだ小さな子供の頃、その方について聞いたことがあるのを思い出しました。しかし、そのお話の真偽については何とも申し上げられません。」

「ある朝、その方は、いつもよく習慣としてなさっていたように、お一人で森に散歩に行かれたのです」と修道僧は続けて言いました。「その後その方の消息は誰も聞きませんでした。修道僧たちは連日、森中をお探ししたのですが、痕跡ひとつ見つからなかったのです。まるで地上から消えておしまいになったかのようでした。院長様は、神様がエリヤになさったようにその方を炎の車に乗せて天上へとお召しになったに違いない、とお考えになりました。実際、とても聖なるお方だったのです。でも、このことはあまりに昔に起ったことですから、ただの物語なのかもしれません。」

(※エリヤは紀元前9世紀中頃のヘブライの預言者で、異教神信仰と戦いヤハウェの一神教を擁護しました。『旧約聖書』の「列王紀下」2章11節には、エリヤが息子エリシャと歩いていると「火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった」とあります。アルフスの失踪についての修道院長の解釈は、この記述に基づいているのではないかと思われます。)

この言葉を聞くとあわれなアルフスの顔に突然光が射したように見えました。彼はひざまずき、ぶるぶる震える両手をお祈りをするかのように組み合わせました。
「今わかりました、ああ、神様、あなたの目には一千年も一日にすぎないということが。私が息をのんであの鳥の歌を聴いているうちにまるまる一世紀が過ぎ去ったのです。あの鳥は楽園の入り口で歌う鳥。ああ、主よ、私の疑いをお許しください、そして私があなたの休息の中に入ることをどうかお許しください。」

修道僧たちがアルフスを見つめておりますと、いとも穏やかな表情が彼の顔に浮かび、そのままそこにとどまりました。口元では輝かしい微笑が戯れておりました。彼は長椅子にそっと身を沈めました。修道僧たちは不思議そうに彼のまわりに集まりました。驚いたことに、彼は身動きもしませんでした。もっとそばに寄って見てみると、彼の清らかな魂は変わることのない幸福をとこしえに楽しむため、天上の館へと既に飛び去ったことがわかりました。

「楽園の鳥」のお話はこれでお終いです。
なんとも不思議なお話ですね。
異界で少しの時間を過ごして現実界に戻ってくると、実は随分長い時間が経過していた、という物語は洋の東西を問わず見られるようですね。日本では「浦島太郎」がその典型例だと思います。

キリスト教の深い教えについては勉強不足で疎い私ですが、老アルフスの魂が天上で安らぎ、永遠の幸福にあずかっていることは確かだと思います。長年の学問の甲斐無く天国の至福が永遠であることを確信できなかったアルフスを神様はあわれみ、あの鳥の歌を一節お聞かせになったのでしょう。彼が信仰と救済の確証のなかで幸福に命を終えるようにと。

収録されている物語集は以下の通りです。


今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

次回のお話「アトリの鐘」はこちらからどうぞ。


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