見出し画像

トランプ氏勝利に寄せて(グローバリズムの幻想)

(本稿はトランプ氏が大統領選で勝利した直後の2016/12/28に「不動産経済Focus&Research」に発表した『TPPと建設市場(トランプ氏勝利に寄せて)』です。現在に至っても我が国がグローバリズムへの幻想にしがみつき経済成長(賃上げ)を達成できぬ現状を憂い、ここに改題して再公開します。)

トランプ氏勝利への期待

 
 先般の米国大統領選でトランプ氏が勝利した。我が国のマスコミや専門家たちは、前回の大統領選でのオバマ氏勝利では「黒人初の大統領」とこぞって狂喜乱舞し、果ては感激して涙する者さえいたが、今回の大統領選でも 同じ轍(てつ)を踏んでいるように映る。彼らはヒラリー氏が勝利すれば「女性初の大統領」とこぞって称揚し、彼女の敵役であるトランプ氏をひたすら罵倒し、彼が当選してもなお、それに反対する現地のデモを伝えるなど執拗に彼を貶(おとし)めていた。それでも喉元過ぎれば何とやらで早くもその狂騒ぶりを忘れ去ったかの如き彼らの論評を見聞きするにつけ、それも含めて例によって例の如し、と私には思えてくるのだ。
 私はオバマ氏当選の際も世間的見方とは逆に「それがどうした」風に批判的に論じたが、 今回もヒラリー氏については金銭的にブラックで親中でもあることを嫌気し、彼女よりもトランプ氏の方が数段マシだろうと思っていた。そして、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を絡めれば、トランプ氏の勝利は我が国にとって「神風」とさえいえる慶事のように思える。なぜなら、私が以前から危惧しているグローバリズムの席捲に対し、トランプ氏は「反TPP=保護主義」を打ち出しているからだ。グローバリズムは私の地元京都でも猛威を振るい、街には国内外のチェーン店が溢れている。それに辟易(へきえき)するのはもちろんだが、より私がグローバリズム を問題視するのはそれが国家の自己統治を阻害するからである。すなわち、「グローバリズム=世界市場」を目指す資本勢力は、デモクラシーを司るべき市民を消費者として隷属させ、 市民の発露たる「国益」を脅かすのだ。


国益とグローバリズムとの相克


 たとえば、TPP の真髄は世界的な「市場統合」にあり、グローバリズムの目論むところと軌を一にしている。よって、それは「オープンな市場」という “奇麗ごと” などで済むはずがなく、世界的な弱肉強食を蔓延させるだろう。我が国の現政権はTPP を推進するが、そもそも「デフレ脱却」を目指すならばそれと矛盾する。「市場統合=TPP」が実現すれば、我が国に海外 から安価な物資が流入してくるのは無論のこと、 いわゆる「底辺への競争」により国際的な人件費の低減化に呑み込まれて物価のみならず人件費までも押し下げられてしまい、海外との安価競争に敗れた国内企業の失墜による失業者数増加ばかりか、労働所得減少によるデ フレ悪化を招くのは必至だからだ。
 私は近年、京都でのホテル開発の企画を多く手掛けているが、オリンピック開催に向けて工事費の高騰が止まらず、いつも FS(フィージビリティ・スタディ)で四苦八苦していて、それはどこのデベロッパーも事情は一緒だろう。 では TPP が建設費低減の一助になるかといえばそうはなるまい。建設費に占める原料価格など知れたもので、その多くを占めるのは人件費である。施工は人件費の安い外国では行えないし、かといって海外の安い労働力を国内に迎え入れれば、メキシコからの不法移民によって自国労働者の職が奪われる米国の惨状の二の舞となろう。さらには、一部の勝ち組は 世界的富者となり、残りの多くの負け組は人件費の世界的平準化により、最貧国の所得水準を甘受せざるを得なくなるだろう。


メンバーシップあってこその社会


 したがって、私はトランプ氏がこのグローバリズムを「誤ったイデオロギー」と切って捨て、TPP も葬り去ろうとしている姿勢に対して好感を抱いている。我が国のマスコミや専門家はじめ多くの人びとは「保護主義=悪」ととらえ、「協調主義=仲良し」に惑溺(わくでき)するために、トラ ンプ氏の「メキシコとの国境に壁を築け!」との発言をただクレイジーだと論難するのだろうが、 私はそうは思わない。私が申したいのは、そもそも社会とはメンバーシップを限定するのが前提であることだ。たとえば社会保険が、当該保険に加入していない人びとにまで保険金を給付することを考えてみればよい。そんなことをすれば当該保険の加入者は怒るはずで、そのような社会保険は成り立つ余地がないであろう。 社会とはメンバーシップを限るから社会なのであって、「オープンな社会」などというのは語義矛盾も甚だしいのであり、それは国家においても同じはずで、ましてや二重国籍の国会議員 が平然と居座り、外国人参政権などという無法が真剣に取り沙汰される我が国の実態は異常と申してよいのだ(国家の在り方として間違っている)。
 以前、私は〈まち〉を囲い込む「ゲーテッド・ コミュニティ」を研究していたが、我が国の多くの「仲良し主義者」たちはそれを閉鎖的社会だと単純に非難した。そうした主張をする当の本人たちはセキュリティ万全のオートロック・マンションに居住し、あるいは閉鎖的な言論空間や「仲良し集団」の内に身を置き、そして極めつけは海に囲まれた安全かつ豊かで、メンバーシップの限定された日本という「ゲーテッド・コミュニティ=閉鎖的社会」で安住しているくせに、である。
 この理想主義とダブって映る 「開かれた市場=TPP」への大いなる憧憬をみるにつけ、江戸幕末に開国を迫った欧米列強たちが強いた「関税自主権の撤廃」から、我が国の先人たちが如何ほどの苦労と歳月を要して脱却できたかを忘れてしまってはいまいか、とつい思ってしまう。TPPはもちろん、領土問題や基地問題も含め、国家のデモクラシーを阻害するのはそれを覆おうとするグローバリズムであり、この種の普遍主義には何らかのガバナンス上の担保を掛けねば国家や国民はその被支配側に回ってしまうのが必然である(いまだに敵国条項が残存しているために我が国がコミットし得ない国連がその好例であろう)。こうした理想主義の妄想に立ち向かう必要をトランプ氏が我が国に気付かせるのだとすれば、彼の勝利はまさに「神風」であるように私は思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?