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みちのく津軽ジャーニーラン266km完走記 その13 「提督」と呼ばれたくて・・・(181.7kmふるさと体験館~215.5km金木町観光物産館)

イマココ
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3度目の勝利宣言、そして山中に堕つ

181.7kmふるさと体験館に着いた。スタートから32時間15分、今は夜中1時15分。予定よりは15分ほど少し遅れたが、悪くないペースだ。けど、眠すぎて頭がおかしくなりそうだ。ここまで連れてきてくれたヒロポン、センキュー。普段もカッコいいけど、ここまでのラスト5kmは本当にかっこよかった。このエイドは鰊御殿以上に至れり尽くせりであり、食事のメニューはシチュー、焼きそば、中華丼(あとなんだっけ?)と色々あった。支度をしてくれるお姉さん2人が超元気なのがまた嬉しいしありがたい。寝床にはなんと毛布が置いてあった。こちらもありがたい。眠気も限界だが、まずは何か腹に入れないとここから先がもたないため、無理やり食堂に向かった。中華丼とヒロポンから奪った焼きそばを数口かきこむ。余談だが、焼きそばはタッチの差で先にオーダーしたヒロポンのが最後であり、俺とエンディの時には売り切れになってしまっていた。俺は何とも思わなかったが、エンディは「ヒロポンが焼きそばを~、ヒロポンが焼きそばを~」と怨念と呪詛を込めて死んだ目で無表情にねちねち言っていた。シンプルに怖かった。限界状態での食べ物の恨みは恐ろしい。きっと思い出し恨みはあと10年ほどは続くだろう。

10分ほどで食事を済ませ、身支度を整え、さっさと就寝した。体育館には、所せましと限界を迎えたランナーたちが「倒れて」いる。就寝する前に、途中で追い抜いたマッキーに想いを馳せながら股間(尻間?)にボラギノールを塗った。別にオカズにしたわけではない。でも変な気分にはなってくる。平時は非ボラギノーラーである俺でも、ここまでの道程でボラギノール童貞を捨てねばならないほど、股ズレ、ケツズレが起きていた。ここまでに推定20万歩弱も走ったり歩いたりしているのだ。何が起きてもおかしくないし、どこがスレてもおかしくない。もちろん足裏も。普段から股とケツ以外もズレてるマッキーは果たして、俺たちに追いついてくるのだろうか?

50分ほど眠ることができた。といっても、疲労のあまり、まばたきをしたと思ったらもうアラームが鳴っていた。OPPをし、ヒロポンが事前に配布してくれた歯ブラシでしっかりと歯を磨き、痛み止めを投入し、夜中2時半に出た。入口には、今この瞬間にふるさと体験館に入ってきたばかりのマッキーがいた。マッキー、たしかに大変な区間ではあったけど、こんなに遅れちまったのか!?でも大丈夫。マッキーにはあの爆速な脚力がある。また改めて、「この男、底が知れん!」なダッシュを見せてくれるだろう。俺たちはマッキーに、「待ってるぞ!来いよ!」とだけ声をかけ、外へ出た。眠気がとれたせいか、気分は最高だ。しかも、おいおい、気づけばあとたった85kmじゃねーか。もう1/3切ってるじゃねーか。残り時間は17時間半。あれ?これイケちゃうんじゃないの!?俺の勝利宣言は、本心から出たもので言えば、49.5km日本海拠点館に6時間40分で到着した時が1回目、95.5km鰊御殿に14時間半で着いた時が2回目、そして今回で3回目になる。勝った。もう勝ってしまった!あの不可能と言われたレースに、残り20時間近くを残して、ほぼ勝利が決まってしまった!恐ろしい、自分のリーダーとしての資質が恐ろしい。。。エンディとヒロポンも、睡眠をしっかりとったおかげか、笑顔である。エンディの口角は、0.05度だけ上がっていたように見えた。錯覚かもだけど。
 
