銀座の街を、パパと歩く。
『あんたなんか、生まなきゃよかった』
9歳の誕生日の、あの日の衝撃が、ずっと頭の何処かにあった。
誕生日プレゼントの包装紙を開けると、そこには一冊の本が入っていた。本のタイトルよりも先に目に入ってきたのは、その帯に書かれていた言葉。
【あんたなんか、生まなきゃよかった】
ロサンゼルスで過ごした19の夏が、味気のなくなったガムみたく、いつまでも、吐き出すタイミングを見失っている。
たったひと夏のあの日々が、脳裏にジリジリと焼き付いて離れない。
19歳。サングラスをして街中を歩くなんて、初めてのことだった。それでも容赦なく降り注ぐ太陽の眩しさに、昼間のLAではサングラスは必須だった。少しの気恥ずかしさと高揚感で、走り出したくてたまらない。
サンタモニカビーチを抜ける風が気持ちいい。
ビキニのホックを外して肌を焼くカリフォルニアのお姉さんたちの、日本ではまるで見慣れない光景にも、3日で慣れた。「写真撮ってあげる」という声掛けは、優しさやおもてなしなんかじゃなく、チップ目当てだってことも知った。UCLAの学食は、目を疑うほどの大きさのハンバーガーで、その間にきゅうりの一本漬けと同じ大きさのピクルスが入っていることにも、1週間で慣れた。
そういうものが全部奇天烈で、豪快で、愉快だった。
蒸し暑さに生きるのもしんどくなる日本の夏と違って、ロスには、何もかもがカラッとした開放感があった。
「メメは、初めて? LA.」
日本で食べる2倍くらいはあるサブウェイのパンをかじりながら、カナコが聞いてきた。ハイウェイを爆走するハイラックスの車内には『K-Earth101』が流れている。喋っている内容を何も知らなくても耳に心地良いところが、日本のラジオと同じだった。
「うん!はじめて!カナコは?」
「私も初めて。ベガスとサンフランシスコは行ったことあるけどね。
やっぱアメリカの風って気持ちいー!」
そう言って、車の窓を全開にした。
「あんた、まだ10代?」
カナコが聞いてくる。
「そう、19!」
「一人で来たの?」
「そう!」
「へぇ、度胸あんじゃん」
「カナコだって21でしょ?」
「19と21は違うんだよ」
へへっと笑うカナコの肩には、緑の小さなポシェットに金色のチェーンが光るGUCCIの鞄がかかっていて、それがとてもよく似合っていて、格好良くて、素敵だった。私がそれを見つめていることに気がつくと、カナコは言った。
「これ、おばあちゃんがくれたんだよね。」
「ふーん、誕生日プレゼント?」
「違うの。うちはさ、カナコの"可愛い"の一言で、なんでも買ってくれんだよね。ちなみに誕生日プレゼントは、二重整形代。」
今は当たり前になったプチ整形も、あの頃はまだ、珍しかった。カナコみたく公言することは、もっと珍しかった。だけど、自然に馴染んだ目元は、整形でもそうでなくてもどっちでもいいと思えるくらい、カナコに似合っていて、とても可愛かった。
「Hey!!見えてきたよ!ほら、あれがHollywood!!!!!!!!」
運転席からタクシードライバーのconyが大声で呼びかけてくる。
LAのシンボル「HOLLYWOOD」の文字が、目の前に表れた。
あぁ、本当に今、ロサンゼルスにいるんだ…!!!
