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太郎を捨てた日

「同情するなら、金をくれ!」
ドラマ『家なき子』が流行っていた、おおよそ30年前のこと。その子犬の名前は太郎といった。

太郎はうちの犬じゃなかった。

同級生のまゆが拾ってきた子犬で、その子のアパートで飼われていた。察しのよい方はお気づきかもしれないが、アパートはペット可物件じゃなかった。あの頃は、そのような出鱈目なことをする家が結構あった。
少なくとも私の暮らす地域では。

放課後は玄関にランドセルを放り出して、太郎に会いに行った。

太郎は茶色の毛をしていて『家なき子』のリュウにそっくりだった。おそらく雑種だったと思う。ふわふわコロコロで柔らかい。抱きしめると温かくて、子犬の甘い匂いがする。黒い大きな瞳はいつも潤んでいた。

太郎は元気な子犬でぴょこぴょことアパートの狭い室内を跳び跳ね、呼ぶとトテトテと寄ってきた。アパートの鈍色のカーペットは粗相をした跡がいくつもこびり付いていたが、まゆも私も怒らなかった。まゆも私も太郎のことが大好きで、太郎はまゆの自慢の相棒だった。

ところで、まゆの家は母子家庭で、お母さんは日中働きに出ていた

必然的に太郎は私たちが学校へ行っている間、太郎は一匹で過ごした。想像してみてほしい。あんな小さな子犬が、薄暗い昼間のアパートでたった一匹で…太郎は私達の前では全く吠えなかったけど、日中は心細くて寂しくて鳴いたんだと思う。私達をずっと呼んでいたんだと思う。だから近所の人にバレたのだ。

ある日、まゆの母親は近所からの苦情に耐えられず、
まゆに一言「捨ててこい」と言った。

私はどうにか飼えないか自分の親に頼んだ。

うちは一軒家で小さいが庭だってあった。外飼いならば十分飼えたはずだ。しかも母親は犬が好きで、母方の実家では昔シェパードのブリードをしていたらしい。よく母は昔飼っていた犬の事を自慢していたから、犬が好きなんだと思った。

太郎はうちに来るべきだ。
今度はまゆが太郎に会いにうちにくればいい。
いつだって会えるから…

けれど犬を飼うことは許されなかった。
さして裕福でもなく、まだまだ手のかかる弟だっている。うちに犬を飼う余裕なんて無かったんだろう。今ならわかる。わかるんだけど…

・・・


猫はもっとダメだった。

「野良猫が子どもを産んだらしい」
これより少し前、通学路にある酒屋の裏で猫が子を産んだ。小学生たちは噂を聞きつけ、こぞってそこへ押し寄せた。私も毎日夢中になって、まだ目も開かぬ子猫たちを見に行った。どの子も痩せているけど可愛かった。

ある日私は、子猫を一匹スカートにくるんで家に持ち帰った。
黄緑の目ヤニが沢山ついた小さな子猫だった。世話をしてやらねば死んでしまいそうに見えた。しかし子猫も汚れたスカートも、すぐに母に見つかった。母は残念そうに「〇〇の服だったのに」と誰かのお下がりだったスカートのブランド名を口にし、猫はあっけなく元居た場所へ戻された。
母は猫が大嫌いだったのだ。

猫たちはある日を境に酒屋の裏からいなくなっていた。みんな保健所に連れていかれたんだと思う。


・・・

「太郎とさよならしないといけない」
まゆの言葉に「いよいよだ」と察した。

きっと私たちが何とかしなければ、学校へ行っている間に保健所の職員を呼ぶか、どこかの山に捨てられるのだろう。それが大人たちが犬を処分するメジャーな方法だったから。太郎を守りたい。でも私たちに太郎は救えない。だからある日の放課後、計画を実行に移した。

そこは、この地域では珍しい10階建てのマンションの敷地だった。
マンションの駐車場には数台、高そうな車が停めてあった。ここだったらきっと裕福そうだし、沢山人が住んでるんだから優しい人が一人位はいるに違いない…。

その日は西日が強く射していた。

太郎はおとなしく抱っこされていた。私たちはタオルで太郎をくるんで冷たいコンクリートの床に座らせた。2人とも無言だった。太郎は何も知らず、舌をだして「へっへっ」と笑っていた。何にも知らず、いつものように…

私たちは目を合わせた。
そして同時に走り出した。

「きゃんっ!」
太郎の鳴き声を聞いたのは、それが最初で最後だった。

太郎はしばらくついてきた。
だからさらにさらに速く走った。
太郎が私たちに追いつけないように、もっといい人に貰われるように。
振り返っては、何度も「行こう」と互いを鼓舞しあった。何度も、何度も。

やがて太郎は見えなくなった。
夕日が眩しかった。

私たちは息を整え、しゃがみこんだ。
まゆはポツリと「ありがとう」と言った。逆光で顔は見えなかったけれど、私たちはあの時、同じ表情をしていたと思う。

家々からは夕餉の匂いがして、『夕焼け小焼け』のメロディが6時を告げていた。どちらから何を言うでもなく、私たちはそれぞれ太郎のいない家へ帰った。

あの日以来、私は太郎を見ていない。


あとがき
最後まで読んでいただきありがとうございます。
子供時代の思い出を書きました。一部身バレを防ぐために事実と異なる内容を混ぜている箇所があります。まゆはもちろん仮名です。
まゆと私は親に「捨ててこい」と言われたから太郎を置いてきました。でもマンションの住人からしたら迷惑だったということも、捨てるといった行為が非道徳的であり、太郎を傷つけたことも痛いほど理解しています。しかしあの頃の私たちは子供で、相談できる大人も周囲におらず、インターネットで調べるといった手段もありませんでした。
皆さんがまゆと私だったらどうしていましたか?

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