生態系を守るとはどういうことか?

かつて環境関係やNPO界隈に携わっていた俺は、そこに集う人たちが、程度は軽いものの、結構な割合で心を病んでたり、社会に罪悪感を持ってたり、孤独感や劣等感を持ってたりするのをよく知っている。

そうした人々は結構真面目なので、何やら『社会悪』みたいなものに敏感で、そうしたものを目にすると、平和の名の下に争いを始めたり、陰謀から身を守ろう……という主旨の陰謀を企てたりする。
……それによって、罪悪感を紛らわせようとしてるのかな?

同様に、『生態系を守る』という話が結構出てきてて、それは同時に『人間(人工)=悪』という概念になってしまっているような気がして非常に残念なのだ。

けど、ユーカリという毒を食べて生き延びてきたコアラや、蟻酸という農薬を撒いて環境を作り替えているアリのこととかを知ると、自然というのは善悪で測れないものだということをよく思う。

ただ自分の住みやすいように環境を作り替えたり、逆に環境に合わせて自分を適応させたり……といったライフスタイルを行なっているだけなのだと思う。
それに合わせて、共生する生物が住み着いたり、適応できない種族は絶滅したり……ということを繰り返しているのだろう。

そう考えてみると、『生態系を守る』ということが、過度に一般化されており、じゃあ一体どのような環境が理想的な生態系なのか?……ということが議論されることはあまり無い。
個人的に考える所としては、超短期的生態系として、おそらく高度成長期前の、文明が発達する前をイメージしている人が多いのだと思う。

でもそれって言うのは、実はもっとそれ以前の交通手段が発達していなかった頃に比べたら、既にもう充分環境は撹乱されているとも言えるし、つまりは程度の差こそあれ、村の中だけだった生態系が段々とその地域になり、県になり、国になり、世界中になり……という広がりを見せているだけで、どこで線引をするのが最もよい生態系環境なのか?……ということは答えが出ないはずだ。

実は村から出るのも宇宙に出るのも、『生態系が撹乱されている』という点では全く同じなのであるから。
常にずっと、万物は流転し続けているのであるよ。

そんな風に考えてみると、実は我々人類というのもただ自然を破壊する悪魔なのではなく、何らかの役割があるのかもしれない……と、常々思ったりもする。
結局俺が言いたかったのは、こういう可能性の事なのだ。
人類が持つ生態系での能力。

・世界中に様々な生物を持ち運ぶことができる
 →パイオニア種などの生息区域の拡大に貢献、新たな交配による新種の発生の可能性増加
・天然では存在し得なかった新しい物質を作ることができる
 →それを分解しようとする、新しい生物の誕生の可能性
・新しい種類の生物の交配、誕生
 →多様性の増加
・木を切れる
 →極相林などの森も撹乱できる
・地下深くに存在する資源(養分)を掘り上げ、地表面に移動させることができる
 →炭化水素資源や微量要素資源を地表にて再活性することができる
などなど

これらはどれも、他の生物には真似できないことだ。
例えば石油を燃やして地球が温暖化するということも、実は温度上昇して二酸化炭素が増えるってことは、植物にとっては快適な状態になるってことでもある。
わざわざハウスに添加してる所もあるぐらいだしね。

環境は撹乱されるかもしれないが、必ずしもそれで生態系には負の影響だけがあるとは限らない。
例えば氷が溶けた北国へ移住することが出来れば、実は快適な暮らしができるのかもしれない。
……つまり、人間の側のこだわりさえなくせば、それほど問題はない出来事かもしれず、むしろ問題なのは人類にとっての部分ということになる。

個人的には、そろそろ人種だとか国だとかそういうものにこだわる必要がない時代になってきたんじゃないかと思っている。
日本に生まれて日本で育ってきた日本人だけれども、だからといってそこに誰かの意思で縛り付けられる必要はないんじゃないかなぁ……とも。
どこでどういう風に暮らすのか、それは自分で決めればいいんじゃないかと思うのだ。

まあともかく、『生態系を守る』というのは、実は結局人類自身にとっての問題だということを理解しておいた方がいいだろう。

……あと、やっぱりそれでも俺は日本人女性が好きだったりするんだけどね。
でもここはなんとか、雑種強勢を目指すべきか?w

(2013年のメモより)

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