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みちのく津軽ジャーニーラン266km完走記 その10 ダークサイドに堕ちかけて(95.5km鰊御殿~125.9km龍飛地区コミュニティセンター)

イマココ
スクリーンショット 2022-08-17 181142
イマココ

心のふるさと、鰊御殿

95.5km鰊御殿に着いた。予定していた(それでもなかなかにストレッチな目標だった)15時間からさらに30分巻き、14時間半での到着。朝7時半。完璧だ。あまりにも完璧すぎる。ここではスポーツエイド専属カメラウーマン(?)のShizu Koshikawa女史がレンズを構えていてくれて、俺たちの到着を激写してくれた。疲労は感じさせながらも自然体で鰊御殿に向かう俺、自分のカメラ映りばかりを気にしてゼッケンのお色直しに余念がないがないが余念がなさ過ぎて無表情な顔すら撮影してもらえなかったエンディ、やあ君の下着の色は何色だい?とカメラウーマンにすらいやらしくウィッシュな姿勢で語り掛けるかのような傲慢なヒロポン。三者三様である。なお、古間木選手は「シャワー浴びてぇ!」と大声で叫びながら先に行ってしまったので、この感動的な前倒し鰊御殿到着の瞬間にも、やはりこの場にいない。スタッフの方が、「おつかれさまです!古間木さんはいまシャワー浴びてます!もうすぐ出てくるはずです!」と、チームメイトであることすら言ってないのに事細かに教えてくれた。俺たちは実力はともかく、なぜかスポーツエイドの方々に覚えられているらしい。。

くしゃくしゃのゼッケンディと俺たち 撮影:Shizu Koshikawa
少し整いつつあるゼッケンディと俺たち 撮影:Shizu Koshikawa
ゼッケンだけは完璧だがここで撮影打ち切りのゼッケンディと俺たち 撮影:Shizu Koshikawa


鰊御殿に着くとほっとする。ここに来るのは3回目だけれど、何か心をあたたかくさせるものがある。心のふるさとだ。ここには「腕によりをかけて作った」と館山会長が言われているスペシャルカレーがある。約100kmの道のりを経てきたカラダに毎度染み渡る。俺は食欲があまりなくカレー1杯が限界だったけれど、まだまだ元気なヒロポンは他におにぎり、味噌汁、つがる漬けを食べていた。羨ましい。シャワーでティモテとパンテーン中だったと思われる古間木選手が、汗臭い我々に見せつけるかのように「いやー!気持ちよかったっす!」と爽やかに現れた。早くカレーを食え。

帰ってきた、と感じさせてくれる絶対的に安心する味のカレー
古間木選手はシャワーを浴びている頃

なお、後日参加した完走者の集いの際にとある肉食獣女史から聞いた話だが、こんな逸話があったそうな。曰く、「カレーには去年まではお肉が入っていたが、今年は大豆ミートになった。環境に配慮するとかSDGs的な先進的な話かと思いきや、ただただスポーツエイドの館山会長がお肉が嫌いだから会長権限で変更された。肉食女史としてはここで失った血肉を補給したいので断固抗議したい」とな。普通大会の裏話などが耳に入ることはないのだが、こういった小規模な大会だと主催者と参加者の距離が近いので、色々と面白い逸話も聞くことができる。結果的にまたレースへの愛着が深まり、抜けられない沼と化していく。

食事、ストレッチ、OPP、その他補給物質の補充をして、20分ほど仮眠を取った。このレースでは2か所、ドロップバッグを置くことができる。入れておいたジェルその他のサプリを補充をしたり、仕込んでおいたタオルで洗った顔を拭き、歯医者のヒロポンがくれたエグゼクティブ歯ブラシで歯を磨く。本来であれば、レストポイントと呼ばれる大エイドはここ95.5km鰊御殿と181.7kmふるさと体験館となっているため、睡眠をしっかりとる場合はこの2か所で寝ることが推奨されている。が、俺たちは自分たちの体力に鑑み、大きな睡眠は125.9km龍飛地区コミュニティセンターでとろうと決めていた。レース直前までがっつり寝ていたためまだそこまで眠くはないし、ここ鰊御殿でいくら寝てもどうせ龍飛崎に至る激坂で消耗するだろう。全ての準備を整え、8時20分に出発した。事前に通達してあったにも関わらず、出発時間になってようやくトイレに向かう古間木選手。もはや何も言うまい。チームの風紀委員と学級委員長を兼ねるエンディはまたも無表情に感情を示していたが、古間木選手の他意のなさにツッコんでも何も生まれないことを我々は熟知している。ちなみに俺はあれだけ確認したはずのジェルをしっかりとドロップバッグ(これから181.7kmふるさと体験館に向かう)に詰めてしまっていたようで、つまりは俺のリュックには何も入れてなかったようで、後々致命傷になりかねないミスをしてしまっていた。ガッデム!