「……!!」
カナコとワンツーでハイタッチする。言葉にならない感動があった。ラジオから流れてくる陽気な洋楽に、でたらめな歌詞を乗せて熱唱した。
「今から、あのHOLLYWOODの文字を、真横から見れる場所まで行くからね!」
conyがアクセルを踏み込んだ。
◇◇◇
「私さぁ、日本でイジメられてんだよね。」
横からカナコが笑いながらそう言う。窓全開で走るハイウェイでは、大声で叫ぶように話さないと声が届かない。
「あー。っぽいわ!」
そう叫び返すと、カナコは笑った。
「あんた、生意気で最高。19のくせに!」
カナコのイジメの理由の大半は、カナコに対する嫉妬心からなのだろうと、詳細を聞かなくても想像はついた。『悪口は言われている方が主役。言っている方はただの脇役。悪口は言わせておけばいいし、自分が羨ましがられている証と捉えればいい』そんな言葉を、日本にいるときに読んだことがあった。確か、寺山修司だ。
これに則ると、確かにカナコは、主役が似合う。
誰かはきっと私のことが嫌いだし、誰かはきっと私を好きでいてくれる。カレーライスのことだって嫌いな人がいるんだから、万人に好かれようだなんて考える方が、ちゃんちゃら可笑しい。
「実家金持ちなのは仕方ないよね。顔がかわいいのも生まれつき。望んで生まれて来たわけでもない。でもさ、望まずに金持ちの家に生まれてこれたこと、カナコ、心からラッキー!って思っちゃっててさ。そういうところが、鼻につくんだって。」
「そう思うことに罪はないよ。私がお金持ちでも、きっとそう思ったと思う。」
「お、まさかの肯定?」
「お金って、あればあるだけいいじゃない。
『お金全然なくって』って、謙遜する方が良いとされてる文化はあるけどさ。
・・・あ、でも私の大親友は、違ったなぁ。」
ふいに、アヤのことを思い出した。
「私の大親友はさ、今、メルボルンにいるの。
この先の大学生活のうちの何年かは、今度はパリで過ごすんだと思う。その大親友に、あっけらかんと、こう言われたんだ。
『親のスネなんて、かじれるうちにかじっとくのが親孝行だよ。子供にかじらせるスネもないような親だなんて、私は親に思わせたくない』って。お金に余裕があるからこそ言える言葉ではあるけれど、価値観って、幾らでもあるよね。
私さ、小さい頃、両親がいつもけんかしてて、それに仕事で忙しくってさ。ディズニーランドや海外旅行はおろか、旅行っていう旅行に、連れて行ってもらった記憶がないんだ。お母さんと2人で洋服を買いに行ったとか、そんな記憶もない。このアメリカ行きの資金がね、物心ついてから初めて親に、無条件で“もらった“お金なんだ。貸してくださいって言って借りたとかじゃないんだ。ほんと、はいって。」
「現金、渡されたんだ?」
「そう。はいって。どうしてアメリカに行きたいのかとか、行って何をするのかとか、聞かれなかった。どこで暮らすのかとか、何便の飛行機で行くのかとかも、聞かれなかった。ただ、気をつけてねって」
「それだけ聞くと、あんたんちも金持ちっぽいけどね」
「でしょ。そうならいいんだけど、残念ながら、謙遜じゃない方の "そうじゃなくて" で。裕福ではない、ごく平凡な家庭。必要最低限、生きてこられた」
「なら、そのアメリカ行きの軍資金は、あんたへの“必要最上限“だね」
「最上限?」
「そう。そのお金、いつか返金しようとか、考えたらだめだよ?あんたがここで思いっきり楽しんで、心の底から親が与えることのできなかった19年分の旅の幸せを感じるための軍資金だよ。あんたが今此処で、その握らされたお金全部使い果たすくらい命懸けで遊んで初めて、親は報われるような気がする。
・・・あ、“一般人とは感覚が違うから”って煙たがられてきた【カナコの】感覚だけどね」
ぺろっと舌を出すカナコは、やっぱり、主人公みたいに可愛かった。
「そうかなぁ・・・」
これまでの、色んなことに、思いを馳せた。
やっぱり、旅って、距離の移動も醍醐味だけど、精神の移動でもある。普段の生活圏内にいたら考えないようなことまで、旅先で沢山考える。
「あーあ、羨ましいよ、あんたのこと。」
カナコが、そう言った。
「ほんと、羨ましい。そんなふうに言ってくれる親友がいることも羨ましい。誰とでも、何処にいても、ちゃんと生きてるあんたみたいになれたら、幸せなんだろうな。
あんたほんと、カリフォルニアが似合うよ。」
自分の体温が、ポッと、一度上がるのが分かった。
“カリフォルニアが似合うよ。“
それはずっと、私がカナコに抱いていた感情だった。
私にも、この広大な大地が、陽気な風が、自由な風土が、どこまでも続く水平線が、似合っているのだろうか。
「Here we are!」
conyがそう言うと、HOLLYWOODの文字が、本当に真横に現れた。
「「あーーーーーーーーーーー!!!!!!」」
