キャロル(The Price of Salt )を読んだ

春の終わりに、いい意味でとんでもない小説を読んでしまったので状況整理というか、日記のようなものを残しておく。

きっかけはSNSでタイムラインを眺めているとき。ある人が「キャロルを観た」と呟いていたのが気になった。私も5年か、それ以上前くらいに見た気がする。確か、女性同士のラブ・ロマンスを描いた話だったか。二人を取り巻く当時の環境は(社会が同性間における恋愛に寛容か、という意味で)あまりよろしくなくて、全体的に薄暗くて悲しい印象だった。それでもケイト・ブランシェットが演じるキャロルの煌びやかな佇まいに圧倒されていたのは覚えている。
それから、「My angel, flung out of space」(天から落ちてきた天使)という言葉が脳に突き刺さって離れないのもこの映画に出会ったからだった。
色々と印象的な映画だったから、また観るのもいいかも、と脳裏で思う。
それと同時に、ある考えが脳裏をよぎった。

これ、原作あるよな~?
そう思って、ちょっとググってみたのがいけなかった。いつの間にかAmazonでポチっていた。

クレア・モーガン著『The Price of Salt』
のちに改題されて、『キャロル』となる。クレア・モーガンという著者は偽名で、パトリシア・ハイスミスという女性作家が書いたものらしい。河出文庫で2015年に出版されていたけれど、元の元、つまりクレア・モーガンとしてこの小説が出版されたのは1952年。

『キャロル』(出版当時は『ザ・プライス・オブ・ソルト』)が発表された一九五一年は、マッカーシズムの赤狩り旋風が吹き荒れるまっただなかであり、同性愛者もまた、国家の人間の健康をむしばむ、犯罪予備軍とみなされ、苛烈な弾圧を受けていた時代でした。

河出文庫『キャロル』訳者あとがきより

そんな大変な時代にこの小説を出しているのはすごいな。
作品を刊行していた大手出版社に断られたから名義を変えて小さな出版社で刊行。これがハイスミス名義に変えて刊行されたのが40年近く後。『キャロル』への改題もこの時だったらしい。作者のパトリシア・ハイスミスはレズビアンだった。彼女は『太陽がいっぱい』を代表としたサスペンスやミステリー小説において高い評価を得た作家さんだけれど、その作風から人間嫌いとか、自分勝手、狷介、一匹狼といったイメージを持たれていたようだ。でも、蓋を開けてみれば、自分の創作のミューズになってくれる女性がいなければ生きていけない程の恋愛体質の女性だった。
彼女はある時、経済的な理由でデパートでアルバイトを始める。その当時は短編小説がぽつぽつと採用され始めたばかりの駆け出しの作家だった。
クリスマス商戦まっただなかのおもちゃ売り場に配属され、慌ただしく働いていた彼女の前に、優雅な金髪の女性が現れる。ハイスミスはその女性に一目ぼれをしてしまった。女性とハイスミスは二度と会うことがなかったけれど、その夜自分の住む家に戻った彼女は、恋に落ちたその女性のイメージをもとに、憑かれたように物語の導入からラストまでを書いてしまった。そうしてできたのが、この『キャロル』という小説だ。

娘のために人形を買いにきたその女性は、配達先の名前と住所を記すとデパートを出ていき、ふたりは二度と会うことはありませんでした。
「彼女が私を見た瞬間、私も彼女と視線が合った。その瞬間、わたしは恋に落ちていた」

河出文庫『キャロル』訳者あとがきより

ちなみに、アンドリュー・ウィルソンによって書かれた伝記に、現実のキャロルのその後について描かれているそうだ。彼女の名前はキャサリーン・セン。郊外の住宅に住む富裕層のマダムで、社交界の花形でもあった彼女。アルコール依存症で、ニューヨークの病院に入退院を繰り返した後にガス自殺という、悲しい最期を遂げる。

二度と会うことはなかったふたりだけど、あのクリスマスシーズンの出会いが無ければこの名作は生まれてこなかったんだな。
ちなみに、キャロルの翻訳者である柿沼瑛子先生の記事で、ハイスミスがどんな人間だったかを紹介してくれてるものがある。英語が読めない民としてはめちゃくちゃありがたい!(でもいつかハイスミスの伝記を辞書片手に読んでみたいという気持ちもある)


キャロルを生み出した作者のあれやこれやをつらつらと書いてしまったけれど、それを踏まえて改めて読んでみると、映画を観て抱いていた印象と真逆になっていることに気づいた。映像じゃなくて文章を読んでいるから?テレーズがキャロルと視線を合わせたその瞬間から、二人の間には冷たくて、妖艶で、たまにすっごく熱い何かが漂っている。物語の終わりまで甘やかな香りがして、読んでいるこちらが切なくなる。同性の恋愛を冷ややかに見つめる社会(私の目にはそれが男性たちに表れていたように思う)と、それらとの距離感も絶妙に描かれていた。
あと、この文の冒頭で「My angel, flung out of space」(天から落ちてきた天使)という言葉が脳にぶっ刺さって、という話をしたけど、やっぱりそれは映画の中の話だ。原作において好きなのはキャロルがテレーズを「ダーリン」と呼ぶ箇所がぽつぽつとある所。なんでかよくわからないけど、破壊力がとんでもない。たまーにお互いに愛してる、と言ったりもするけれど、それを超えて「ダーリン」が刺さる。私も人妻からそう呼ばれてみたいな。

作者のハイスミスからは激しい感情が複雑に入り乱れてるような印象を受けたけど、この小説はどこまでも真っ直ぐで素直な感じがする。間違いなくこれから何度も読み返すだろうし、心から出会えてよかったなと思える作品だった。


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