おいおい、まさかお前じゃないよな?眺瞰台


このレースのメインディッシュが近づいてくる。龍飛崎へ向かうための眺瞰台、117.6km地点にある本レースの最高到達点だ。わずか数kmの間に、400mほどの標高を稼がなければならない。「絶対に走って登れない」との誉れ高き激坂なので、そこはおとなしく戦いを放棄して全力で歩き、それ以外の部分で距離を稼ぐ予定だ。小雨が降り始めていたため帽子をかぶり、前に進む。5kmほど進むと、「レース上必須ではないが、ぜひ皆さんに立ち寄ってほしいのでチェックポイントとした」と館山会長がおっしゃっていた津軽像記念館が見えてきた。太宰治の小説「津軽」にまつわる品が様々展示されている。三度の飯と家族より地図が好きだという噂の館山会長は、こういったこだわりを随所に練りこんだコースマップを毎度提供してくれる。まだ俺の脳みそにはそういったこだわりに全て応えられるような知識が格納されていないので、今後はそういう下調べもしっかりしていきたい。

そうそう、イヤなことを思い出した。前回中山道ジャーニーランに出場したときのこと。どのレースと比較してもクソ暑く、2つも峠を越えねばならない過酷なレースだった。そろそろ体力も限界に近いなという段階に差し掛かった時に、ふと「そういえば中山道ってなんでしたっけ?」と不用意なことを俺は言ってしまった。そこから、風紀委員であり学級委員長であるエンディの説教が始まった。曰く、これから出るレースの下調べもしてこないなんてありえない。曰く、日本の歴史も勉強しないで日本人として恥ずかしくないのか。曰く、大体そういう姿勢が普段から・・・。曰く・・・。曰く・・・。どんなに支えあわないといけない状況でも、他人の落ち度を見つければそこをねっとりと責めあげるのがエンディである。さすが最強の弁護士だ。相手に弱点があれば全力でそこを攻めるとは、神奈川No.1プレイヤーである海南大附属の牧も言っていたことだ。

湘北のキャプテン、赤木の負傷につけこむ牧 Source:スラムダンク13巻ぐらい


鰊御殿で少々仮眠をとったはず、まだまだ元気だったはず、龍飛崎までは頑張れるはず、だったのだけれど、このあたりでやたらと眠くなってきた。仕方ないのでこの界隈では最大規模と思われる「道の駅こどまり」で、10分ほど仮眠することにした。チームメイトには申し訳なかったけれど、タイムにはまだ余裕があり、しかし眠気が限界だったためワガママを言わせてもらうことにした。なお、今回は曇り/雨の区間だったためギリギリの所で救われたが、次回以降このレースに出ることがあれば、我々と同レベルのギリギリランナー/D級妖怪な皆様はこの「道の駅こどまり」でしっかりと水分を搭載しておいた方が良いと断言する。最低1.5L、できれば2L。本格的な登りに入る竜泊ライン~眺瞰台までは約10kmあり、その間コンビニはもちろん、エイドも自販機も存在しない。後に出てくる激坂は絶対に走って登れるレベルではなく、もしこの区間で灼熱の太陽に焼かれたらそれでレースが終わる。10kmといえど2時間ぐらい必要だし、日差しを遮るものは一切ない。

晴れてるときは干からびるまで水分を奪われること間違いなし
遠くに見える竜泊ライン 今回は曇りと雨だったのでギリギリセーフ


110km地点には「眺瞰台地点が暴風のため」という理由で、本来117.6kmの頂上にあるはずのエイドが下りてきていた。ここは大して風が吹いてもいないのに、400mも上がると天気は大きく変わるということだろう。「ここから7kmは楽しんでくださーい!」とエイドのお姉さんは言うが、目の前に見える坂、というか壁は大迫より半端じゃなかった。室伏ぐらいの威容だった。水分に関して言うと、ここで補充させてもらったはずなのに、頂上までにほぼ飲みつくしてしまった。晴れていたらどうなっていたんだろう?
 
