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スプリング・タイム・ノート



どういうわけか、知らないうちに、私達は大人になっていた。

確かにもう、10代や20代前半の頃のような無理はしない。朝まで通話ボタンを繋ぎっぱなしにしながら眠るなんてこともなく良質な睡眠を優先したいし、真夜中過ぎまで飲みすぎて楽しくなっちゃうなんてことも稀になった。焼肉食べ放題よりもちょっと良いお肉を少量ずつ食べたほうが心がちゃんと満足するようになったし、マクドナルドに行ってもバーガーを2つも頼むなんてことはもうしない。高い税金を納めながら粛々と、社会人生活を生き抜いている。私にとっての中森明菜や聖子ちゃんなような「おかんが聞いてた曲」が、“今の若い子”の間では浜崎あゆみや倖田來未になったということがまるで耐えられない。私たちが「最強」だと思っていたモンパチやロードオブメジャーが“今の若い子”たちは「無敵の笑顔で荒らすメディア」とか「ちゅ、可愛くてごめん」とかになってるのも、なんかあーもうついていけないなぁと思う。

それでも、少なくとももう人生を30年も生きてきたという実感はないのだ。29歳にして19の頃となにも変わらない。使っているカラコンは中学生の頃から同じメーカーのものだし、服もJKの時に買い漁ったEGOISTや EMODAやMOUSSYを未だに着ていて、もはや物持ちが良いとかの次元ではない。人気のインフルエンサーがいくら出てきたって結局私が憧れるのは吉高由里子だし北川景子だし戸田恵梨香なのだ。いくらよく盛れるカメラアプリが登場したってスマホの画質自体が格段に良くなったって、結局プリクラっていうものが好きだし、カメラなんて重い荷物を持って軽々と出掛けられてしまう。若い子の間でY2Kという2000年代のファッションが流行っていると聞けば、でしょ?いいでしょ?かっこいいよね?と、当時を全肯定したくなる。

私はジョギングをするし、プールで泳ぐし、疲れずに5駅分くらい余裕で歩き続けることだってできる。身体が老化したなんて、今関わっている人達の前では口が裂けたって言えない。何より今の私はこれまでではなく、この先にまだ長い人生があると感じている。人生100年時代と言われれば今29ならばあと今の倍以上の時間が流れるのだということだし、その途方もない時間の中には読みたい小説も観たい映画も訪れたい場所も作りたい曲も弾きたいメロディも叶えたい夢もたくさん詰め込めてしまえるような気がするのだ。

もし、私の10歳の頃の夢が叶っていたら、あなたがこれを読むことはなかったでしょう。あれは潜在的な未来で、これが今の瞬間であり、決して生きられなかった人生があって、顕在化している現実の上に立っているのが今だから。私にだって面白い人生を送ることができる可能性はあって、それを少しずつ記録することでエッセイという形として少なからず残ること知って、その上で、だからこそ出会えた人もいて、行けた場所もあって、見えた景色もあった。人生というのは、決して思っていたように展開するものではない。大半は、大きな選択と選択の間にある沢山の小さな選択を、愚直に、当たり前のように、積み重ねていくことになるんだ。


ずっと、分からなかった。



私がなりたいものは、ほんとうに“看護師”だったのか。

じゃあ、果たして「看護師」のほかに、なりたい「何か」が、あるのかということが。


そうじゃない。

分からないんだ。ずっと、分からない。

分かっていることを、どうして分からないふりをしているのかが、分からなかった。



◇◇◇


運は、とても不確かで、それでも巡ってきた人のもとでは確実なものとして刻まれる。



大谷翔平の、あの有名なマンダラチャートにも「運」の項目がある。

※出典:スポーツニッポン


あいさつが引き寄せる運。ゴミ拾いが引き寄せる運。部屋そうじが引き寄せる運。審判さんへの態度が引き寄せる運。道具を大切に使ったことで引き寄せられる運。プラス思考が引き寄せる運。応援される人間でいつづけることが引き寄せる運。

「プロ8球団からのドラフト1位指名を受ける」

この目標を達成するためには、実力や努力だけでなく、確かに『運』みたいなものが必要だ。その不確かで確かな必要性を、彼は高校生の時点でちゃんと理解していて、さらに、その『運』すらも自分自身が『運』を引き寄せられる自分でいなければ巡ってこないのだということをちゃんと分かっていて、分かった上で、成し遂げて来たのだ。