2人で思いっきり叫んだ。
きっと聞こえない誰かに向かって、思いっきり、叫んだ。
♢♢♢
LAで過ごす間、カナコは毎日自分の一番カワイイを更新していた。どんな服もカナコに似合っていたし、整形したという目元だって、とても可愛かった。そしてなにより、いつでもサラサラな黒髪が、本当によく似合っていた。LAの女の子達に引け劣らないくらい可愛いカナコが、心から羨ましかった。
19の私は「自分の体の中で好きな場所は?」と聞かれても、答えられるところが何も無かった。看護実習のために黒染めを繰り返した髪の毛は、ロサンゼルスの街に似合っていなかったし、まつ毛だってもっと長ければよかったし、鼻だってもっと高ければよかったし、唇だってもっと厚ければよかったし、歯並びだってもっときれいに整っていれば良かった。
「アンタはさ、きっと、アンタの心に、ちゃんと自信があんだと思うよ。」
急に真面目な顔で、カナコはそう言った。
「アンタと話してると、自分の考え方や感性を信じて、だいじに生きてんだってなんか伝わってくる。外見は魂を包んでる肉体だけって思ってるみたいに、内側を大事にしてる。アタシはね、その反対で、外側が大事なんだ。私の中では、見た目が10割。私は私、それでいい。」
カナコがそう言い切るだけの魅力が、その外見には、確かに現れていた。
「外見なんて、心よりよっぽど単純でさ、女の子なんて、顔もスタイルも、どんどん変わるんだから。アンタ、まだ19でしょ。20代になってみ。色気が出てきて、もっと華やかになんのよ。
お洒落するたびに、うっわ今日の自分まじイケてるわ〜って思う時があんたにもくる、絶対。
今、そのサングラスだって、似合わないなって思いながらつけてるっしょ。わかる、サングラスに着せられてるかんじ。でもね、20代、楽しみにしときな?」
自信満々に言うカナコに向かって、もう一度叫ぶ。
「だから、カナコだってまだ21じゃん!」
口を大きく開けて笑うカナコにつられて、アメリカにいる間、私はほとんどの時間を、笑って過ごしていたように思う。GUCCIのバッグのゴールドチェーンが、ノースリーブのカナコの白い肩に反射して、やっぱりいつだって、キレイだった。
カリフォルニアの潮風が似合うカナコが、羨ましいと思った。
20代になったら、本当に、何かが変わるのかもしれない。
本当に、そう思った。
それを楽しみに、10代を、終えようと思った。
♢♢♢
LA最終日の夜、アメリカで出会った何人かの友人とホテルの一室で集まり、誰からともなく、ヘイ・ジュードを熱唱した。
最高の夜だった。
羽田行きの便に乗る私は、セントレア行きの便に乗るカナコとトランジットした仁川空港で別れた。日本にいたら、きっと出会うことのなかった、別世界のような女の子だった。
◇◇◇
帰国してからも、カナコのInstagramを眺めるたびに、楽しかったあの日々を思い出した。それから5年の時が経ち、カナコは結婚して子供を産んだ。とびきり可愛くてカッコよくてオシャレなカナコの赤ちゃんは、カナコによく似ていた。
その頃の私といったらまだ、あの夏から5年の時が経ってもなお、どうしようもないくらいの田舎町で、山手線ゲームとハイボールと深夜のラーメン屋とレイトショーの往復を繰り返しているばかりだった。
地元の安い居酒屋に毎月の給料の殆どが吸い取られても、社会人生活最初のスタートを気の合う同期と乗り越えられた理由だったからそれはそれで良かったけれど、幸せな家庭をもったカナコは、もう私を見たって羨ましいだなんて言わないのだろうなとも思った。
カナコの地元じゃイジメの対象だったGUCCIのバッグも、Instagramの中のカナコには本当によく似合っていて、私は好きだった。「ひがみや妬みは女の人生の最高のスパイス」そう言い切るカナコのことを、やっぱり、主人公みたいだなって思った。
「『結局一番イケてるのってさ、容姿諸々関係なく、これが自分なんで!嫌いな人は嫌いで結構!』ってマインドだと思うわけ。だから私はこれからもGUCCIのバッグを持つし、プラダの靴を履くし、イヴ・サンローランの香水を纏うし、シャネルの91番の口紅を塗るよ。ぜーんぶ、実家が太いおかげだけど、それが、カナコの人生だから。」
ずっとそんなことばかり言っていたカナコは、帰国後、孤児院で働いていた。
いじめられてきた孤独や疎外感を誰よりも知る彼女にとって、それは、天職のような仕事だった。愛情の渡し方にはカナコらしい強さと優しさがあって、子どもたちはみんな、カナコのことが大好きだった。
「生まれてこなければよかった子どもなんか、1人もいないからね」
♢♢♢
令和2年、私は東京で生きることを決めた。
試しに歩いてみた表参道は、まるでカナコが暮らしてきた街のようだった。それに、カナコだけが特別だと思っていたのとは違って、カナコのようなGUCCIの似合う女性は、他にもこれだけ沢山いるってことを知った。
