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君はバブルを知っているか!?

……君はバブルを知っているか!?

平成生まれの若者たちが増えてきた今、日本がまだバブル全盛期でアゲアゲのノリノリだった頃を知っている人は少なくなってきたことだろう。かくいう私も、当時はただの中部地方の田舎のガキんちょに過ぎなかったので、それほど詳しいわけではない。ただ、今考えれば妙に家の金回りが良くなり、突然家電が一式新しくなり、今は考えられない当時10000円もしていたスーパーファミコンのソフトが買えていたということが、バブル時代の好影響を受けていたのだと思う。

さて、そうして何故か大人になった今、時々バブル時代を生きていたおじさま方と知り合いになる機会が多くなり、当時の話を聞くに連れ、(マジか、こんな時代もあったのかよ……)という半ば呆れた実感を抱くことも多くなってきたので、バブル次世代の人間の一人として、この当時のことを少し記録しておこうと思う。このバブル期を知らなかった若者たちは、ぜひ今後の参考のためにも一読しておくことをオススメする。

ざっくり言ってしまえば、バブルとは実体と経済がかけ離れた発展をしていくことだと言える。特に当時は東京の不動産を初めとした業界の景気が凄かった。その名残は今でもあるかと思うが、バブル残党だった当時の現場の方々の話を聞くとこんな風だったようだ。

ある一人の広告デザイナーだった方は、当時は青山に事務所を構えていたそうだ。TVが完全に普及してきた当時は、広告というものも非常に景気が良かった業界の一つだと言える。そんなAさんはと言えば、高級外車に乗り、レースカーを持って鈴鹿のサーキットのレースに参加するのが趣味だったそうだ。もちろん、毎晩のように飲み歩き、豪遊し、羽振りよく遊んでいたらしい。

今は50代になるその方とどこで会ったかというと……同じ農業研修生仲間だったのだった。三人で雨漏りもするボットン便所のボロ一軒家に住みながら、有機農業について語り、終いには良い条件の農地も見つからずに、彼は四国の田舎の方へと引っ越していった……。相変わらず毎晩飲んだくれて、しばしば「あー起きれなかった……ダメだぁ……」と言いながら、畑を雑草だらけにしていたあの方が本当に農業ができるのかと少々心配にはなったが、まあそれは彼自身の問題だろう。初めてバブル時代のきらびやかさを聞いた私としては、非常に興味深い経験だった。

裏原宿で、某ブランドを創りあげたアパレル関係の方と会ったこともあった。この方とはチラッとあっただけだったが、千葉の奥さんの田舎に住み、竹林を開墾して農業振興を始めたところだった。結構有名なイベントでもよく協力団体として見かけるようになっていったが、果たして今はどうしていることか……?上記の方の件もあり、あの辺りに居た人々が、今は農業関係に移っているような印象も受けた。

最近話を聞いている方は、直接そうした仕事はしていなかったそうだが、当時の東京に住み、それらの恩恵をダイレクトに受けていた人だった。

当時は今の東南アジアと同じく、不動産投資がどんどん進み、需要過剰状態。人手が全然足りていなかったそうだ。そのため、企業はより優秀な人材を取るべく、『交通費を全て支給していた』らしい。

……「就活をすればするほどお小遣いが溜まっていく」と言っていた。一回面接に行けば一万円貰えたそうで、今考えればとんでもない話である。もし私であれば、就活したくてしたくて堪らないぐらいだっただろう。

ギャンブル好きなその方は、よく麻雀・パチンコ・ポーカーゲームなどにハマっていたそうで、一晩で何十万勝つこともあれば、十万二十万負けることもザラだったとか。しかしそれでも何とか食っていくことはできたし、それだけ周りでジャンジャンお金が回っていれば、誰かしら奢ってくれたりはするものだ。そうして持ちつ持たれつ、何とか暮らしていたらしい。

中には、既に会社にいる重役などで麻雀大好きな方などがおり、麻雀のメンツを揃えるために優遇してくれる場合もあったようだ。「麻雀ができる」ということが既に一種のスキルとして捉えられ、それによって食事を奢ってもらえたり、印象が良くなったり、人脈ができたり……と、当時の人間関係の濃密さを思わせられた。

そのような時代の中で、会社組織に馴染めない人もおり、ドロップアウトしていく人たちも居たようだが、残っていく人もたくさんいた。今ではそうした人が年功序列により、肩書きを得たり、重要なポジションを担っていたりもする。何でも、マイネームイズ◯◯程度の会話しかできない人が履歴書に「特技は英会話です」と書き、今では課長になっているとか……。そんな勢いといい加減さで成り立っていたのがバブルという現象なのだろう。

彼らはみんな、そうした過去を自慢気に話すのが好きだ。よくある、ヤンキーたちの「俺こんなにワルだったんだぜ?」自慢である。私もそうした人の話を聞くことは嫌いではないし、自分が全く知らなかった時代の出来事を聞くのは純粋に面白い。だが一方で、そんな人たちがおそらく今の日本を実質的に動かす立場に残っているのだろうと思うと、日本の現状も推して知るべし……といった感覚にもなってしまう。

今、衰退しつつある日本の若者たちは、こうした時代があったことを想像できるだろうか?毎日のように何万円何十万円もの金が乱れ飛び、使っても使っても次の日にはまた新しい収入がやってくる、そうした時代だ。そして、最近今の業界で会う、バブル期の落ち武者たちのトレンドはどういったものかと言えば……?

みんな既に疲れきっていて「仕事はもういいから、静かに暮らしたい」……というものなのである。

バブル時の状態に合わせた未来設計で人生を設計してしまったため、今更生活レベルも落とせない。それでいて精力的に仕事をするわけでもなく、できるだけ穏便に暮らしながら、それなりの収入を得て生活できればいい……というのが、あの時代でバブルと共に膨らみ、そしてバブルと共に弾けた人々の精神的嗜好なのかもしれない。

時代は後から語られる場合、分断されて論じられるが、実は連続的に続いていく。今の日本があるのも、あの頃のシャボン玉の残滓なのだろう。

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