眺瞰台までの7kmは、ホンマモンの激坂だった。体感では、野辺山ウルトラ100kmの馬越峠より坂が急で長い。過去経験した激坂ランキングでは、堂々の1位に君臨するかもしれない。要するに、まったく走れない。しつこいようだが気温が低く曇りだったから良かったものの、補給ポイントも全くなく、晴れていたら死んでいたかもしれない。そんな中でも俺はPDCAを繰り返し、隣を見ればエンディがはぁはぁ、後ろを見ればヒロポンがはぁはぁ、古間木選手はそのへんでうろうろしているなかで、しっかりと激坂対応ウォークを開発していた。腰を立て、上半身を下半身の真上にセットし、少し尻をクイっと出してアウストラロピテクス的な感じで歩くと、スイスイと負荷なく登ることができる。傍から見ると滑稽な歩き方だが、超コスパの良い歩き方を開発してしまったとうっとりしていたところだ。

そんなこんなでとうとう頂上付近まで登り、もう終わりやろ、と思っていたら、山を一つ隔てた向こうに、眺瞰台然とした建物が見える。「アレじゃないですかぁ!?」とエンディがねっとり言うので、「いや、でも山の向こうだしさすがに違うと思いますけど・・・」と抵抗。だってそうやん、想定していたよりずっと遠い。しかし、ほどなくしてエンディが正しいことが分かった。マジかよ。あそこまで行くのかよ。「期待」は、人を前に進ませる効果がある。しかし、それが幻と分かった時の落胆はことさら大きい。これは人間関係でも同じで、信用はすれど期待のしすぎは危険だったりすることが多い。バレンタインデーに1時間の休みおきに下駄箱を空けていたあの頃が思い起こされる。

途中、サルが異常発生している箇所があり、俺は「誰がボスザルか分からせてやろうか」という視線を送ったが、完全に平和モードになっているサルたちに完全に無視された。アウストラロピテクスウォークを身に着けていたからだろうか、なにやら応援されているような気すらしていた。なにがなんだか分からないまま、最後の激坂を経てなんとかかんとか眺瞰台へ到着。ここから龍飛崎までは下り基調になる。

頂上付近でパシャリ。雲海に飛び込みたい。
このあたりでは一緒に走るようになった古間木選手。他意のなさはなくなったのだろうか。


ダークサイドに堕ちかけて


全員におそらく等しく降りかかりつつある、あるいは既に降りかかっている問題があった。足の裏の皮ズレズレ問題である。長時間同じ靴を履いて汗をかき続けていること、そして少なくない量の雨を浴びたことで、足の皮は十分に緩くなってしまっていた。ここに眺瞰台からの下りの圧力が加わると、何が起きるか分からない。少なくとも、先ほどから足裏の感覚が怪しい。下りはスベリやズレに十分に注意するようにと全員に喚起しながら、スピードを出し過ぎないように下っていった。もうこの頃になると、嶽温泉~日本海拠点館の下りのように、意識せずともキロ6分台、というわけにはいかなくなっている。疲労は積み重なり、節々は痛く、油断すれば一瞬で致命的な皮ズレが起きそうな状態である。つまづいたりコケたりしたら足裏ごともっていかれそうな勢いだ。下りなのに8分台、9分台がザラになっていた。全然スピードが出ない。加えて、下り基調一辺倒なわけではなく龍飛崎に近づくにつれ登りも頻繁に出てくるようになり、どんどんと貯めたはずの時間貯金が減っていった。途中、俺たちが繰り返してきた「〇〇までキロ〇分で勝ち!」のコールに何度か絡んできてくれていた紳士と合流した。こういうときの古間木選手の絡み方はすごい。まるで何年も前から頻繁に会っているかのように、会話を繰り返していく。前に月に出た日光同心千人街道ジャーニーランでは、出場者全員に話しかけるぐらいの勢いだったため、スタート直後に最下位になっていた。この歳になると友達の輪は広げすぎずに限られた信頼関係のある人とだけしゃべっているとラクなものなのだけれど、こういう無邪気な「ともだち100人できるかな?」的社交性は見習いたいところだ。今後古間木選手に話しかけられた皆さんは、「今日も他意がないですね!声がデカいですね!」と褒めてあげてください。


125.3km龍飛崎に着くと、ラーメン屋さんが見えた。一応125.9km龍飛地区コミュニティセンターには補給物資がそれなりにあることが予想されたが、この頃の俺はもはやエイド食に飽き飽きしていた。食べないといかんことは分かっていても、なかなかツライ。あんぱんやうどん、おいなりさんなど、スタッフの方が我々が少しでもエネルギーとなる炭水化物を接種しやすいようにと配慮してくれていることは重々分かっているのだけれど、それにしても舌と胃が拒否しはじめている。であれば、少し時間を食ってでもラーメンを塩分ごとかきこむ方が良さそうだ。今まであまり気づかなかったけれど、眺瞰台からの下りでトドメが刺されたらしく膝もまぁまぁ限界で、激痛に堪えながら龍飛の頂上まで上り下りをしたあと、ラーメン屋さんに駆け込んだ。のりとホタテがしっかり入ったラーメンは、やはり美味かった。

