「自分の人生を生きる」ということ
最近、「自分の人生を生きれている気がして楽しい」と強く感じられるようになってきた今日この頃。
その理由を考えてみた。
数年前、仕事が忙しすぎて辛すぎて、解放されたくて、はやく死にたいと思っていたある日。
いままでの人生を振り返ってみると、いつも親の意思を優先して生きてきていたことに気づいた。
わたしの親は良くも悪くも教育熱心で、親の意向に従わないと不機嫌になるタイプの親。過干渉で過保護。
(習い事や教育に惜しみなくお金をかけてくれたことには感謝している)
だから、親の希望する学校に進学して、親が認める大企業に入社した。
1つの会社でずっと勤め続けるのが当たり前!な親だから、辛くて「会社を辞めたい。。。」と相談すると、辞めるなんてあり得ないという雰囲気をだして途端に不機嫌になる。
いつも親の機嫌を確認して、困ったことがあったら親にアドバイスを求めて、親の望む道・喜ぶ道を歩いてきた。
ずっと自分の気持ちを押し殺してきたから、自分の意見を言っても通らない、言っても無駄だという風に無意識に思っていた。
これは仕事のやり方にも影響している。
例えば会議で意見を求められるまでわたしから発言することはないし、自分の中で何か思うことがあってもその場にいる人が望んでいるであろう言葉選びをしてしまう。
わたしが何を言ってもきっと否定される、わたしの意見なんて意味がない。
上司や同僚の意見のほうが正しいんだ、その意見に従ったほうがいいんだ、そう思っていた。
そうやって周りの意見に従いながら、業務が多忙で終電で帰る日々・・・
あれ?
わたしが生きる理由ってなんだろう。
何のために生きているんだろう。
親のため?
会社のため?
違う。
わたしがどれだけ親のために、会社ために、自分の意志を蔑ろにして、命捧げて頑張ったところで、親も会社もわたしの人生の責任はとってくれない。
わたしが死ぬ日、死ぬその瞬間まで、ずっとわたしの側にいてくれて一番の理解者でいてくれるのは自分自身なんだ。
自分の気持ちを大切にしよう。
自分の人生に責任を持つ。
そう決意したあとは、まずは親から離れることが最優先だと考えてすぐに一人暮らしを始めた。
悩み事があったら親に相談する前に、「わたしはどうしたい?」と自分自身に問いかける。
小さなこと、大きなこと、とにかく自分の「やりたい」ことを書き出して、少しずつ叶えていった。
一緒に楽しんでくれる友人がいるならその友人を誘って一緒にやってみる。
一緒にやってくれそうな友人がいなくても「一人だからできない」なんて、自分の気持ちを無視しない。
一人でいたら周囲の視線が気になる・・・この投稿を読んでいただいてる方の中にそんな人がいるかもしれない。その気持ち、すごくわかります!
わたしも最初は周りの目を気にして一人行動なんてできなかった。
でも周りの目を気にして「他の人に見られるからしない」というのは、その"他の人"の人生を軸にして生きていることになる。
それに自分が思っているほど周りの人は自分のことを気にしていない。
自分自身が周囲の人たちを見ているからこそ、わたしを見ている人に気づくんだ。
自分がやりたいと思うならやる。それだけ。
一人でできるようになったことといえば
一人焼肉、一人食べ放題、一人映画、一人ライブ、一人フェス、一人国内旅行、一人イルミネーション・・・と小さいことからやってみて、一人海外旅行もできるレベルに!
たまに友人と一緒にやるとそれはそれで楽しい。
「一人」「友人と一緒」、どちらも違った楽しさがある。
とにかく自分の気持ちに素直に従って、自分の「やりたい」を少しずつ叶えてきて数年。
プライベートでも会社でも、昔より能動的に行動できるようになった。
やりたいことがどんどんでてきて、昔の自分からは想像もつかなかった目標もできて、生きることが楽しくなってきた。
仕事でも少しずつ自分なりの意見を言えるようになってきた。
「自分の人生を生きる」ということは
自分の人生に責任を持って、自分の気持ちに耳を傾けて叶えていく。
わたしの中ではそういうことだと思う。
周囲を気にして「こう生きるのが正解かな?」なんて考えないで、
自分が選んだ道を正解にしていくんだ。
おわり
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