表参道を歩きながら、着てみたい服を想像した。
持ってみたい鞄を想像して、履いてみたい靴も想像した。
それから、なりたい髪型を、思い浮かべた。
やっぱり私がこれまでに見た中でいちばんきれいだと思ったのは、LAのハイウェイで窓を全開にした時に風になびく、カナコの黒髪だった。
ホットペッパーの検索窓をタップする。
"表参道 美容院"
600件を超える検索結果に胃がもたれる。地図の上ではこんなにも小さな表参道というひとつの街の上に、600もの美容院があるだなんて。『どれにしようかな、天の神様の言う通り』で適当に指差した美容院を選んだ。
「地毛を、きれいに、真っ直ぐサラサラに伸ばしたいんです。黒髪のままで。」
「頑張ったなぁ、メメ。時間も金も、沢山かかっただろう。・・・頑張ったなぁ。」
お父さんが私の顔を見つめながら、そんな風に言うからおかしかった。
髪の毛をきれいに手入れして、歯並びを矯正して、カナコが言う通り、20代の女の子のオシャレの楽しみ方を覚えて、銀座7丁目の喫茶店で、お父さんと向かい合っていた。
「お父さん、お金、返さないからね?」
口についたクリームを舐めながら、カナコだったらこんな会話をするのかなってことを、言ってみた。
「お金?なんの話だ?」
「お父さん、ありがとう。アメリカ、行かせてくれて」
「あぁ。あれは、行かせたんじゃなくて、勝手に行ったんだろう」
「そうだけど。あのとき、お金、もらったから。
10代最後に、そのおかげで、19年間生きてきた中で、1番遊んじゃった。Hollywoodにも、ビバリーヒルズにも、グリフィス天文台にも、ユニバーサルスタジオハリウッドにも、カリフォルニアのディズニーランドにも、行っちゃったもんね」
「どこだそれ」
「いいの、いいの。ありがとう」
お父さんは、何も言わなかったけれど、優しい顔で、ずっと笑っていた。
「ねぇ、9歳の誕生日にさ」
「ん?」
「9歳の誕生日にくれた本。どうして、あれを選んだの?」
「え?何、あげたっけ」
「忘れたの?
・・・ハッピーバースデーっていうタイトルでさ。帯に、大きく “あんたなんか、生なきゃよかった“って書いてあった」
「そうだった?・・・ただ、『ハッピーバースデー』って伝えたくて、ただそれだけで、選んだ本だった」
「え? 私、しばらく、読めなかったんだよ」
「帯のせいで?」
「怖かった。お母さんに『お父さんとお母さん、お別れしたらどっちについてく?』なんて聞かれていたし」
こんなにも向かい合って正直に話したのは、初めてだった。
「ごめんな、苦労かけて」
「んーん、私も、お父さんのスネ、いっぱいかじって、ごめんね」
その時だった。
ふと、顔をあげたお父さんの顔が綻んで、こう言った。
「親のスネは、かじるためにあるからな。」
「え?
「・・・なんて、な。格好つけたようなこと、言わせてくれて、ありがとう。」
驚いた。
カナコの、言う通りだったから。
照れながらコーヒーの、最後の一口を飲み終えたお父さんの手を引いて、レジに向かった。
「コーヒーとケーキのセット、会計同じで」
ようやく、19の夏の軍資金が、清算されたような気がした。
♢♢♢
銀座の街を、並んで歩いた。
お父さんと銀座を歩く日が来るなんて、微塵にも思ってもいなかった。
両側には、GUCCI、 CHANEL、LOUIS VUITTON。
私が自分で稼げるようになってからも、そういうものは、なんにも要らなかったってことに気付く。
カナコにはカナコの人生があって、お父さんにはお父さんの人生があって、私には私の人生がある。
普通に生きていたら交わらなかったであろう幾つかの人生が、ちょっとした旅の冒険や、思いつきの行動で、たまに、少しだけ交わることがある。
見たことも、想像したこともなかった誰かの生き方に触れて、それに感化されることもあれば、傷つくこともあるけれど。
だけど、そうやって交わったものが、忘れた頃に未来の選択肢を増やしたり、考え方を180度変えたりすることだってあるとしたら、今、何を選んで何処に居ようとも、それは、いつかわかる答えの途中式にすぎないのかもしれない。
数学にさえ、未解決問題の定義を「未だ証明が得られていない命題」という立場を取るのであれば、そういった問題は、果てしなく存在するんだから。
式と答えなんて、いつか、イコールで結ばれればそれでいい。
結ばれるためには、その途中式がエックスだって構わない。
フェルマーの最終定理だって、証明されたのは、彼の死後から330年も経ってからだったって言うんだし。
それならそれで、いいよね。
今、ケーキとコーヒーが美味しいっていうことが、何よりも、いいよね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。