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「絶望」と、その真裏にいる「希望」

「絶望と希望」が好きな言葉であり、人生のテーマでもある (Photo:Studio Olafur Eliasoon)

例えば「好きと嫌い」って表裏一体だったりする。あんなに好きだった人を急に嫌いになることもあるし、嫌いな人ほど逆に気になって仕方ないこともある(かつ脳科学的にも好きと嫌いのスイッチが近い?とかなんとか)。「好きと嫌い」からほど遠い存在が「無関心」だったりもする。

そんな感じで「絶望と希望」を常に考えている。わりと世の中の人は「希望」に全振りしている気がして「絶望」を見ないようにしていると感じる。

少年マンガの主人公のように「希望全振り」も悪くはないと思っていたが、「絶望」を受け入れると少し景観も変わってる。例えば、近年関心が深まっている環境問題がわかりやすくて「地球のために!」とは思っているが、どこか人間の力では無理そうな局面も多々ある。

そこで、一旦「絶望」を受け入れると、真裏にいる「希望」がよく見えたりして、気持ちが楽になったりもする。「絶望と希望」のセットメニューを受け入れつつ「無関心」だけはやめようと思っている。


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