「傲慢になるのは良くない、常に謙虚であるべきだ」。このブログでも、たびたび傲慢さのなれの果てについては触れてきたことである。ただし、この言葉には続きがある。「他人の傲慢さは目につく、しかし自分の『それ』に気づくのは、ドラクエ2をクリアするより難しい」。俺が悲観的であるにもかかわらず、エンディがファクトに反して過度に楽観的なのであれば、それは先輩とはいえども諫めることができる。ヒロポンが2時間かかる打ち合わせのスペースを確保するために、閉店40分前のタリーズを予約するなどという稚拙で拙速な行いをしているのであれば、俺とエンディで「あんたナウル共和国的なところあるんだから、もう少し色々考えたら?」と嗜めることができる。しかしこの時は事前に予想しえないことが起きてしまっていた。3人全員が過度に楽観的に、そして致命的なほどに傲慢になってしまっていたのである。俺たちはこの直後、地獄を見ることになる。
「ナウル共和国」=鉱物資源のリンに恵まれ過ぎたせいで国民全員が働かなくなり、国家全体がダメダメになってしまった例。うまれつきの要素や才能、外見の質に依存していると、後で人生とんでもないことになるぞ、の意。ヒロポンは常々「学生時代の恋愛ですか?向こうから来てくれたんですよね、ぜんぶ」とのたまわっており、我々チームメイトの反感と顰蹙を一手に引き受けていた。
 


意気揚々と出発をして、電柱ゲームを再開する。いける。俺たちはいけるぞ。市街地に戻るために、少し斜度のある山道をひた走・・・れない。あれ?おかしい。走れないぞ。しかもさっきまで談笑してたはずの2人が、いつのまにか黙っている。エンディはおろか、いつも100万ペソの笑顔を振りまいているヒロポンまでも、完全な無表情だ。俺も口から言葉が出てこない。しっかり寝たはずなのに、眠い、眠すぎる。「あれだけ寝たのに眠いんですかぁ!?いい加減にしてくださいよぉ」と怒られる!と思ってエンディを見ると、エンディも死にそうな顔をしている。もはや土偶だ。いや、最初からか・・。俺たちは、まったく回復していなかった。ヤバい、こんな状況では、倒れる。事実、俺はふとしたタイミングで瞬きをした瞬間に立ったまま夢の世界へ旅立ってしまい、危うく倒れそうなところをギリギリエンディに救われていた。
 
もうダメだ。眠い、眠すぎる。。。俺たちは、最終手段として道端で寝ることにした。歩道のない山道だったので危険が伴うこともあり、駐車スペースのように道がくぼんでいるところを見つけて、安全を確保した上で三人で爆睡した。その間20分ほど。途中で、「うわっ!」という人の声が聞こえたが、起き上がることはできなかった。後から走ってきたランナーだろう。暗い中を進みながら道端にオレンジ色の遺体が3つ転がっているのを見て、さぞかしびっくりしたことだろう。またしても一瞬の瞬きで20分が経過しており、時間の兼ね合いもあって走り始めなければならなくなった。津軽中里駅は207.5km地点にある。距離はあと20kmちょっとだろうか。幸い、2晩目は越えたらしく少し周りが明るくなってきた。これなら走れる。登りもまもなく終わり、あとは下り基調だ。途中でワゴン車で私設エイドを設けてくれていたおじさんにコーヒーをもらい、目も覚めた(気がする)。俺たちは心機一転、ぐいぐいと前へ進んでいった。おじさん、ありがとう!絶対完走するから!
 


