破滅その3 よっちゃん①

もう10年以上前になるが、下北沢に3年ほど住んでいた。下北沢と言っても厳密には新代田だ。「下北沢に住んでいます」という人間は大抵、厳密には下北沢住まいではない。上北沢だったり池之上だったり世田谷代田だったり。しかしどこに住んでいるのかと訊かれるとつい「下北沢に住んでいます」と言ってしまう。かのお洒落タウン下北沢に住んでいるというステータスを手に入れたいが、下北沢駅の近くに住むには家賃が高い。何とかして家賃は抑えたいという努力の結果、下北沢へ何とか歩いて行ける程度の距離に住み、ギリギリ下北沢民としての権利を得るのである。

私もそのギリギリ下北沢民であった。別に下北沢に憧れていた訳ではない。下北沢でバンドの練習をして下北沢で呑んで、というのを繰り返していたらだんだん家に帰るのが億劫になってきたというのが下北沢に住むようになった理由だ。その前は向ヶ丘遊園という同じ小田急線沿線の駅に住んでいた。向ヶ丘遊園には学生時代から10年以上住んでいたが、しかしこれまた別に向ヶ丘遊園の近くの大学に通っていた訳ではない。大学は向ヶ丘遊園から1時間半はかかる場所だ。なぜ向ヶ丘遊園なんて辺鄙な場所に住んでしまったのか。それは吉川君という、私の地元宮崎の友達が先にその近辺に住んでいたからだ。その辺の話はいずれここに書きたいと思う。

私が下北沢に引っ越す事になり、向ヶ丘遊園の家で一緒に住んでいたさぶろう(弟)も、別で東松原に家を借りギリギリ下北沢民となった(いや、東松原はもはや明大前民かもしれない)。それから快適な下北沢暮らしが始まった。練習にも歩いて行ける。呑みにも歩いて行ける。ライブハウスにも歩いて行ける。もう最高である。当時は下北沢のNOAHというスタジオで週2で3時間ずつ必ず練習をしていた。最初は4時間だったが、私も含めて1時間はみんな遅刻してくるので3時間になった。本当に金の無駄遣いである。そして今は月1か2で2時間しか練習していない。あの頃の熱い気持ちはどこに行ったんだろうか。

まあそんな事はどうでもいい。とにかく私もさぶろう(弟)も晴れてギリギリ下北沢民となった。ギリギリ下北沢民となったからには、と下北沢にひたすら入り浸る日々。ディスクユニオンもドラマも毎日のように通った。王将にもよく行った。四文屋にも呑みに行った。大体がスタジオ終わりの流れである。スタジオ終わりにNOAHの目の前の酒屋で発泡酒(金がなかったのでビールは贅沢品だった)を買って、スタジオの待合スペースでああでもないこうでもないとミーティングという名の不毛な時間を過ごし、スタジオを出てから酒屋でもう1本、からの歩飲(散歩しながら酒を吞む行為の事)コース。この歩飲中が飲み屋の新規開拓の絶好の時間なのである。

その日の下北沢での歩飲中、さぶろう(弟)が、そういえばこの前、立ち飲み屋を見つけたと言い出した。立ち飲み屋?このお洒落タウン下北沢に立ち飲み屋?そんなものある訳がないだろ?いやいや、あるって。さぶろう(弟)は反論してくる。じゃあひとまずその店の前まで行ってみようという事になった。駅から王将方面への道を下っていく。途中の路地を右に曲がると雑居ビルに大きな看板がかかっていた。その看板には平仮名でよっちゃんと書いてある。ねじり鉢巻の謎のキャラクターも描かれてある。このキャラクターがよっちゃんなのか?もしこのキャラクターがよっちゃんという名前だとすると、ねじり鉢巻でビールを飲むとは中畑清もびっくりの結構なお祭り男である。

さぶろう(弟)は既に先日よっちゃんに足を踏み入れたようだった。なかなか良いという話だったのでその日二人で入ってみる事にした。お店は地下にあった。例のねじり鉢巻のキャラクターが描いてある大きな看板の横に建物への入口があり、奥に薄暗い地下への階段が見える。もうそれだけで怪しさ満点だ。ドキドキしながら階段を下って行く。階段を下り終わると開けっ放しの鉄扉があり中に明かりが見えた。ここがよっちゃんか。未だ怪しさにドキドキが止まらないが、ここまで来たら引き返す訳にはいかない。さぶろう(弟)は前回来た時に免疫が出来たのか一人でどんどん先へと行ってしまう。こっちも付いて行くしかない。思い切って中に入る。

