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プラダを脱いだ天使


今、人生最後の、歌のレッスンが終わりました。

20代までと決めたことを、29歳ギリギリまで楽しむと決めたすべてのことを、やり切って、ちゃんと、おしまいを選びました。

本当に、楽しかった。

それと同時に、夢のような時間を、終えたという実感があります。

20代を、自分のためだけに、ただ楽しいという気持ちだけで、たくさんの人に出会って、たくさんの経験をして、たくさんの寄り道を選んで、思うがままに生きました。

人との出会いの中で、いろんな人からたくさん愛してもらったし、同時に嫌われたこともあったし、泣くことも、上手くいかなかったこともありました。

それでも、“どうせ一度きりの人生だし”“その上で、どうあがいたってこの先絶対に戻ることの出来ない20代だし”その一心だけで、自分の心に素直に行動しました。あらゆる経験に心置きなく使ってきた分、貯金はさほどできませんでした。だけど、自分が稼いだお金で、自分が歩きたい道を歩いていられることは、何よりも、幸福でした。

自分の歩みたい道を、ちゃんと迷いなく歩んでいるようにみえる人に、私自身が惹かれます。

だけど、自分がそうなりたいと思って、そうやって進んでいく幾人かの背中を追いかける中で、迷いのない強い人なんていないということも同時に分かったりもしました。

走り続ける人が「止まるのが本当は怖くて、何もかもが一緒に止まってしまいそうで、だからまだ終わらないでくれって祈るように走って、いつか起きる奇跡をただ信じているだけだ」と言っていた時、「それでも走ってるときだけは夢に向かって進んでるようで、ときどき目から水がこぼれるけど、それも幸せだと思えてるよ」と言っていた時、私もこの足を止めないでだけいられたらと、それだけを思いました。

努力をせずに夢が叶った人と、努力をしても叶わなかった人が、溢れんばかりに渦巻くこの無謀な大都会で、その期限を20代までと決めて、たくさんの無茶や大胆なことをしました。本来なら行くことなんて出来るはずのない所へ飛び込んでいったこともありました。大好きな映画監督や尊敬する俳優さん、脚本家さんたちとお話しする好機に恵まれた20代だったことも、その行動の結果であったと思います。それが悪いことではなかったとも、思っています。

自分がちゃんと歩んでいけば、正しく巡り会える日が来ると、そう思います。

会うべき人には、会うべきタイミングで、必ずめぐりあうものだと、そう、今でも信じています。行くべき場所には、訪れる運命にあるものだとも、そう、信じています。

「そんなはずない」という諦めを、私だけは何があってもせずに、ただ信じ続けています。

想いが形になって届くような自分であれば、いつか、会うべきタイミングで会える日がくるものだと、そして本当の意味で分かり合えるのはいつだってそんな瞬間なのだろうと、そう、信じています。


「さぁ、第三章へ。20代、自分の好きなこと、もうこんなにも思う存分やったんだから、十分でしょ。これからは、誰かのために、人と共に、生きてください。またいつでも、戻っておいで。息抜きでも、遊びにでも。おめでとう。」

こんな風に背中を押してくれる先生たちのいるあたたかな場所で、それでもデビューを本気で目指す人たちに囲まれて、歌わせてもらえていたことを、誇りに思います。

共に歩んだ1人でも多くの人を、いつか、テレビの中に見つけられる日が来ることを、楽しみに。


これからの私は、ステージの上のキラキラメイクも、衣装も脱いで、堅実に、生活のために、お金を貯めていく努力を、してみようと思います。

もう十分、使うことも楽しんだから。

貯めることを、楽しめるように。


ありのままの私自身の内側が、これまで培ってきた様々な経験という名のキラキラを身にまとって、輝いていられますように。そんな自分で、あれますように。


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