スラムダンク検定と魔法使いのジジイ


あと津軽中里へ6kmほどというエリアに入ると、周りに何人かのランナーが見えるようになった。もう完全に朝になっている。夜中にあれだけ走っても全然誰もいないように見えたのに、なんだ、同じように戦っている同志がまだいるじゃないか。俺たちだけが戦っているわけではないことが分かり、ちょっと嬉しくなった。彼らのほとんどをパスしながら、あるいは抜き返されたりしながら、俺たちは一路、207.5km津軽中里駅へ向かった。途中で余裕ができたところで、ヒロポンがスラムダンクの話を始めた。「監督、本当にありがとうございます。今私がこうして走れているのは、完全に三井寿の気分だからですよ。赤子のようにチームメイトを信頼して走ってます。」前半にスッポンディフェンスを食らいスタミナを削られていた湘北のスリーポイントシューター・三井寿が、疲労困憊な中、赤子のようにチームメイトを信頼することで後半勝負所で3点シュートを決めまくり、王者山王工業を追い詰めるという山王戦屈指の名場面を指したセリフだ。

ヨレヨレになるも何度となく甦る漢、三井寿 Source:スラムダンク30巻ぐらい

「そうですね、何度でも甦りますね!」・・・と、そんな話をしていたら、横を走っていた女性が「え?スラムダンク?話入れてください!私、めっちゃ好きなんです!めっちゃ詳しいんです!」と割って入ってきた。阪神タイガースのユニフォームに身を包んだ、これみよがしにタイガースファンの女性だ。小耳に挟んだだけの話にいきなり食いついて、ゴール下のポジション争いがごとくヒロポンと俺の間に割って入ってきて博識を披露しようとするあたり、相田彦一の姉みがある。仮にこの女性を「弥生」と呼ぼう。スラムダンクがめっちゃ好きで、めっちゃ詳しいとな?よかろう、スラムダンク検定七段の俺様が相手をしてやろう。ということで、「では、お詳しいとのことなので問題です。全国大会の大阪予選の得点ランキング、第三位は誰ですか?」 これはわりと発生している「自称・スラムダンクに詳しい人」にぶつけると、その実力のほどがわかる良問だといつも思っているのだが、答えは「豊玉の板倉君」である。あの「ボボン!」「どんどんどんどんいきまっせー!」などの名言を生み出した、宮城リョータのマッチアップ相手である。顔が濃くて、うざい。ちなみに第二位は同じく豊玉の岸本、第一位も同じく豊玉の南である。このあたりは東大後期の論文に出ます。

しかし顔のわりにキレイなシュートフォームなのが板倉君 Source:スラムダンク22巻ぐらい
他意なく他人の話を「要チェック」してきたあたりが弥生だった。

弥生はこの問いに答えることはできなかった。なんだ、そこまで詳しくないじゃないか。弥生はたじろいでシュンとしていた。凹む女性をそのままにしてはおけないヒロポンが、今度は「つかぬことを伺いますが、もしや阪神ファンなんですか?」と弥生に聞いた。タイガースのユニフォームに身を包み、旗も差して走ってるのだから、ツッコミ待ちと見て当然だろう。しかし、弥生の答えは「いや全然」とのことだった。いやそのユニフォームなんやねん!なんでそこまで全身阪神やねん!スラムダンクめっちゃ詳しい検定は合格を出せず、阪神ファンだと思ったのに阪神ファンじゃなかったことに肩透かしを食らったため、我々は弥生に別れを告げて走ることにした。ちなみにこの話には後日談があり、レース1週間後に開かれた打ち上げに弥生は来ていた。その際、「タイガースファンじゃない・・・んですよね、たしか?」と恐る恐る聞いてみたら、「いや、めっちゃファンですよ!今度の三連休も試合見にいくし・・・」とな。なんやねん!ほんならなんであの時「いや全然」て答えてん!なんやねん!なんでやねん!
 


もう2kmほどで津軽中里駅だ!そんなことを思いながら、ずっと並走してきた横のヒロポンを見た。体型がスリムでフォームも整っているヒロポンは、俺から見るとずっと良いペースで走ってきていた。この数kmは相当良いテンポ、良いペースで走っていたためどうやらさすがに疲れたらしく、横ではぁはぁぜぇぜぇいっているが、でも安心してくれヒロポン。もうそんなツライ時間ももう終わるよ、ヒロポン、ね!ね!
 
