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過去の自分と今の自分からこんな手紙が届いた

先月、アトリエにしている新潟の実家に行ったとき、ふと思い立って探した場所から、10代でアメリカに住んでいたころに撮ったビデオテープが出てきた。120分の8ミリビデオ6本。

なくしていたと思っていたから、見つけたときはうれしかった。住んでいた地域では当時、ビデオカメラはもちろん、フィルムカメラさえ所有している人が限られていた。そんな時代の映像だ。

映像をデジタル化したい。しかも動画編集ソフトで編集したいから、DVDとかブルーレイにしてもらうんじゃなくて、MP4のデータにしたい。ネットであれこれ調べたら「バックトゥ昭和」という会社がよさそうなので、そこにデジタル化を依頼した。

大型連休直前、USBメモリに入ったデータが届いた。さっそくSSDに保存した。フロッピーディスクがパソコンの記録媒体だった当時の自分にUSBとかSSDとか言ったら、どんな反応するんだろうな。

ファイルをひとつ開いてみた。懐かしい顔、懐かしい声、懐かしい風景。

高校のカフェテリア、中庭。休み時間に生徒が集まる場所だ。ビデオカメラを持つ私を見つけた何人かが手を振って話しかけてくる。みんな笑顔だ。暇つぶしのスマートフォンがないから、たいくつしてるやつは隣の人と話すか、ただぼーっとしている。

そして、ときおり他の人が撮ってくれた私自身の姿も見える。

当時の自分に、現在くらいの物事の理解度、言語の読解能力があったとしたらアメリカでどうやってただろうってちょっと前に考えたことがあったっけ。あの環境でもっとうまくやれたんじゃないかと。だが、動画の中の私は、意外なことに、けっこううまくやってるように見える。当時は氣づかなかった南部訛りの少しある英語を周囲の人たちと楽しそうにしゃべっている。いまの自分より朗らかに見える。

タイムカプセルを開けたような、あるいは過去の自分が未来の自分宛に書いた手紙を受け取ったような心持ちだった。実際このビデオは、日本の家族にアメリカの生活のようすを見せる目的でビデオレターとして撮っていた。それが図らずも家族ではなく、未来の自分自身宛になったというわけだ。

「これを観ている未来のおれ、元氣でやってる? おれはこんな感じでやってるよ。」

編集が終わり、アメリカの同窓会SNSグループにアップすると、予想どおりの大きな反響があった。予想外だったのは、何人もの人が「涙が出た」と言っていたこと。

陸上で州の大会に出たとき
州の水泳大会でバタフライを泳ぐおれ
スクールバンドで音楽やった
美術はもちろんやった。自分の世界を広げるためにいろんなことにチャレンジしてた

そんなタイミングで、お世話になっているギャラリーから封書が届いた。展覧会の案内かと思い、中を見ると、ギャラリーに届いた私宛の手紙が入っていた。送り主は私の知らない方だった。ロベルトさんの内側の「光」が私を通して伝えてほしいメッセージがあるそうなので、へんな人と思われそうで躊躇しますが、こんなことはじめてなので送りますねと書いてあった。

「あなたはあふれる感性を持っているが、いまひとつ全てを発揮できていない。 ひとひねりするというクセがその邪魔をしている。このクセは、あなたの持つ怖さから来ている。自分を見つめ、怖さに気付き、そしてただ見つめてほしい(追い出そうとしなくていい)。そして、少年の頃のあなたのまま、表現してください。」

動画を見返す。そこにいる少年は、動画のどのシーンでも、人生に一点の曇りも恐れも迷いもないかのように無邪氣に笑っている。あんなに毎日悩み、傷つき、涙していたはずなのにね。

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