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バケツとラオスと世界の構造

カンボジアでNPOやボランティア活動をしていた学生や若者たちが、最近ラオスへと移っているらしい。

ネット上で流れていた情報を見ていると、パッと見チャラそうな兄ちゃんたちが、「ラオスに学校を建てましょう!」とか言って宣伝し、寄付を集めようとしている。もちろん、それに対して周囲の大人からの冷ややかな目線というものもあるのだが、彼らは若さゆえの勢いで何だか楽しそうにやっている。

最近流行っている氷水バケツの寄付キャンペーンにも似たような感じを受けるのだが、賛否両論あれど、結果的に寄付を集めたり認知度を高めるキャンペーンとしては大成功と言えるだろう。

【途上国における学校建設の実態】

ラオスに学校を建てたい兄ちゃんたちも、どうやって寄付を集めているのかというと、なんと最近では『クラブイベント』で集客しているらしい。「クラブでみんなで遊んで、その収入の中から学校設立資金に回します!」という方針らしく、結果としてそれで100万ぐらい集めたと報告があったのを見た。

いやーすげーなー……と思う反面、私はこの手のキャンペーンは苦手なので、生ぬるい目で遠くから見守るのがいつものパターンなのだが、先にこの場合に起きる状況について解説しておこう。

カンボジアの例を挙げると、彼の国は世界で最もNPOが多く入っている国なので、一時学校建設ラッシュが起き、途上国の中では異常なほど、世界各地の学校が建っている国だと言える。だが実際に現地で起きていることといえば、いわゆる『ハコ』は作っても中身が伴わず、というパターンで、学校の先生の給料が捻出できないため、教師が集まらずに他の場所へ働きに行ってしまう……という問題が起きている。そうして、実際には稼働していない学校というのもあるそうだ。

また、勢いがいい学生君たちが本当にボランティア精神でそれをやっているのかといえばそれも怪しいようで、中にはそういった奉仕精神で参加している人もいるようなのだが、どうやら目的としては『就活で有利になるから』という意識で行っている人間もいるのだとか……。

……さて、これを読んでいるあなたはどう思うだろうか?

おそらく私と同様に、大部分の人が「そんなのケシカランわ!」……と思うのが日本では大半なのではないかと思うが、これでもそこそこの期間、NPO活動に従事していた人間として、最近は少し思考も変わってきた。

【世界トップレベルのNPOの資金調達法】

先日カンボジアで知り合った、日本からインターンとして現地で働いていた青年に聞いた話だが、カンボジアで活動する、イギリスだかどっかの世界でも有名な教育系のNPOがあり、そこがどうやって資金調達をしているのかというと、『財界のトップレベルの人たちを集めたパーティーを行い、そこで寄付を募る』というものだそうなのである。

……なるほど、さすが寄付文化の盛んな欧米諸国だ。とても日本では考えられない方法である。だが、大まかに見てみると、これは前述した学生君たちがクラブイベントで寄付を集めるというのと、全く同じ仕組みなのではないか?

その話を教えてくれた彼も、「なので、学生君たちがやっている方法も別にいいんじゃないですかねー?」……と言っていた。一理ある。

『とにかく楽しそうなイベントを催し、そこで人を集めて資金を集める』。……実に合理的で有効な仕組みである。NPOフローレンスの駒崎弘樹氏もつぶやきで、『世界は社会の悲劇に対し、実に無関心である』といった主旨の言葉を残している。

この致命的な問題に関しては、常々私も実感していた所だ。

『世界は、絶望的なほど、悲劇に対して興味が無い』

……これが、残念ながら真実であると思っている。

なので、その課題を解決する方法として、著名人がバケツで氷水を被るイベントというのはイノベーティブなほどに効果的であり、実際に効果も出ている。

【社会問題の解決方法に対する個人的見解】

異論はあるだろうし、救いのない話かもしれないが、このような課題を解決するには、より多くの人が『金よりも価値のあるものを見出す』しかないと思っている。いくらネット上でやたらと多くの人が「ペットの殺処分を無くそう!」とか、「食品の廃棄を無くそう!」だとか、「戦争を無くそう!」と書き込んだり、それに対していいね!をしたとしても、みんなそれよりも自分の生活のほうが重要なのだ。

誰もが、その自分の安定生活を犠牲にしてまでも、本当にその社会問題を解決しようとはしていない。……自分の平穏な生活を犠牲にしてまで、それを行える人は世の中ではほんの僅かであり、殆どの人が『自分の身の安全』が保障された上での、ボランティア活動を行っているのでしかない。

……通りで問題は解決しないわけだ、と思うのと同時に、最近はそれを許容した上での効果的活動というものを考えるようになってきたわけであるが、そう考えた時に、冒頭で紹介したような『一見ふざけたような活動』というものもアリなのではないか……?と思えるようになってきた。

世界は正しいことばかりでできているわけではないし、一見良いことと思われることの裏にも、悲劇は少なからず存在するのだから。

……まあ、この手の事を書いた時、最終的に反省することと言えば、『こんなことを書いていたら、ますます共感する人は減っていくだろうな』……ということであり、氷水キャンペーンとは全く真逆の方法なんだろう……。

……今日もまた、この後一人反省会だな。

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