・・・と隣を見ると、ヒロポンがいない。代わりに、俺の真横を見たこともジジイが走っていた。MPを使い果たした魔法使いって多分こんな感じなんだろうか。わずかに残ったHPと全く通用しない攻撃力でモンスターと戦ってボロボロにされた後のような、そんな感じの疲労困憊、満身創痍のジジイが息も絶え絶え、腰が落ちて背中を丸めながら走っていた。。でもよく見ると、俺たちサムライ魂と同じTシャツを着ているし、よく見たらジジイにしてはなかなか日本人離れした精悍な顔つきをしているし、よくよく見てみると・・・ヒロポン?ヒロポンじゃないか!?いつのまにジジイに!?
 
どうやら疲労が極限まで積み重なっていたところに、相田弥生との会話がかみ合わなかった心労がトドメとして追加され、ついに限界を超えたらしい。いつ見てもカッコいいなぁと思ってみていたはずのヒロポンは、一気に40年ほど加齢が進んでしまったかのようだった。そんなヒロポンジジイ化事件はありながらも、津軽中里駅には、スタートから38時間15分、朝の7時15分に到着することができた。関門閉鎖まではまだ1時間以上ある。俺たちはここでもしっかりと睡眠をとるべく、8時までゆっくりと休むことにした。いい感じ、いい感じだ。ヒロポンも、魔法使いのジジイから回復できそうだった。

ジジイ化したところからちょっとだけ復活したヒロポン


 

「提督」と呼ばれたくて・・・

束の間の睡眠をとり、8時に津軽中里駅を出発。ここから次のエイドの金木町観光物産館へは、この旅で最も短い8kmの道程だ。マッキーはやはり来ない。ゴールまでは残り59km、12時間。休みを考慮しなければキロあたり12分12秒。2時間休みを入れるとしても、キロあたり10分使える。勝った!もう勝った!完全勝利だ!俺は心の中で4度目の勝利宣言を挙げた。しかも、過去2回とは異なり、もはや残存距離が射程圏内にある。不確定要素も極めて少なくなってきている。俺は、「監督」から「提督」になった。もはや一介の管理者としての「監督」ではない。少将以上が拝命を許される「提督」になったのだ。万に及ぶ兵士の命を預かり、犠牲を伴いながらも自軍に勝利をもたらす。そんな「提督」にふさわしい漢に、俺はなったと確信した。

横を見ると、俺以上にエンディとヒロポンが浮かれている。朝日が昇ってきたせいもあるだろう。本当に見てわかるほどウキウキしている。普段そこまで喜びを爆発させるようなことがない彼らがここまで浮かれていることそのものが、このレースがここまでどれだけ苦しかったかの証左であろう。ただ一人、俺だけは体内に潜む過去の経験値が小さなアラームを鳴らしていることに気づいていた。雨が降らず、晴れてきているのは良い。でも、ちょっと日が出過ぎている。3年前の津軽177kmで炎天下で地獄を見た身としては、ここから245.6kmスポーツプラザ藤崎への延々と続く30kmの田園地帯は鬼門だったという記憶がある。かぶってもかぶっても足りない水。見えるごとに休憩に時間を割かれるコンビニ。カラダがどうしても欲する甘い飲料とそれにより積み重なっていく胃腸へのダメージ。どうもこのまま日が高くなると、あの地獄の再現になるのではないかと心配になってきた。「基本的には勝ちです。でもひとつだけ、この気温によってゴールへの難易度が一段階上がりました。ただ正直、リスクと言えるのはこれだけです。」俺は、たしかこのようにチームメンバーに伝えたと思う。それでも、エンディとヒロポンのウキウキは止まらなかった。「勝ちですかぁ!勝ちですよねぇ・・」エンディのねっとりとした念押しが続く。「(そうはいっても)勝ちですよぉ!」ねっとりと俺も返す。こんなやり取りができるだけでも幸せだ。しかも今日は、提督昇格記念初日だ。
 