龍飛崎の頂上 色々あってこれが4人で写る最後の写真になってしまった
お食事処たっぴさんに突撃
ホタテがデカく、カラダに染みるあんしんの味


俺はラーメンを食べているこの時、チームの皆には言わなかったが少しダークサイドに堕ちかけていた。3つ理由がある。1つは、体調面。雨に濡れ酷使された足裏は、明らかに先ほどから違和感がある。きっと皮ズレがなかなかのレベルで発生しているのだろう。そして龍飛崎の灯台への上り下りで確信したが、どうやら膝が限界に来ている。登りも下りも爆裂に痛い。あと140kmもあるのに大丈夫なんかいなこれ?2つ目は時間。49.5km日本海拠点館、95.5km鰊御殿までは完璧という形容詞すら上回るタイムで通過することが出来ていたが、激坂の龍飛竜泊ラインから眺瞰台、まったく走れなくなっていたここまでの下りで、タイムをだいぶロスしてしまっていた。目前に迫っている龍飛地区コミュニティセンターでは90分の睡眠を予定していたものの、ここまでのタイムロスとこのラーメンタイムで、おそらく半分程度の時間しか眠ることができないと思われる。最後に、なんか疲れちゃった、というしょうもない、しかしわりと深刻な理由が挙げられる。俺は全身全霊を以てここまでチームを率いてきた。控え目に見ても、ここまでは勝負を優勢に運べたといっても良いだろう。レース前半におけるゴール地点、125.9km龍飛地区コミュニティセンターまではまもなく。1km単位で作ってきたタイム表も、どの地点においても5分と遅れずトレースすることが出来た。その前半戦が終わろうとしている。まもなくゴールテープを切ろうとしている。(半分だけど)その安堵感からなのか、なんか疲れがどっと出ちゃった、というのが正直なところだった。

かような3つの理由でダークサイドに堕ちかけていた俺は、しかしここで立て直さないと全ては水の泡、ということを改めて思い出した。なんとかして自分を奮い立たせなければならない。チームメイトのためにも自分のためにも、ここで心の中のダースベイダーを、光の戦士ジェダイに置き換えなければならない。ラーメンを待つ間、例のものを取り出すことにした。出発の日、2号機が朝5時に起きて4人のチームメイトそれぞれに書いてくれた手紙だ。日頃パパと遊んでくれていることへの御礼と、266kmを走ることへの激励、そしてそれぞれのキャラに応じたアドバイスが書いてあった。エンディには土偶のように無表情でいないでゴールでは笑うようにと、古間木選手には声の大きさが迷惑なので抑えるようにと、そして目が合ったら恋と過去の恋愛で無双していたことをドヤっていたヒロポンには諫言を。3人への手紙の内容についてはヤラセだとか検閲入れたんだろという疑惑が呈されたが、俺(パパ)への手紙だけは何の指導も入れていない。最高の娘だ。ありがとう。ちょっと元気が出てきた。帰ったら寝て抵抗できない隙に266回ぐらいキスしてやろう。

「ヒロポンへ」は「ピロポンへ」となっている。ぷぷぷ。


ラーメンを食べ終わると、階段を下った先にある龍飛地区コミュニティセンターへは14時半頃到着。125.9kmのこの地点まで21時間半で来たことになる。本来ならば21時間でここで到着して90分休み、という予定だったのだけれど、30分ほど押してしまっていた。よって睡眠は40分。まぁまぁ大き目のエイドだったにもかかわらず、ラーメンを食べていたこともあり初めて何の補給もせず、睡眠に徹した。寝る前に靴下を見ると、右足母指球のあたりが完全に破れており、素足が露出、皮が剥けていた。やっぱりか。怖いのでそれ以上見るのをやめて、即座に睡眠に入った。疲れていたのか、瞬きをして次の瞬間には、アラームが鳴っていた。出発の時間だ。うう、あと140kmもあるのかよ。もうカラダ痛いよ。足破れてるよ。てか、雨結構降ってんじゃん。あれほど「勝ちました!」を連呼していた俺は、一時テンションがダダ下がりしてベイダー卿手前のような状態になっており、そこからラーメンと睡眠と2号機の手紙で、少しだけ持ち直すところまで来ていた。俺はもう一度、光の戦士に戻らねばならない。さあ、後半戦だ。

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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!
我が生涯に一片の悔いなし!

羅王


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