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フィルム写真はエアメール

フィルム写真はSNSにそぐわないなとあらためて思った。だって、まだ暑かった頃の写真をクリスマスの昨日ようやく現像して見ることができたのだから。レイジーフィルムフォトグラファーの写真は、SNSに載せる頃には季節が2つくらいちがう。

ただ、なんでもかんでも早いのもどうかなとは思う。

それほど遠くない昔、海外に住む友人に連絡を取るとき、ふつうにエアメールを使っていた。エアメールなんて、ポケベルと同じくらい死語だ。

返事が来ないことが普通で、来たとしても数ヶ月後とか、そんなものだった。書いているときと出したあとしばらくはその人のことをたくさん考えるがそのうち忘れてしまう。

ある日、海外の切手の貼られた封筒が届く。開くときのワクワク感たるや。読むと、その人のクセたっぷりの手書きの文字で、筆マメな人は長い、そうでない人は短い文が、その国の便箋にその国で使われるペンで書かれている。アメリカの友人からの手紙はたいがい、あの黄色い便箋に、あの太いボールペンで書かれていた。

いま、フィルムで撮って現像し、その写真を見るときの感覚は、そんなエアメールを読むときの感覚に近い。

忘れた頃に現像し、何が写ってたんだっけとワクワクしながら1枚1枚をじっくり見る。こんな人といっしょにいたなあ、こんなことあったなあと、近い過去のことなのになつかしくいとおしく感じる。レンズやフィルムは便箋とペンで、その人の一瞬の「らしい」表情はクセのある文字のようだ。

時差のある分、驚きがある。枚数が限られている分、1枚1枚がとくべつに感じられる。

エアメールには、ときどき写真が入っていた。

まだそれほどカメラが普及していなかった頃、ほとんどの人がフィルムを大切に使っていた頃だ。スナップ写真は少なく、セイ・チーズと笑顔で撮った写真が大半だった。

私のM6の使い方もそれに近い。スナップショットに向いているカメラだが、はい撮るよー、いちにのさん、で構えて撮ることが多い。

なぜなら、フィルムの値上がりでバシバシ撮りづらくなったこともあるが、けっきょくそういう写真のほうがプリントしたり、あとから見返すことが多いから。それらは、「作品」として発表することはおそらくないが、個人にとってきわめて大切な写真たちだ。

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