私ね、大谷翔平と、同い年なんだ。


高校生の時点で、こんなにももう、違っていたんだなぁって、時々ボーッと考えることがある。私が進路希望調査用紙で紙飛行機つくって遊んでいた頃、大谷翔平はその分だけの本当の鍛錬を、当たり前のようにしていたんだという事実しかない。

そんなだからきっと、大谷翔平がSNSなんかをやったら、堂々とプロフィール欄に「野球選手」って書けるんだろうな、と思う。

私はどのSNSのプロフィール欄にも「看護師」と書けたことが一度だってない。



何を目指して、何処に向かっていたいんだろう。


コロナ禍真っ只中の頃、飛んで火にいる夏の虫のごとく東京を選んだ私は、今もまだ、この大火の中を死ぬことなく飛んでいる。なりたい職に就き、進みたい道をちゃんと自分で選びながら此処まで来たはずなのに。


確かに私にとって、看護師という職業は天職だった。

今でも仕事にはやりがいを持って誠実に一生懸命にやっていると自分では思っている。


それでも、時々猛烈に感じる瞬間がある。


安定していて、だれからも大変な仕事だね、すごいねと言われて、感謝されることがベースにあって、褒められて、日本のどこに行っても働き口があって。

すごいねって。

ありがとうって。


でも、その度に思うのだ。

すごくない。

何もすごくなんかない。



東京に来て、すごい人に沢山出会った。

あぁ、これが東京か。そんなふうに思った。

だけど、すごい人がたくさんいるのが東京なだけで、東京にいるだけで自分がすごい人になれる訳ではなくて。そういうことを時々、忘れてしまいそうになるから東京は怖いんだ。


坂元裕二の脚本に、こんな言葉があった。


「東京は夢を叶えるための場所じゃないよ。
東京は、夢が叶わなかったことに気付かずにいられる場所だよ。」


(いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう 2話・中條晴太)



言葉って、痛いほど刺さるから。



「運」の良さってさ、結局のところ、ただの運だけではなくて、その運を引き寄せることができる自分であるために、その運が巡ってきてもその巡り合わせに対して当たり前の自分であることでしか成り立たないって、そうやって思う。

もしもあの時、あの選択をしていなければ、同じ今は無いのかもしれないし、結果的には、どんな選択をしようとも、同じ結末が待っている可能性もあるんだけど。そんなことの連続で、今日、何気なくしてきた選択の小さな答えの積み重なりの先で、今を生きているわけで。そうして生活は続いていくし、日は昇るしまた沈むからこそ今日が昨日になって今年が去年になって、何があろうがなかろうが、日々は過ぎていくんだし、そういうふうに人生って、進んでいってしまう。


自分が50歳とかになったとき「1億払えば20代に戻れる」って言われたら、今のままの気持ちで自分自身がアップデートされない限り、きっと、ローン組んででも戻りたいって思っちゃうんだろうなーって思うんだ。楽しかったから。20代。最高に。正直今人生終わっても後悔ないくらいに、全力疾走を何回もした。全力疾走をする体力があったし、全力疾走するたびに応援してくれる人がいたし、ずっこけても笑い飛ばしてもらえたし、手を差し伸べてもらえた。でも、これからはもう、いろんな局面において、自分の足で歩いていかないといけない。何回も転んではいられないし、怪我をしたら治りにくくなっていくし、慎重に走らないといけない。そう考えたら、いつまでだって20代でいたかったって思っちゃう。でも実際そんなこと不可能であって、1億出したって、時間だけは、戻れないから。だとしたら、それって今のこの瞬間には1億の価値があるんじゃないかって、そうも思えたんだ。

だったらもう、今、今を楽しむしかないんじゃないかって。20代って、自分の人生においてほんとうに素敵な、キラキラのときなんだと思うんだ。沢山遊んで笑って沢山悩んで泣いてもがいて苦しんで叫んで、正しく間違って挫折して、感動してときめいて、いろんなことを経験して考えて、嫌だなって思う瞬間でさえも未来の自分にとってみたらきっと1億の財産で、だったら、今その20代最後の瞬間を、進むしかないこの瞬間を、思いきり、生き切るしかないんだよね。


頭の中でどれだけ財津和夫が「青春の影」を熱唱しても、私はまだ影ではなく、日向のままを歩きたい。

まだ20代のままで、太陽の下にいたい。


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