「おかえりなさい!」

思いの外、元気な声が返ってきて逆に面食らってしまった。こじんまりとした店内にはコの字カウンターがあり、中には男性が一人と女性が一人。どうやらご夫婦でやっているお店らしい。初めてのお店なのでここは『孤独のグルメ』よろしく、店の雰囲気なんかを頭の中で「ははあ…」とか一通り品定めする流れなのだろうが、そんな余裕はなかった。そこにはこれぞ退廃的と言うに相応しい光景が広がっていた。店内にはお客がただ1人。時間はまだ夕方の4時になろうかなるまいかというにも関わらず、その人は既に完全に酔い潰れていた。よっちゃんは15時開店と看板に書いてあったが、まさか1時間程で酔い潰れたのか?いやいや、明らかにその前から呑んだくれていたであろうと推察されるお兄さんがカウンターに顔を突っ伏して寝ている。しかも身体中タトゥーだらけの、である。

しかし立ち呑みなのにカウンターに顔を突っ伏して寝ているとはこれ如何に。カウンターに顔を突っ伏して寝るという行為は到底立ち呑み屋で出来る行為ではない。立って呑むから立ち呑みというのである。顔を突っ伏すには膝を折り曲げなければならない。立ちながらにして膝を折り曲げる。体育会系パワハラでよく見る空気椅子というやつか?つまりこの人は空気椅子の状態で酒を呑み、空気椅子の状態で酔い潰れ、空気椅子の状態で寝ているというのか?という事は、そのうちこの空気椅子の状態に疲れ果てて人間椅子になってコテンと転んでしまうではないか。転んで怪我をして血が出たらどうする。救急車を呼ぶしかない。肩を貸して階段を上り1階まで連れて行くのは俺だ。するとタトゥーだらけのお兄さんが急にジャンガジャンガと暴れ出す。階段から突き落とされた私は顔面血だらけ。

そこで一言。

「何じゃ、こりゃああああーーーー!!!!!」

脳内松田優作ごっこの完成である。閑話休題。お付き合い頂きありがとうございました。

話を元に戻す。よくよく見るとお兄さんはちゃっかり椅子に座っていた。何だよ、それ。心配して損したじゃんか。立ち呑み屋ではあるが、ここのご夫婦はお優しいのでちゃんと椅子も用意してあったのだ。タトゥーのお兄さんはそれもあって安心して酔い潰れていた。もうぐっすりである。ぐっすりタトゥーお兄の横でさぶろう(弟)とひとまず瓶ビールを空ける。乾杯。うまい。その時、私の心は色めき立っていた。下北沢にこんなにハードコアな香りのするお店があったとは!もうたまらんちんである。

「タバコ吸ってもいいですか?」と店主に聞いてみる。「どうぞ」と返ってくる。「灰皿は?」と聞くと店主が黙って床を指差す。床?床ですか?床に捨てろという事ですか?うおお!これは!もしかして!私の心はさらに色めき立った。これは噂に聞いていた、かの旧新宿ロフトルールではないか!かの旧新宿ロフトとはかつて小滝橋通りの方にあった頃の新宿ロフトの事である。私は歌舞伎町に移転してからのロフトしか知らないので一度も足を踏み入れた事はないが、打ち上げなどで当時の話を耳にする機会があった。当時はライブハウスが今と違ってまだ怖い場所だった時代。喧嘩揉め事日常チャーハン事である。日常チャーハン事という事は、よく灰皿が武器(主にステージに投げ入れられる)にされるという事がチャーハン事だったようで、その防止のために旧ロフトでは灰皿は使用せず、タバコの灰も吸い殻も直接床に捨てていたという。まさにその伝説の旧ロフトルールがこのよっちゃんでは適用されていた(理由はわからないが灰皿が飛ぶのが理由ではない…と思う)。何というハードコアな店なんだ!嬉しさに異常な気持ちの昂りを覚えたのを今でも記憶している。こうなると旧ロフトにタイムスリップにしたような気持ちになり、店主の顔も暴威(BOØWYではない)の諸星アツシに見えてくるから不思議だ。もうたまらんちんちんである。

それからというもの、さぶろう(弟)と二人でよっちゃんに足繁く通う事となった。後々に知った事だが、よっちゃんとはお店のご夫婦の奥さんのお名前であった。では、あのねじり鉢巻のキャラクターは奥さん?ちゃんと聞いた事はないのだが、もしかしたらそうなのかもしれない。触れると何かを燃やしてしまいそうなので今後も触れずに行こうと思う。とにかくここにはたくさんの思い出がある。「よっちゃん①」とタイトルに付けたのはいずれ②を書く事があるだろうから。ひとまず今回は序章という事で。

※ちなみに今ではよっちゃんはお酒好きと野球好きの集まる人気店になっています。私が書くのはお店の黎明期のお話です。今はすっかり様変わりしているので誤解なきよう。

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