待ち合わせあるいは約束

 ちょっと前、携帯電話がなかった頃のことが話題になった。話題というか、ある若者が気になったということだ。もう忘れていた。どうしてたっけ?

 小さい頃、ポケベルってのは父が使っていた。中学生の頃、ちょっと早いやつらは持っていたみたいだったが、俺たち平均的な奴らは大学に入学してからだったはずだ。1996年だった。数字だけを11桁?13桁?くらい入力することができ、標準的にはかけて欲しい電話番号を相手のポケベルに表示させることができるわけだ。固定電話から相手のポケベル番号を入力し、その後、こちらの番号を入力して、終了処理(シャープかなんかを押すんだったと思う)をして完了。

 応用編として、「49106(至急TEL)」「0833(おやすみ)」「10105(今どこ?)」といった日本語話者にしか通じない暗号もあった。しかしだ。「10105」に対して「428(渋谷)」など答えられる場所の場合はまだいいが、そうでない時、どうしていたんだったっけ?いや、「428」にいたとして、そこの地域のどこにいるんだ?どうやって待ち合わせしてたんだろう。しかし、これはそのうち、「11→ア」「34→セ」という入力→表示が出来るようになり、入力可能桁数も少しだけ増えることで、若干使い勝手が良くなったことが想像できる。想像って、俺、使ってたんだが、本当に忘れてしまった。

 いや、結局は公衆電話で直接(間接だが)話して、情報交換してたんだった。たぶん。つまり、「11014(会いたいよ)」事案が発生した場合、このタイミングで固定電話で電話をして、落ち合う場所(自宅を含む)を決めておき、「1056194(今から行くよ)」から「21104(着いたよ←最寄りの駅など)」までは本を読んだり、ゲームをしたり、爪を切ったり、爪を塗ったりしながら1101気持ちを高めて、いたんだろう。いやー、それも甘酸っぱい霧の向こうの話で、もう忘れてしまった。歳をとるって怖いわ。いや、あの激情の日々のあの感覚をそのまま覚えてたら、仕事や育児に支障をきたすか、詩人になっちゃってるんだろう。

 また、1056194の報のあと、一向に来ないってこともよくあり、それで揉めるやつもいたように思う。俺は、何故かすっぽかされたり待たされたりするのが昔から余り気にならないタチで、中学生の時なんか、4時間以上自転車に跨り、友人宅近くの路上でソロバン大会から帰ってくるはずのそいつを待っていたことすらある。結局、会えなかったが。そういえば、あまり約束というものをしたことがないかも。

 少年時代、「約束やからな!」「約束したでしょ!」というオーソドックスな揉め事(ネガティブなことではない、むしろ、こういう人間関係上の摩擦により発達する部分は大いにある)の当事者になったことも当然あるが、俺はわりとフワフワしてたように思う。集合時間なんかもみんなで示し合わせていたが、それを「約束」だと捉えてなかったんだろう。もう今年47歳になるが、もちろん仕事上、社会的な約束事は守るが、じつは、「約束」したなんて思っていない。俺にとって約束するってなんなんだろう。子供との約束はかなり守る。それが俺の中の約束の基準なのか。むこうから提示された条件の枠のことか。ああ、なんかしっくりきそう。提示された条件にさらにこっちから修正を提案して妥当な枠を拵えて、その条件でメンバーが動くシステムが約束事か。そういうことだし、これを反故にされると、あるいはすることは良くない。が、やはり、なんかフワフワな感じ。まあ、深く考えずにおこう。46年間あまりそれにとらわれず、なにかを破綻させずに暮らせたわけやから。

 ん?待ち合わせの話してたのにな。実はこのスマホ(あまりにスマート過ぎる小型PC)の時代でも、俺は待ち合わせに関してあまり情報を記録しない。当時の緊張感と曖昧さを味わうために、できるだけ記憶することにしている。

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