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【突撃となりの現代美術】直島・家プロジェクト 美術をめぐる旅4

ベネッセミュージアムから敷地内シャトルバスでつつじ荘まで移動し、
町営バスに乗り換え。

家プロジェクト 概要はこちら

家プロジェクトは直島・本村地区において展開するアートプロジェクトです。「角屋」(1998年)に始まったこのプロジェクトは、現在、「角屋」「南寺」「きんざ」「護王神社」「石橋」「碁会所」「はいしゃ」の7軒が公開されています。点在していた空き家などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、空間そのものをアーティストが作品化しています。

Benesse ArtSite Naoshima

というわけで、一軒一軒違う作品があります。
農協前バス停で町営バスを下車。本村ラウンジで各所の入場料を払って見て回るスタイル。「きんざ」は別枠で予約、支払いが必要です。

本村ラウンジで鑑賞料を払った際、すぐに「南寺」の整理券を渡されたので南寺へ。ここにはジェームズ・タレルの作品がある。
先日、乃木坂で見たテート美術館展にきていたジェームズ・タレルに続き、この夏は彼の作品を複数見ることになった。
この夏に見たジェームズ・タレルの作品については別途でnoteを書こうと思う。

「南寺」

ジェームズ・タレル作品展示、「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」。
彼の作品は写真と説明だけでは伝えられない。
実体験こそが芸術、そんな儚さを感じる。
本当の暗闇に自分が置かれた時。自分が目を閉じているのか本当に周囲が暗いのかその境目はまぶたの感覚なのだがそれさえも怪しい。光というものにいかに人間の感覚が左右されるのかがわかる。
そして改めて自分の目、光というものとの付き合いが美術鑑賞に与える影響について考える。タレルの作品は「見えること」が前提とされてしまっている。それは当たり前のようで少し怖さもある。

「安藤忠雄MUSEUM」

自然光が取り込まれる室内

安藤忠雄氏と直島と直島との関係を巡る資料を中心とした展示。
朝に見学したベネッセミュージアムの竣工は1992年。
都内の建物だと、都庁とか恵比寿のガーデンプレイス、京都国立近代美術館なんかができ始めた時期と同じ頃である。
そう思うと、30年経ってもその洗練された建築、古さを全く感じないデザイン、設計という部分はすごいなぁと思う。
と同時に、自然に溶け込ませるために、「大きな外観」を持たせない建物が功を奏しているのかもしれない。

「護王神社」

杉本博司氏が手掛け、建て直された古い神社とそれにまつわる作品。
杉本博司氏といえば水平線の、と言われるが、自分の中での彼のイメージは劇場ばかりを収めた作品なんですよね。おそらく、最初に見た個展が劇場の写真中心だったせいかもしれない。この人は写真の撮り方は変わらないけれど被写体は実はいろいろ変わっている。

ガラスの階段
地下から繋がっていた
水平線3分の2
水平線4分の3
水平線2分の1
素晴らしい眺め
この細い入口へ入る。

ここも、体験を通さないとなかなか伝わりにくいが、彼のカメラのファインダーになることができる瞬間があるというのが非常に面白い。
ただの神社じゃない。そして見に行った日の天気の良さは杉本博司の写真の画面とは大きく異なるが(彼はモノクロの世界での表現なので)色、光を感じることに深く安堵する。
ジェームス・タレルを見た後だったからかもしれない。

「角屋」

こちらは宮島達男氏の作品展示。
すごく素直に、この空間良いな、かっこいいなと思える。
宮島さんの作品はいつもそうだ。
ぼぅっと浮かぶ数字をただ眺める。
デジタルカウンターの数字の無機質さみたいなものが無い。

水面に揺らぐ数字
窓にも


見始めると結構時間が経っている。一つの美術作品を10分以上眺めていられるのって実はあまりなのではないか。空間全体で作品を見ることのできるこの家プロジェクトの良さを存分に味わいました。ここまで来てよかった、と思える。

「石橋」

千住博氏の作品がある石橋。
こちらは日本家屋に襖絵という京都のお寺のような、氏の作風ととても調和しているな、と思ったと同時に「ん?この環境下にずっと展示されるのか?」という問が浮かぶ。ガラス戸もケースもない日本画的展示。京都ならまだしもここは海沿い、塩分を含む風の吹く直島である。

ガラス戸はない。
自然光


ある意味、ほぼ野ざらしというか…
2箇所に展示があり、もう1つは納屋のような薄暗い環境で自然光で見る。
これも見た瞬間「おお!」と声が出てしまった。
天井が高く感じるし、ものすごい猛暑日だったのに清涼感を感じる。

展示作品の野ざらし感が気になって、スタッフの方へ声をかけました。
「襖絵の方は飾られた当初から色が変わってきている」とのことで、展示当初の写真を見せてくださいました。ありがたい。
確かに、銀を使用して描かれている作品のため、少しずつ茶色に変色している。しかしそれは作者の意図することでもあるそうだ。
また数年後この地で見たら変化しているのかも知れない。
諸行無常…移ろいゆく時間と作品。その経過の面白さも作品なのだ。

「きんざ」

こちらは内藤礼氏の展示。
氏の作品はもうとにかく繊細というか、巡り巡っていつも「鼻息」という概念にたどり着く。
繊細で不思議、幻想的な作風に対して鼻息にたどり着いてしまう自分がやや情けないが。
あ、言い方を変えればよいのだ。鼻息ではなくこれから呼吸と言おう。

そう呼吸まで支配されそうな繊細さ。ある種ストレス、緊張を感じながら鑑賞する楽しさ。茶席ってこんな感じなのかな。

「碁会所」

須田 悦弘の作品展示。
非常に繊細な彫刻作品。もう工芸の粋なのかもしれない。

庭木も椿


ホオノキを使用し椿の作品がある部屋と何もない部屋の対比が印象的だった。実は「何もない」部屋ではないのだけれど。
とんちのような話を非常に繊細な表現でしている。
ユーモアのある話なのか、もっと高尚な話なのか、笑っていいのか。

「はいしゃ」

大竹伸朗作品。もう説明不要のパワー。
大きさは正義!みたいな清々しさがあります。
作者は見るもの全てがアートという様な発言をしていたけれどもそれを体現した建物。町外れにポツンとあるというよりドーンとある。

ドーン
小窓口
2階から女神
一階から女神


所要時間

10時半ぐらいからランチや小休憩も含めて2時間半ほど見て回りました。
途中、お昼の時間に展示室も一時休止時間があるので計画たてつつ臨機応変に見れると良いかも知れない。やっぱりじっくり見たいし、見始めたら時間の経過を忘れてしまう作品との出会いもあるかもしれない。

南寺の前のカフェにて。美味しいカフェオレ。生き返った!

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