事実、この266kmの旅でどこが一番楽しかったですかと問われれば、間違いなくこの207.5km津軽中里~215.5km金木町観光物産館の8kmを挙げる。それぐらい、2晩を乗り越えた喜びと、最終日の天気が持ってくれたこと、残存体力と残り時間への自信が良い感じにマリアージュし、我々の気分を浮き立たせていた。気温はじわじわ上がってきていたが、「良い天気」が眠気を覚ましてくれるし、よほどのことがなければ大丈夫だろう。この後は歩いてもゴールできるため、改めて「歩きのタイム」を数kmに渡って計算したり、あまりにも顔の精悍さとギャップのあるヒロポンのユルダサなプライベートを指して、「稚拙」、「拙速」などと揶揄してゲラゲラ笑いながらこの8kmを楽しんだ。わずか8km俺とエンディでヒロポンに対して「稚拙」と「拙速」を20回ぐらいずつぐらいは浴びせかけただろうか。そんな悪口を明るく楽しく話せたのも、この旅でこの区間が初めてだったかもしれない。今までは会話はしていたが余裕がなさ過ぎた。さながらツール・ド・フランスの21日目のパレード走行のように、勝利を確信した我々はパリ・シャンゼリゼならぬさくら野百貨店に向けて、残りの道を駆け抜けていったのだった。これから真の地獄が待っているとも知らずに・・・。

ツール・ド・フランス最終日は、慣例的にパレード走行が行われ、ライバル同士が称えあう

大事なことをひとつ。浮かれているエンディ・ヒロポンが、嬉しそうにひっきりなしに話しかけてくる。「ねぇ監督、これはもうこのままいけるんじゃないですか?」、「監督はここから先、どんなペースをお考えですか?」俺はそろそろ色々とはっきりさせようと思い、無視することにした。俺は現在、「提督」である。草野球のボスと勘違いされがちな「監督」ではもはやない。I am not who I used to be anymore. 昔、とある中小企業で「〇〇部長」と必ず役職で呼ばせる部長がいた。彼は役職がついてない呼び方をされると、あからさまに不機嫌になるダサい男だった。しかし今なら彼の気持ちが分かる。俺は「提督」と呼ばれたい。「監督」ではなく、「提督」と呼ばれたいのだ。銀河英雄伝説ファンとしては、「提督」と呼ばれることが人生の一つの到達点なのだ!この時の俺は、完全に陵南の点取り屋、フクちゃんのように欲しがりやさんな顔になっていたと思う。

Source:スラムダンク16巻 陵南対海南戦


 
予想通り、215.5km金木町観光物産館には、さして苦労することもなくついた。物産館の手前にあった自販機で飲んだ「アンバサホワイトウォーター」は、ことのほか美味かった。物産館には他のエイドと変わらず、スタッフの方々が大勢いた。しかし、我々を迎えてくれる姿にはこれまでと違う何かがあった。そう、「歓迎」とか「おつかれさま」というムード以上に、「おめでとう!」というムードがこのエイドには漂っていた。この時間帯に、このエイドをこの健全な姿で通ることができる。それはすなわち「完走」と同義である。ここのエイドのスタッフの方々は、過去の経験値からそれを知っていたに違いない。どの方の顔にも、「おめでとう!」と書いてあった。俺は素直に嬉しかった。

完走おめでとう!という雰囲気をムンムンに出してくれてるエイド、金木町観光物産館


このエイドの奥には売店があってそこには「ラムネソフト」が売っていた。「ラムネ味」と「バニラ味」のミックスを楽しむことができる逸品だ。俺は前祝いということで3人分を購入し、エンディ、ヒロポンに渡して一緒に食べた。「おめでとう」と言って手渡したのだが、何より俺は俺自身を褒めたかったのかもしれない。まだまだ承認欲求を捨てられない、アラサー男子。ほぼ勝者のような顔をしながらほぼ勝者のような写真を撮って、エイドを後にした。この幸せの絶頂めいた写真を撮った、そのたったの10分後、ある漢は地獄に堕ちる。

勝利を確信し浮かれに浮かれまくっている3人。この10分後にある人物は地獄行きに。

***
退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!

羅王


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