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ナイル川でバタフライ(5)〜バクシーシ

前回まで
(1)〜以前の私にとって、旅とは純粋に体験だった
(2)〜出発
(3)〜思いがけず、バンコク
(4)〜エジプト到着


高温多湿の微笑みの国から、高温低湿のバクシーシの国へ。あらかじめ知っていたらそれほど混乱しなかったであろうが、当時の限られた情報のもと、純粋に遺跡を楽しむだけにエジプトに来た我々は、心身ともにまいってしまった。氣候はそれなりに覚悟していたつもりだったがそれでもバンコクとのギャップは大きかった。加えて、文化の違いに戸惑っていた。

そのまま我々は鉄道で南下してルクソールに向かった。古代エジプトの都テーベがあった土地。多くの遺跡がある。

我々はギザでの体験を活かしてここではラクダなどには乗らず、自転車をレンタルすることにした。自転車を漕ぐのは暑い。とてつもなく暑い。しかし、自分たちが行き先を決めることのできる精神の自由さが何よりも快適だった。

それでも行く先々で、バクシーシや写真撮影料など、いろんなたかりゆすり(?)があった。

想像してほしい。観光客が原宿駅から明治神宮に行く際に、駅を降りたら「チケットは?」と地元民に言われ「そんなのいらないはず」と応えると「今年からそうなった」と言われる。それを振り切って鳥居のところに行く間にバクシーシと言いながら数十人の子どもが追ってくる。ようやく鳥居に着くと、カメラ持ち込み料が三千円だと言われる。カメラは持ってないからとそれを振り切り、幾多のお土産屋からの「コンニチハ。どうこのTシャツ、たったの二千円」と言われるのを振り切り、ようやく本殿に辿り着いて、そこにいる人が「写真撮っていいよ」というからカバンに隠しておいたカメラを出して撮ったら「はい、千円ね」と言われる。お参りをしようと財布を出すと、目の前に賽銭箱があるのに脇からオヤジが出てきて「お布施はこちらに」と箱を出す。いやいやそれはないでしょと言うと「こちらが正式だ」と言う。一事が万事そんな感じだったのだ。神聖な時間を過ごすつもりが、心がざわめいて止まらなくなる。

「この状況下でさえ、ピュアで神聖な精神を保つことができたら、汝は本物だ。さあ、このステージをクリアしてみたまえ」と天に試されているとでも思えたらよかった。実際には、そういった状況をはじめて体験する私のマインドのなかは、雑念、ネガティヴな感情のオンパレードだった。

それでも、ルクソール神殿、ラムセイウム、ツタンカーメンの墓、ネフェルタリの墓などどれも見応えがあった。

王家の谷に自転車で登って行くとき、ふと振り返ると、見渡す限り壮大な景色が広がっていた。

何千年も前から人はここで似たような風景を見ていたはず。そのときはじめて、心は神聖さを取り戻した。きっと古代の人々もここで同じように感じていたのではないか。

すべてのバクシーシやたかりを後に残し、束の間、意識が時代を忘れた瞬間だった。風が涼しく感じた。


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